ゼロ意識共鳴を受けてからは、地に足が着くようになっています。

ここでは、「ゼロ意識共鳴を受けてからは、地に足が着くようになっています。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているA.Tさんから頂いた感想と無空の返信を、
参考までにご紹介させて頂きます。

A.Tさま

感想ありがとうございました。

> 無空さま
>
> 本日のセッションもありがとうございました。
>
> 始めの共鳴では、個を感じていると、“大我”という言葉が起こりました。
>
> アイコンタクトでは、言葉にならない感覚でした。
>
> 瞑想からハートの共鳴までは、イヤホンから聞こえる雨音のような雑音が
> ただ在りました。
>
> 立場をかえての共鳴では、その雑音が“世界”であると認識され
> その土台として「在る」「不動そのもの」がより確かさを増し
> 何ものにも影響を受けない「もと」そのものでした。
>
> ニュートラルでは、それの「軽やかさ」がただクリアに在りました。

自然で必要な流れが起こり、本質の認識がさらに確かでクリアなものとなりましたね。
>
>
> セッション後にあらためて認識されたことですが
>
> このゼロ意識共鳴を受けてからは、地に足が着くようになっています。
>
> 「悟り」の視点でばかり、物事を考え、判断、区別していたのが
> いつのまにか、本当に ただ 「普通」であったのだということが腑に落ち
>
> 日常、家事をし、食事を楽しみ、おしゃべりをし、喜怒哀楽が起こり
> 沈黙がただ起こる。
>
> ただ そう在るだけで、とても軽やかにすべてが流れています。

とても自然な感じですね。

「悟り」とは超人になることではなく、すでにそうであるものの再認識、

すでにそうであるものの深き理解、

その深き理解の存在全体に渡る浸透とも言えます。

それは、含み超えたものであるとも言えますが、

その超えたものが、自然、日常、普通、当たり前として在り続けています。

>
> 存在することは、「苦」であるともいえますが
>
> その「苦」は、以前の「苦しみ」とはまったく違います。
>
> 「苦」でありながら、とても軽やかで、「楽」そのものであることが
>
> あらためて感じられました。

それが(相対、二元、多様、現れを)含み超えたものの在り方、ただひとつであるものの在り方です。
>
> またこのところ、言葉がよくわからなくなり、ひとつの言葉で“それ”を表しても
> 反対もすべて含んでいることから、「???」でしたが
> それも「ただ そうである」と ただ在れることがとても素晴らしく感じます。

ひとつ(含み)超えられたかもしれませんね。
>
>
> 支離滅裂な感想になりましたが、笑
> そのまま送らせていただきます。
>
> 素晴らしいセッションをありがとうございました。
>
> 次回もよろしくお願いします。

こちらこそよろしくお願い致します。
ありがとうございました。

無空
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