私は、このままで 不完全でも、未熟でも 偏っていてもそれでも いいんだと、思えました

ここでは、「私は、このままで 不完全でも、未熟でも 偏っていてもそれでも いいんだと、思えました」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているまるこさんから頂いた感想の続きと無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

まるこさま

感想の続きをありがとうございました。

> > こんばんは。
> >
> > 先日は、ありがとうございました。
> >
> >
> > セッションの前も、あとも
> > 胸の痛みが、続いていて
> > 胸の中が、クルクル回っているような
> > 感じでした。
> >
> > そんな時、テレビを見ていて
> > ある 俳優が 不完全さ、未熟さを
> > そのままにしておくって、大切なんだよな
> > というようなことを言っていました。
> > それを、聞いたとたん
> > 胸のクルクルが、止まりました。
> > 痛みが、収まりました
> >
> > その後、瞑想したら
> > 不完全な自分、未熟な自分が
> > ドンドン出てきて、
> > それを、受け入れるような感じになりました。
> >
> > ずっと、ずっと、
> > 私は、よくなろう
> > 回復しよう
> > 成熟しよう。。と
> > 頑張っていたんだと思いました。
> >
> > 私は、このままで
> > 不完全でも、未熟でも
> > 偏っていてもそれでも
> > いいんだと、思えました
> >
> > それでも大丈夫だと

はい、大丈夫です。
> >
> > 暖かい在るに、包んで貰えました。

在るは、すべてをそのまままるごと包んでいます。
それは、~しようと頑張っているときでさえそうなのですが、
どのような状態の自分でも、そのまま肯定できたり、
受け容れることができると、それに気づくことができますね。
(すでにそうであるものが、そのように働く、動く、体験される、
常に包んくれているものに、包んで貰えたと実感される。
そのように体験される。
そしてそれが、ひとつの実現とも言えます。
すでにそうであるものに気づくこと、それを自覚、認識し、理解すること、
それは、それそのものにとって、至上のよろこびです。

(すでにそうであるものが気づかれなければ、それは不活性状態のまま、
眠ったまま、いきいきとしていない可能性のまま
━気づかれている在る、今そのものは、いきいきとした可能性そのものと言えます━
潜在していると言えます。)

また、在るは、完全そのもの、成熟そのもの、バランスそのものであるとも
言えますが、その完全さの中に不完全を含んでおり、未熟、偏りも
全てを含んでいます。
すべてのすべてである在るは、そのように在ります。
不完全さ、未熟さ、偏りも、在るのひとつの側面、在り方であり、
それ自体が様々に新鮮な体験をもたらしてくれる素晴らしいものであり、
また、ひとつの視点からは、本質的には不変不動である在るを
その自然本性により、展開、成長、成熟させ、
さらなる完全性、バランスへと促す原動力にもなっているものとも言えます。

(もうひとつの視点からは、成長、成熟でもなく、常にただそうであるだけ、
さらには、常に成長、成熟、バランスし、同時に、ただそうである、
その他、すべてはただ起こっている、同時に本当は何も起こっていない等の視点もあります。
実感、実体験、自覚、直接認識、直知、直覚、また、それらに基づく洞察、理解により、
より多くの視点を包含できるようになると、より深くより大きく在れるようになり、
全てが味わい深くなり、同時に、よりとらわれがなくなり、より軽やかになっていきます。
ただ、それがよりよいということではなく、ただそうであるということです。
在る(ただひとつであるもの、ただひとつであるすべて)はただ在り、
ただそのように展開し、どんなときも、どんな瞬間も
常にただそうであるだけです。
在るにとって、そのすべてが同等です。
すべてが等しく素晴らしく、奇跡であり、同時に、すべてが自然、すべてが普通です。━)

そして、その原動力としての働きは、未熟を否定するのではなく、
未熟であることをそのまま肯定できたときに、トータルに働いていきます。

「頑張る」ということも、そこから自然に起こっていくこともあります。
自分自身をまるごと肯定した上での「頑張ろう」は、とても自然でとてもトータルです。

でも、さらに大きな視点から言えば、同じただひとつであるもの(在る、愛、全体)中で起こることですから、
行き着くところ、あるいは、帰るところは同じ在る、愛、全体、
あるいは、どんなときでも常に在るである、愛である、全体であると言えます。
否定から起こる頑張ろうも、ただ素晴らしく(トータル・ニュートラルな視点)、
そして、そこにはやはり何ものに代えがたい貴重な体験、新鮮な体験があり、
また、ただひとつであるものの中で起こるプロセスという視点からは、
それは、自分自身をそのまままるごと肯定し、受け入れることへとつながっていき、
ある意味、否定を経て気づいた肯定、その在り方は、
否定を知らない肯定よりも確かで、深み、厚みがあり、奥深いものとなっていると言うことができます。


> >
> > まるこ。

ありがとうございました。

無空

**********
おはようございます。


行ったり来たりの感じですが
少しずつ
在るに、お任せ
出来るように、なってきた
ように、思います。
本当に、ありがとうが
増えてきたように、思います。

まるこ。
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