現れの体験とそれ自身の直接体験

ここでは、「現れの体験とそれ自身の直接体験」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられている玉美さんから頂いた感想と
無空の返信を参考までにご紹介させて頂きます。

玉美さま

ご報告ありがとうございました。

> 無空先生、おはようございます。メールが遅くなって申し訳ありません。
> 特に変わったこのともないですが、あるを感じるだけでいいのか?という思いがでてきます。

はい、在るはすべて(あるいは、すべての現れの源)であり、真の自己、本当の自分です。
在るに意識を向け、在るを感じ、在るそのものであることは、在るを知り、在るを実現するための
もっとも直接的で、もっともトータルな実践方法です。

(在るで在りながら、そこから何かインスピレーションのようなものが起こってくれば、
起こるがままにしましょう。また、当然のことではありますが、現れのことに関しては、現れレベルで対処する
必要があります。)

> 私はやっぱり体験がしたいという焦りがぬけません。何か少しでも変化してほしい、という願いのようなものが意識のなかにみえました。

はい、それがあるのも肯定しましょう。
それは自然な欲求とも言えます。
そしてそれが本質へと導く力(方向づける力)にもなります。

(最終的には、マインドが成熟、変容していく必要はあります。
そうでないと、ポイントがずれてしまったり、また、悟りの一瞥的な一時的な体験が起こったとしても、
その体験を自分のものとして所有してしまい、本質的にはまったく個人の立ち位置から変わっていなかったり、
ときには、よりマインドが強化されてしまうことすらあります。
また、体験と言っても、ひとつの視点からは、在るの立ち位置からの現れの世界の体験
━たとえそれがどれだけ精妙だったり、神聖、神々しいものであっても現れは現れです。
すべてはひとつ、ワンネスというように感じる体験も、現れも含まれての本質的な体験と言える場合も多いでしょう。━
と、在るそのものについての直接体験、自覚、自己認識
と分けることもできます。━もちろん、どちらがよりよいということはなく、どちらも素晴らしい在るの体験ですが。━
悟りの一瞥的な体験も様々であり、両方が含まれていたり、どちらかがより強かったり等様々であると思われます。
━起こっては消えていく“体験”である限りはそのように言うことができます。━
また、既述したように、それがどれだけ直接的、本質的なものであっても、体験後に、マインドがそれをつかんでしまうと、
在り方としては、体験前と後でまったく変わっていないということになります。)

その最も核には、在るの自分自身を知りたい、自分自身を体験したい、自分自身を感じたいというものがあります。
そして、全体として、在るのひとつの現れ、マインドの欲求として現れています。
在るは、マインドとして現れ、様々な体験、分離に基づいた体験、個人体験等(分離感の中でもつながりの大切さ等も知っていきます)をしていき、
そのような側面からの自分自身、そのような在り方、視点からの自分自身を知っていきます。
それは、在るの自然なプロセス、自然な在り方のひとつです。

在るに意識を向け、在るを感じ、在るそのものであることで、分離をもとに動き、働いているマインドが“徐々に”変容していきます。
在るの質がよりマインドに浸透し、また、在るであることを重ねていくことで自己理解が深まっていき、
ベース、土台、主たるものが、個人ではなく、在る(源、本質としての在る)にシフトしていくと、
さらには、個人等現れも含んだ全体としての在るに(自然に、いつのまにか)シフトしていくと、
ひとつであるということに支えられた多様性(多様性そのものの素晴らしさ、違いを通して感じるひとつそのものの素晴らしさ等)を楽しめるようになっていきます。

> 悟りとはそういうものではないとわかっているのですが・・・

マインドはそのままにしておきましょう。
そして、在るに戻りましょう。

玉美

ありがとうございました。

無空
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