自分がいれもののように感じました。静かでした。

ここでは、「自分がいれもののように感じました。静かでした。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているみずほさんから頂いた感想と無空の返信を参考までに、ご紹介させて頂きます。

みずほさま

感想ありがとうございました。

> > 無空さま
> >
> > 本日は、セッションをありがとうございました。
> >
> >
> > 現状:
> >
> > 「自分は居ない」という方向の
> > 覚醒に関するセッションを受けさせていただくのと同時に

「自分」というのが、現れである自我、個人ということで言えば、
「自分は居ない」というのは、本質的な視点、究極の視点からは、
それは絶対的な真実であるとも言えますが、
一時的な現象である現れも含めたトータルな視点からは、
現れも含めたすべてが「自分」であるということも言えます。
> >
> > 今までやらなかった、
> > 仕事の方向性を確立するための「ビジネスにおける自己分析」のような
> > 「自分をみる」ことをたくさんしているのが不思議です。

それが現れにおける自然です。
個人である自分が、在る(真我)からの自然現象として起こってくるのと同じように、
それは、個人である自分が起こってきた流れの中で自然に起こってきます。
> >
> > 瞑想的なことに集中して取り組むと、
> > 私の場合は、意識が上に行きがちなので
> > バランスを取っているのかもしれません。

在るは、全体であり、バランスそのものでもあります。
ただひとつであるものであるそれは、現れも含めたそれ自身において、
常にバランスそのものであり、
また同時に、常にそれ自身の中で起こっている現れ全体のバランスがとれるように働いています。
> >
> > 覚醒した人のキャラクターについて考えています。
> > 自分が落ちると、キャラの濃い人はどうなるのか。
> > 皆、静かな感じになってしまうのか。
> >
> > 無空さんからは
> > 「元のキャラクターの濃さでも、他者に不快感を与えるのではなく
> > より調和して、良い感じになる」とのお言葉を戴きました。
> > 納得しました。

在るは、無限そのものであり、そこには無限の質、無限の側面があります。
そしてその現れ方は、多様であるのが自然です。
マインドが成熟し、透明になると、在るの様々な質は、
歪められたり、曇らされたりすることなく、
より直接的に、よりトータルな形で現れてくるようになります。
> >
> >
> > 共鳴 ♯8
> >
> > 全体 無空さんの隣に、自分が画面上に写っていたので
> > 自分とも共鳴してみたら、無空さんと、明らかに「質」が違ったので、興味深く
> > 感じました。

そこから、在るには様々な質、側面があるということも分かりますね。
> >
> > アイコンタクト 自分がいれもののように感じました。静かでした。
> >
> > 瞑想 頭頂部がチリチリとしてから、だんだんと胸の方に圧が行き、最後に腹部
> > に行く様子を
> > 見ていました。
> >
> > ハート いつもは開いて軽やかという感じなのですが、鉄板のような重さを感じ
> > ました。
> > なにかが出てくるのかもしれないと感じました。(そういう事は楽しみと感じます)

はい、自然に何かが浮上してきているのかもしれませんね。
> >
> >
> > 次回もどうぞ宜しくお願いします。
> >
> > みずほ

こちらこそよろしくお願いします。

無空
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