在るを知っている個人から、個人を知ってる在るへ。

ここでは、「在るを知っている個人から、個人を知ってる在るへ。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているはるかさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

はるかさま

メールありがとうございました。

> 無空さま
>
> 昨日のセッションでは思いがけず長く時間をとっていただくことになってしまい、申し訳ありませんでした。
>
> 「存在の自然な流れに同調して生きていけばよいのですよね?」という質問に
> 「はいとは言えない」と仰って下さったこと、沈黙、そして無空さんのお言葉の全てを
> なんとも言えない衝撃で受け止めています。
>
> 全く個人の立ち位置でした。生き方の指針を求め続ける私個人の物語の中にありました。
> 「在る」を知った個人の私が、自分のマインドのパターンの中に取り込もうとしていました。

本当によく気づかれましたね。
>
> あの後ずっと自分の壮大な物語に気づく、が起こっています。それはほんとに恥ずかしい
> 自分の未熟さが次々、です。今それらをうまく取り繕ってきれいにまとめるより、(それこそ、個人の
> 立ち位置を強固にしてしまいそうです)しばらくはそのまま、ただ「在る」に任せて、と思っています。

それがよろしいと思います。
そして、「在る」に任せるのも、個人ではなく、「在る」自身であるということ。
あるがまま、起こるがままという感じがいいですね。

>
> とりあえず、無空さんに昨日のお礼とお詫びを述べたいとメール致しました。

お詫びの必要はまったくありません。
今は、個人の立ち位置から在るの方へシフトしていける可能性が開けてきて、それがより濃くなってきているというところです。
そのタイミングでの、今回のお話しでしたらので、とても微妙なお話の仕方になりましたが、
(現れレベル・生活のことを考えるときには、もちろん個人の視点も必要ということも含め)
どうしても、「はい」は起こりませんでした。

(「存在の自然な流れに同調して生きていけばよいのですよね?」ということは、
これからずっと個人の立ち位置から在るに同調していればよいのですよね?
ということでもあり、━そういう意味で、「それでは、弱いです。」という言葉が
出ましたし、「(これからずっとではなく)、2~3日、1週間くらいということでしたら、
「はい」と言えます。という言葉も起こりました。)
立ち位置だけに焦点を当てて極端に言えば、
「これからずっと個人の立ち位置にいていいですよね?」と言うことにもなります。)

でも、そのことにより、今在る立ち位置がはっきり確認ができたと思います。
在るを知り、その認識や実感がどんどん増しているようなときには、
まだ個人の立ち位置でも、強くその立ち位置を指摘したりするということは
あまり起こらず、在るの認識や実感がより増していくという方に焦点が当たることが多いです。
時機が適切でないと、指摘してもピンとこなかったり、抵抗や混乱が起こる場合もあります。
それに気づいて頂く時機、自然で適切なタイミングというものがあります。
今回は、それが起こったということでもありますね。
(必ずしも一度だけでなく、2度、3度と起こる場合もあります。その度に、シフトは
より確かなものになっていきます。)

> もう少し落ち着きましたら、またメールさせていただきます。
>
> はるか

はい、お待ちしております。

無空

*************

はるかさま

メールありがとうございました。

> 無空さま
>
> メールしようと思っていましたところ、無空さんよりご丁寧なメールを頂戴してしまいました。
> 無空さんのお言葉をひとつひとつ噛みしめながら読ませていただきました。
> 仰ること全てその通りで、とてもよく分かります。本当にありがとうございます。
>
> 「でも、そのことにより、今在る立ち位置がはっきり確認ができたと思います。」のお言葉どおり、
> 「在る」を知った個人の立ち位置だったことがよ~く分かりました。

はい、スタートは皆さんそこからとも言えます。
>
> 若い頃から私は本質的な生き方を希求していて、それには自分の感覚や気持ちに正直に生きようと思っていました。
> 個人主体で自身の内側を見つめてきたのです。

わたしも、自身の感覚や気持ちに正直に生きてきました。
在るを知り、そちらが主体になるまでは、ある意味で、それが最善とも言えるかもしれませんね。

(主たる立ち位置は変わっても、在るから起こるがまま、あるがままという点では、在り方の傾向は
同じであるとも言えますね。)

> でも、自分の感覚や気持ちといっても不確かで、いつも自信がない不安定な状態です。

そうですね。
感覚や気持ちはいつも同じというわけではなく、ひとつの視点からは、不確か、不安定と言うことが
できますね。
わたしの場合、在るを知るまでは(それが、本当の自分だと再認識するまでは)、そのときそのときの自身の感覚や気持ちに正直に生きる、それしかない、ということを、ときどき確認しながら生きてきました。

> そのため、生きる指針、心の持ち方の方程式、公式みたいなものを求めていて、信頼を寄せる人に
> これでいいですよね、と確認を求めて安心したいのでした。

そうでしたか。
現れの世界は、常に変化し続けますから、個人にとっては、そのような公式のようなものがあると
助かりますね。
ただ、その個人自体が、現れであり、起こっては消えていき、また、現れ、そして、変化していく
という不確かで、不安定なものでもあるとも言えます。
(ですから、変わらない公式のようなものに焦点を当てることによって、ある程度、あるいは、一時的に安定性を増すことができるということは言えます。)

変わることのない在る(真我・愛・全体・ひとつであるもの・気づいている意識)を知ることが、その不確かさ、不安定さを超えていく、ひとつの鍵になりますね。
>
> あの後しばらくは、個人である自分の生き方の癖やパターンを次々思い起こしたり、
> 個人の立ち位置と「在る」の立ち位置?について無空庵のブログを読んだりしながら思いを致したりしてぼ~っとしていました。
> 無空庵で「在る」の在り方に触れ、影響を受けつつも、個人主体から全然抜け出せていなかったことにどかんと気づきました。

これまで多くの方を見てきていますが、長年の習慣、そして、マインドの成熟等のポイントがありますから、ここは、ある意味、多くの場合、本当に少しずつ徐々にシフトして行くものである、と言うことができます。
>
> セッションの後、あれこれ思いを致していた時、自分が落ち込んでるかな~?と思ったのですが、それが驚いたことに、落ち込んではいないのでした。

すでに変容されていますね。
そういう意味でも、ご自身の主な立ち位置に気づく適切なタイミングでもあった、ということが言えますね。
前回のメールにも書かせて頂きましたが、不適切なタイミングで指摘しても、ピンとこなかったり、
抵抗や混乱、または、書かれてあるように、落ち込まれたりが起こる可能性もあります。

> 無空さんが仰ったことが本当にすんなり受け入れられて、というか、そうだって分かってたみたいな感覚があったのが不思議でした。

気づき、受け入れられるタイミングだったということですね。
ただ、日常生活の中では、個人の立ち位置が自然に起こってくる場面は多くあるとも言えます。
在るが本当の自分であるということが深く理解されていると、意識せずとも、それが、個人の立ち位置が起こっているときにも、より深いところからそれを支えている、または、個人の立ち位置の中に、それが浸透しているようになる、ということができます。
真の自己に対する深い理解がありますから、現れている個人は、とても軽やかなものとなります。(同時に、味わい深くもなります。)

> 無空さんが確か「在る」の深い愛、と仰ったと思いますが、ほんとにそうだと思いました。

それはいつも在ると言えますが、ある意味、厳しいことをお伝えする際などには、それがより強く表に出て働くということがありますね。
>
> 2日後、一晩よく眠ってすっきりしたら、とても軽く、つまらないことで悩まない感覚に充ちていました。「在る」の感覚、と直感しました。

そうですね。
在るは、とても軽やかで(同時に、重厚感等もありますが。)、何ものにもとらわれません(とらわれるということが起こることにも、とらわれません。)。
>
>
> 「「在る」に任せるのも、個人ではなく、「在る」自身であるということ。あるがまま、起こるがままという感じがいいですね。」に今は深くうなずくことができます。

はい、通常、任せる、手放す、委ねる等は、個人側から発せられますが(在るから、個人を通してではありますが、より自然に、より直接的に起こってくる場合等も在ります。)、それはその立ち位置にあるからであり、それがそのときの自然であり、そこから在るの方へとシフトしていければよろしいと思います。
そして、やはり、個人の立ち位置に“いる”(“在る”ではなく、個人の場合は、“いる”という表現が自然に起こってくる場合が多いです。表現上、その方が自然な場合は、無空庵でも“いる”を使う場合もありますが。)場合、個人の立ち位置にいるということに、気づかれているといいですね。
また、上に書かれてあるように、在るの立ち位置にある場合は、任せる、手放す、委ねる等も、
在るそのものである自分自身、ただ在る自分自身に任せる、委ねる、そして、自分自身から手放しが起こる、という感じになりますね。


> 「在る」の感覚を大事に大事にしていきたいと思います。

はい、その感覚を大事にし、何度も感じること、そして、在るそのものであることで、自己理解を深めていきましょう。
感覚は、ある意味、その都度変化します。
深い理解は、感覚等の変化に左右されません。
よりゆらぎなき在り方を実現できます。

> 今回このタイミングに感謝、そして、無空さんに感謝です。
>
> これからも宜しくお願い致します。
>
> はるか

こちらこそよろしくお願いいたします。

無空

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