在るに在るのが、いつもと変わらない感じです。

ここでは、「在るに在るのが、いつもと変わらない感じです。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているストライクさんから頂いたご報告と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

ストライクさま

感想ありがとうございました。

> 先週からの状況
>  あまり変わりません。
>  いつもどおりですが、
>  全然わからないんですけど、
>  自然が信号を送ってくるような気がしますが、

自然との親密性が増しているのかもしれませんね。
>
>  今週の前半は、エネルギー体のような感じは
>  していたかもしれませんが、
>  後半は、そう言う感じはしていないです。

はい、様々な感じは、やってきては過ぎ去っていき、
より自然になっていきます。
>
>  今は、在るに在るのが、いつもと変わらない感じです。
>  昔みたいに在るに在れるなと言う実感は有りません。
>  なので在る感が無いんです。
>  前は頑張っているところがあって、
>  それで一生懸命やっていたと言うのがあって、
>  それで手応えみたいに感じていたのかもしれません。

はい、初めは習慣がないですから、ある程度の頑張りが必要だとも言えますが、
実践を繰り返すことにより、より自然になってきます。
そして、実践を繰り返し、実感、体験を重ねることにより、
「在る」が感覚を超えた(含み超えた)理解となることが大切です。
>
>  瞑想は、電車に座って目を瞑って、
>  ただそれだけで、なんの変化もない感じです。
>  やった感が本当にないですね。

「無為自然」
というものがありますね。

>  瞑想をやっている時に、自分を見ていると感じがしていない。
>  目を瞑って目を開けたという感じです。
>  改善する必要があるのかな!

そのような在り方も素晴らしい在り方のひとつですが、
もうひとつ、やはり、自己を自覚する、認識する、
自覚できる、認識できるということも、
自己理解を深めるという点も含めて大事ですので、
そのような実践も行っていただくとよろしいですね。
>
>  瞑想ではなくて、在るに在ろうとすると
>  何かを見ているような感じがあります。
>  景色ではないと思いますが、
>  真っ白な広がりのようなものが見えたりすることがある。
>  そして、それを上から観ているという感覚があります。

自然にそのような感じになることはあるかもしれません。
また、それは見るということにおいて、これまでの習慣の力が働いている
ということもあるかもしれません。
>
>  自分自身は感じるだけで、見えることはないわけですよね。
>  気がついている自分というものが自覚できたときに、
>  その奥には行けないんですよね。

自然に深まっていくことはあるかもしれませんが、
そうではない「何かをしよう」という感じだと、
それそのものとして自分自身を直知するという感じとは
違ってくる可能性があります。

>  すぐ中を見たくなってしまうんですが、行けないんです。
>  その観じを味わうようにした方が良いんですかね。

はい、それそのものとして味わってみてください。
(そのことにより、自然に中が直知されるということが起こるかもしれません。)

また、自分自身に気づく、自分自身を意識する、自覚、認識することにより、
主体の純化を促すことができます。

自分自身を知りたい、というのは、知そのものである在るの本性とも言えますが、
そこに個人的なものが加わってくると、それそのものとしての直知からずれてくる可能性があります。

それを正し、純化していくのが、自己の自覚、それを繰り返す、ということです。

それは、自らに光を当てるということでもあり、

また、光そのものである自分自身を自覚、認識するということでもあります。

意識とは光、

気づきとは光です。

存在の光、

存在そのものの光、

リアリティ

感じる、知る、という光。

明晰性、明るさ、光明そのものです。
>
>  ありがとうございました。
>  
>  ストライク

ありがとうございました。

無空
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