「私は既にそれである」。

ここでは、「「私は既にそれである」。」 に関する記事を紹介しています。
今回はセッションを受けれられているNさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

Nさま

感想ありがとうございました。

> > 無空様
> >
> > こんにちは。Nです。感想を送らせていただきます。
> >
> > 2014,4.7.(2010年11月8日より256回目)
> >
> > セッション:だいたい静かでした。
> >
> > 今の私の焦点は「あるがままで在る」ことです。
> > 「あるがままで在る」とは、「自分・他人・環境のすべてを否定しない、そのままであることを認める、しかし、変化も認める」こと。
> > 「あるがままでない」とは、「今の自分・他人・環境を変化させたいと思う、希望・願望・欲求する、悟りたいと思う、より良い人間になりたいと思う、世界を変えたいと思う」などです。
> > 「あるがままで在る」ことと「悟り」との関係は、「あるがままを認めないのはエゴ(自我、行為者としての自覚)の作用で、あるがままで在り続ければエゴは消滅する。エゴが消滅し、ただ意識として存在していれば、それが悟り」。
> > 「悟りたい」と思わなければ悟りにはなかなか到達できない(とされてきた)が、「悟りたいと思っているうちは悟れない」という自己矛盾。ただ、それもこの見せかけの現象の世界の中の話で、悟りの世界(ニルヴァーナ、真我)には何の矛盾もない。
> > もともとエゴも架空の存在で、元から存在しないし、そういう意味で、悟りは初めからすべてに行き渡っている。「あなたは既にそれである(あるがままのあなたは既に悟っている)」とマハラジやマハルシが言うのも、そういうこと。
> > 初めから何もする必要はなかったのだ。

そのことに気づくために、あるいは、「する」という傾向を持つマインドが成熟するために、
様々なプロセス、体験を通っていく(そのプロセスのひとつひとつ、体験のひとつひとつもまた、
同等に価値があり、素晴らしいものであると言えます。)、という見方もできますね。
また、「すでにそれであったこと」、「すでにそうであったこと」に気づくこと、
それを自覚、認識すること、そして、真に腑に落ちて知ること、理解することを「悟り」という言い方もできますね。

> > 元もと「あるがまま」であったし、今も「あるがまま」だし、悟りは初めからあった。
> > 悟るために何もする必要はなかったが、しかし、何かをしてもOKだ。
> > 要するに、何でもOK。
> > 悟るために修行も断食も聖典を読むこともグルも信仰も、そして共鳴も、何も必要なかった。
> > 「私は既にそれである」。

よいところに来ましたね。
> >
> >
> > よろしくお願い致します。

ありがとうございました、

無空
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