あるがままの深まり

ここでは、「あるがままの深まり」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられている玉美さんから頂いた感想と
無空の返信を参考までにご紹介させて頂きます。

玉美さま

感想ありがとうございました。

> 無空先生、こんばんわ。
> 先日はありがとうございました。

> 私は幼少の頃から新興宗教に触れていて 20才頃 ある人から あるがままでいい という考え方を聞いた時、そんなのつまらない と感じたことを思い出しました。

聞く時期や受け取り方(その他には、話す方の理解の深さ等)などにより、感じ方は様々ですね。

> 最近まで その考えは 変わりませんでした。
> でもセッションを受け始めて少しずつ それでいいんだ ということに気づきだしています。

ひとつの視点からは、どのようであっても、あるがままでしか在りえないと言うことができます。
あるがままについての理解が深まると、より自然でシンプルで楽に軽やかに在れるようになってきます。
(このように表現すると、ブログ読者の方の中には、自分はまだ重さを感じるからだめだ、
というように考えてしまうマインドが起こる場合がありますが、
例えば、同じ重さを感じるのでも、それを軽やかにただそのまま受け止めるられるようになっていきます。
感じている重さの他にさらに余分なものを付け加えないようになっていきます。
もちろん、理解の深まりにより、感じる重さ自体もより軽くなっていきます。
またこれは、重さを感じている物事やその他すべてを軽んじるということとは違います。)

> それしかないから しょうがない と言う諦めにも似た思いです。

現段階での「あるがまま」に対する気づきと理解に対する(自我の)思いですね。
気づきと理解の進行、深まりと同時に、マインド(自我、思い)も徐々に変容、成熟していきます。

> 結局、諦めて手放すしかないのでしょうか?

真には、諦めて手放そうと思っている者が変容、成熟していくこと、

あるいは、別の言い方をすれば、諦めて手放そうと思っている者(自我)が、

手放されることが必要です。


(自我が手放されても残るものが在ります。それはとても馴染み深く、いつも自分自身とゼロ距離にある自分自身であるもの、純粋な気づき、純粋な自己、純粋な存在、平和そのもの、愛そのものです。

また、自我が手放されるとは、それから自由になるということでもあります。

現れの世界、そして、関係性の世界では、個的な感覚、純粋な個の感覚は必要に応じて自然に起こっていきます。

そして、様々な経験、体験を積む中で、様々な記憶、観念等が集積していき、それぞれの自我が形成されていきます。

それが自分自身となると、それをもとにしたあるがままが実現されます。

また、それが自分自身となると、記憶や観念、思い込み、パターンそのものも自分自身であるということですから、

まったくそこから自由ではなくなってしまいます。

無空庵では、純粋な個の感覚も含め自我ということが多いので、自然に自我も起こってきますという言い方もすることが多いですが、

在るの理解、真の自己理解が深まっていけば、純粋な個(個的現象、個的動き、個的傾向)に集積された記憶や観念、パターン等から自由になっていきます。

現れの世界での必要な知識、記憶等は、より自然に適切に使わるようになり、不用なものは落ちていきます。)


あるいは、主体の純化、ミックスされている真我と自我の識別


(ひとつの見方として、核に真我、その周りに記憶等を集積した自我が張り付いている、覆っている、というように見ることもできます。

もちろん、他の見方等、視点は無限にあります。在る、真我を純粋な気づきの一点という見方をした場合は、核という表現もなじみますが、

広がりそのもの、空という見方をした場合は、核という表現はあまりなじまないかもしれません。)、


そしてその後の深い理解による真の統合、

それまでの自我の立ち位置による現れの世界での体験等も含まれた上での、

源も現れもすべてはそれである、という大きく、あたたかく、かつ、全てを貫く透徹した理解、

絶対的に当たり前な理解、当たり前という表現すら余分なものであるくらいの理解、

すでにそうである、はじめからそうである、真に知っているところでの理解、

なぜそれをわざわざ表現する必要があるのか、というくらいのレベルの理解、


(そのようなところにくると、表現が起こらなくなってくることもありますが、

それをも超えて軽々と表現するのも在るであります。

━悟りの一瞥体験等を自我が言いたがる、伝えたがるのとはまた別のお話しです。━

在るは自分自身に絶対的に誠実で真摯でありながら、自分自身からまったく自由でもあります。

そのような在り方が、在るそれ自身を無限に深め、無限に広げ、無限に更新していく力となっています。)


そのような深い理解による在り方が実現されていくことによって、真のあるがままというところが分かってきます。

これまでもずっとそうであった(あるがままであった)ということも含め、

そのときどきの理解、立ち位置、在り方に基づくあるがままであったということも理解された上での

在るの実現、真のトータルな実現、在るがままが実現されていきます。

> 又、今週もよろしくお願いします。 

> 玉美

こちらこそよろしくお願い致します。

無空
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