意識的に観えない部分

ここでは、「意識的に観えない部分」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているストライクさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

ストライクさま

感想ありがとうございました。

> 遅くなりましたが、先週のセッションの報告をいたします。
> どのような内容を報告すれば良いのか解らなくて遅くなってしまいました。

お試しのセッションの際に、簡単にお話しさせて頂いたかと思いますが、
セッション自体の感想でも、その後に気づいたこと等でも、どのような内容でも
かまいません。
形式も問いませんし、短くても長くてもまったくかまいません。
思いつかれたこと、覚えていらっしゃること等を書いて頂ければ結構です。

> 内容は、セッションでお話したことを、録画をみながら、書き起こしした
> 無いようにしました。
> 以下、その内容です。
>
> 1)前回からの感じ
> 前は頭の内側に観えない部分が有り
> そこから前方のスクリーンを見る感覚があったが
> その下に水面みたいなものが有るのが感じられる。
> そこから下には行けない。
> 真ん中に何か一つ有るような感じがし、
> そこから見れるっていう感覚が有ります。
> 何かよく解らないが、それが出てくると
> 逆に内側から見ると言う感覚がおろそかになってきます。
>
> 頭の中に意識的に観えない部分が有り、

そこを(もし、可能なら、そこ自身、それ自身として)ただ感じてみられるとよろしいかもしれません。
自分自身(在る・真我・気づいている意識)を見ることはできません。

> そこからスクリーンを観ているいるのだが、
> その下に水面みたいのが有り、その中心に何かが有る。
> その水面みたいのは観れるのだが、その下は観れない。
> そんな感じが新たに出てきました。
> それ以外はあまり変わっていません。
> ついつい対象を見がちになってしまうのと、
> 内側から観ている時は、ほとんど思考が停止してしまい、
> 考えていない。
>
> 在るっていう感覚の練習もしてみました。
> 在るという感覚の場合は、
> 全方向というよりは半球状の上半分360度観える感じで
> その下は全然無い感じで、体を覆う球の上半分が観える。
> 後ろに何かが実際に見えるわけでは無いが、
> 感じとして観えているような感覚が有ります。

それそのもの、在るそのもので在るときの感覚も、
実際に視覚的に見えているわけではないけれども、
見えている、あるいは、知っている等の感覚があることがあります。
(相対を超えたただひとつのものである在るの領域においては、
見えている=知っている=感じている=聞こえている=味わっている
等すべてのものがイコールとなります。)
>
> 2)電車の中での瞑想について
> 眠らないように意識を保とうとすると
> 結構苦痛です。

はい、無理に頑張って保とうとしなくてもよろしいです。

> 昔は色々出て来たのですが、
> 電車の中で瞑想していてても、
> 最近は、何か想念が出てくるわけでも無い。
> 出てくればそれをそのまま見ていれば良いと
> 思ってはいるのですが。

もしかしたら、個人がいない、あるいは、かなり薄い状態になっているかもしれません。
そうだとすれば、あとは、それをどれだけ自覚できるか、認識できるか、というところですね。
(でも、苦痛になるような意識の仕方はしない方がよいです。)
>
>
> 3)その後
> ”それ”は在る
> ある御方と探求者の対話
> ヘルメス・J・ジャンプ著
> を読んで、「在る」の勉強をしています。
> これまで読んだ本の中では、
> 一番確信に近いもののような気がします。
> これまで読んだ本は、最終目標を明確にせず
> そこに至る方法について書かれていたような
> 気さえしてしまう内容の本です。

今のストライクさんにとても合っているよい本に出会われたようですね。
読み進めて頂けるとよろしいと思います。

> ストライク.

ありがとうございました。

無空
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