それらは異なった霊性の段階について、異なった視点から語られたものである。

ここでは、「それらは異なった霊性の段階について、異なった視点から語られたものである。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているRubyさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

Rubyさま

感想ありがとうございました。

> > 無空さま
> >
> > こんにちは。Rubyです。
> > いつもありがとうございます。
> >
> > 第76回セッションありがとうございました。
> >
> > 以下はメールでの感想ご報告です。
> > どうぞよろしくお願いします
> >
> >
> > ■ 第76回(151001)セッションの気づき
> >
> > 最近、よく質問される「ノンヂュアリティ」と「共鳴」に
> > ついて、無空さんの見解を質問させていただきました。

ご質問頂いた件に関連することは、何か月か前にどなたかの感想への
ご返信に含めて書かせて頂いた記憶があります。
そちらも参考にされてください。

その箇所を少し探してみましたが、みつかりませんでしたので、ラマナ・マハルシの本の以下の内容も
ひとつの参考になると思いますので、読んでみてください。

************

質問者
「ブラフマンは真理である。世界(ジャガト)は幻想である」とはシュリー・シャンカラーチャーリアの」常套句です。
しかし、別の人たちは、「世界は実在である」と言います。
どちらが真実なのでしょうか?

マハルシ
どちらの言葉も真実である。
それらは異なった霊性の段階について、異なった視点から語られたものである。
真理の探究者(アビャーシ)は、「つねに存在するものが実在である」という定義から進みはじめる。
それから彼は世界を非実在として捨て去る。
なぜなら世界は変化するものだからである。
このように、変化するものを非実在として捨て去っていくことで、探求者は究極的に真我にたどり着く。
その実現のなかで、彼はすべての存在がひとつとして在ることを見いだす。
そのとき、最初に非実在として捨て去られたものも、ひとつとして在ることの一部分だったことが理解されるのである。
実在のなかに吸収されれば、世界もまた実在である。
真我の実現のなかではただ存在だけがあり、他には何もない。

質問者
バガヴァーンはマーヤー(幻想)と実在が同じものだと言われます。
どうしてそれが可能なのでしょうか?

マハルシ
シャンカラーチャーリアは彼のマーヤーの見解について、人々から理解されないまま批判された。
彼はこのように言った。
(1)ブラフマンは実在である。
(2)宇宙は非実在である、そして
(3)宇宙はブラフマンである。
彼は第二番目のところで止まらなかった。
なぜなら、第三番目が他の二つを説明しているからである。
それは、もし真我として知覚されれば宇宙は実在であり、真我から分離したものとして知覚されれば宇宙は非実在だということを意味している。
したがって、マーヤーと実在はひとつであり、同じものなのである。

質問者
そうだとすれば、世界は、本当は幻想ではないのでしょうか?

マハルシ
真理の探究者の段階では、あなたは世界が幻想だと言わなければならないだろう。
他に道はない。
ある人が、自分は実在であり、永遠に、全てに遍在するブラフマンだということを忘れ、
はかない身体であふれた宇宙のなかのひとつの身体を自分自身だと思いこんで、その迷妄ゆえに苦しんでいるとき、
あなたは彼に世界は非実在でしかなく、それは迷妄なのだということを気づかせなければならない。
なぜか?
なぜなら、真我を忘れた彼の視野は、外側の物理的な世界のなかに浸っているからである。
あなたが外側の物理的な世界は非実在だということを彼の心に焼きつけないかぎり、彼が内側に向かい内観することはないだろう。
ひとたび彼が真我を実現すれば、彼自身の真我以外に存在するものは何もないと知るだろう。
そして彼は宇宙全体をブラフマンとして見るようになるだろう。
真我を離れて宇宙は存在しないからである。
人が、すべての源である真我を見ずに、外側の世界だけを実在で不変のものとして見ているかぎり、
あなたは彼にこの外側の宇宙は幻想でしかないと伝えなければならない。
それはどうすることもできないのだ。
紙を見てみなさい。
われわれは文字だけを見ている。
文字が書かれている紙に気づくものはいない。
文字がそこにあろうとなかろうと、紙はそこに在る。
あなたは文字だけを実在と見なしている人に、それはただ紙の上に載っているだけで非実在、幻想なのだと言わねばならない。
賢者は紙と文字をひとつと見なす。
それゆえ、ブラフマンと宇宙もひとつとして見るのである。

質問者
それでは、真我として体験されたとき世界は実在であり、個々に分離した名前と形として見られたとき世界は非実在なのでしょうか?

マハルシ
炎が煙で隠されてしまうように、意識の輝く光は世界という名前と形の集まりで隠されてしまう。
慈悲深い神の恩寵によって心が清らかになったとき、世界の本性は幻想としてではなく、ただ実在として知られるのである。
 心がマーヤーの邪悪な力から解放され、世界の知識を捨て去って無執着となり、
自ら輝く至高の実在の知識に到達した人だけが「世界は実在である」という言葉の本当の意味を正しく知ることができるのだ。
もし真理の知識の本質に沿って世界観が変容すれば、エーテル(アーカーシャ)から始まる五つの元素でできた世界は至高の真理の実在として見られるだろう。
多くの名前と形であふれかえり混雑した、この空なる世界の原初の状態は至福であり、多様な色彩のクジャクの卵の黄身が単一であるように、それも単一である。
真我の内に在ることで、この真理をしりなさい。

*******************
> >
> > 起きていることをお話することで、
> > 微細に感じていたことを表現し、整理し
> > 終息していくものがありました。
> >
> > お時間がおしてしまったので、今回は共鳴が
> > できませんでしたが、

沈黙の共鳴はできませんでしたが、お話中も共鳴は起こっています。
> >
> > 「在る」そのものとしての、顕れの対話、表現は
> > 実り多き時間となりました。

知的理解の上に、実感、直知を重ねていくことで、真の理解へと進んでいきます。
> >
> > セッション感想は以上です。
> >
> > また次回、よろしくお願いします。
> >
> >           ruby拝

こちらこそよろしくお願い致します。

無空
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