ラマナ・マハルシ「不滅の意識」より

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水滴

昨日に続き、ラマナ・マハルシの本(不滅の意識)から

すべての(宗教的)教義は、大衆を真我の本当の真理に誘うための予備段階にすぎない。
諸宗教は、開祖の最高の表現と最高の知恵を必ずしも必要としない。
開祖は彼らが生きていた時代と人びとの精神的受容力を考慮せねばならなかった。

最高の知恵は、大多数の人びとの心にとってあまりにも微細であり、したがって、世界、神、身体、進化などの全体の構造は、人びとが一つの実在ー真我の単純な真理を信ずるよりもむしろ、これらのことを信じるほうがより容易であるらしいという理由で、公表されねばならなかったのである。

そのように、再生(輪廻)、アストラルのレベル、死後の生存などは本当であるが、しかし低い見地からのみ言われてきた。

すべては見地の問題である。

本当の真我の、最高の見地からすれば、すべてその他のものは架空のものとして消えうせ、実在だけが残る。

微細な、アストラルな身体が存在するのは本当だ。
なぜならば、夢の世界において機能するためには身体が世界にとって必要であり、しかしそれ自身のレベルにおいてのみ実在であり、一方われわれがそれに気づこうと気づくまいと、ひとつの真我は常に実在し、つねにそして永遠に存在するからだ。
それゆえそれを探求するほうがいいのだ。
なぜなら他の身体は条件付きでのみ実在するからだ。
 
普通のクリスチャンは、神はどこか遠く離れた天空にいて、われわれにはそこに到達する力が与えられておらず、キリストだけが神を知り、彼だけがわれわれを救済できる、と語られるときにはじめて満足する。
したがって天の王国は彼の内にあるという単純な真実が語られるとき、クリスチャンは満足せず、その言葉の中にいっそう信じがたい意味を読み取ろうとするだろう。
成熟した心だけがすべてのその赤裸々なことの中に単純な真理をしっかりとつかむことができるのだ。

無空:
最後の方は、「普通のクリスチャン」ということで例にあげられていますが、これはけっしてクリスチャンの方に限りませんね。
神を自分の外にあると思っている方、別の存在、自分より大きな存在だと思っている方全員へのメッセージです。

そして、はじめの方にあるように、世界、神、身体、進化などの全体の構造も、幻想の世界に合わせたお話、物語ですね。(この世界自体が物語ですが)
創造、幻想は起こり続けますので、その全体構造も理解した上で、すでに自分はゴールにいる、はじめからそこにいる、そこから一歩も動いていなった、自分自身が天の王国、神(無・空・愛)そのものだったとに気づくこと。

そして、その理解を持った後に起こってくる創造現象は、自分で何かをしている、自分が何かをしている、というものではありません。
その言葉通り、それは、(自分を通して)ただ起こってくる、というものです。
(さらには、それも無の戯れであり、本当はそれ以外何も存在しないので、実は何も起こっていない、ということになるのですが。)

観照者はいますが、そこに行為者はいません(自我・エゴである自分)。
もう、行動や幻想に巻き込まれていない状態ですね。

それらに巻き込まれず、ただ在るという状態、ただ愛であり、至福の中に在る、幸せそのものとして在るという状態です。
それがラマナ・マハルシ(マハリシ)やニサルダッタ・マハラジの意識状態ですね。


真理、真実とは本当にシンプルです。
常に動き回り、物事を複雑にし、そこに意味づけをし、達成感や納得が欲しいマインドには、あまりに単純すぎてなかなか理解出来ません。
それを知るには、マインドとハートの成熟が必要です。

そして、そのために、それぞれの人にそれぞれの今が与えられています。

過去を引きずらず、未来を憂わず、

今を生きること。
今に在ること。

それを続けて行くことが大事ですね(それしかないのですが)。

今は常に新しく、愛と生命と恩寵に満ち溢れています。


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