「在る」とき、ただ美しく、清らです。

ここでは、「「在る」とき、ただ美しく、清らです。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているハリマンさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

ハリマンさん

感想ありがとうございました。

> > 無空さん、こんばんは。
> >
> > 前回申し上げましたように、明後日のセッションで一度区切りをつけさせていただきます。

承知致しました。
> >
> > これまでのセッションに感謝申し上げます。
> >
> > 無空庵に出会ってよかったです。

こちらこそ素晴らしい出会いをありがとうございました。
> >
> > 前々回、前回と(すみません、「いつも」ですかね(^_^;))セッション後どうしようもなくメモを取る気や思い出す作業といったものが起こりませんでした。
> >
> > 忙しさということもありますが、
> >
> > 「思い出す、思い返す」ということが起こらない、という方が率直な感じです。

そのようなときもありますね。
> >
> > しかし、各回のセッションは、日常の在り方に、また「私」「自身」「世界」の理解に確かに溶け込んでいきました。
> >
> > セッションによって「体験的な理解」がいくども繰り返され、螺旋のように深まっていきました。
> >
> > その度にほどかれひらかれていきました。
> >
> > 「私」が「WHOLE」としてほどかれました。
> >
> > 「在る」とき、境のない「存在」としてただひらかれます。
> >
> > 水の中の「水」、光の中の「光」、空の中の「空」になんの境もないように、
> >
> > 「在る」とき、大きな存在の中の「存在」であることを知りました。
> >
> > 大きいも小さいも、正しいも間違っている、もなくなっていました。
> >
> > それらを判断する、区別する「人」がいない。
> >
> > ただ、「こと」が起こっている。
> >
> > ただ、「私」が起こっている。
> >
> > 「在る」とき、ただ美しく、清らです。

はい。
> >
> > 美しく、清らな、喜びのニュアンスしかありません。
> >
> > 何かが見えるのでもなく、何が聞こえるのでもなく、理由があるのではなく、
> >
> > ただただ きれい なのです。

それは、ただそうであるもの、ただそれであるものですね。
> >
> > 三年前、初めて無空さんのセッションを受けた時に、すでにそれを体験していたように想えます。
> >
> > (その時の感想と無空さんからの返信です『空を背景にした人ほど美しいものはあらへん』
> >
> > http://mukuuan.blog9.fc2.com/blog-entry-4194.html 感謝です)
> >
> > 懐かしいけれど、最先端にいつもまっさらな「それ」です。
> >
> > 決して掴めないもの、掴む者もいない。
> >
> > ただほどかれたときにひらかれ、WHOLEとしてひらかれているもの。
> >
> > 美しい。
> >
> > 「それは愛ですか」と問われれば、
> >
> > 「はい。」です。
> >
> > イエスの山上の垂訓(山の上に集まった人々に神の愛を説くイエス)。
> >
> > 「光」「愛」がほどかれている「瞬間」のように想われます。
> >
> > そして、その「瞬間」は「時間」の制約をなんら受けていません。
> >
> > 「時間」のない世界 WHOLE です。
> >
> > 「ONENESS」と言われているところのものかもしれません。
> >
> > 「色」が現れてくる前の美しい領域かも知れません。
> >
> > 無空さん、ありがとうございます。
> >
> > ハリマン

こちらこそ、「時間」のない世界 WHOLE、そして、美しさ をありがとうございます。

無空
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