無空庵の個人セッションは、ゼロ(仏教では空)の場による心の浄化法、本当の自分を知る方法、心の平和・愛と幸せ・真我覚醒・真我実現を促す方法です。

●ゼロ意識共鳴で、真我・無限の愛である本当の自分に目覚め、本当の自分を実現する!

真我はただ在る。ただ自分自身(愛)である。シンプルな生き方。シンプルな在り方。
無空庵で「愛」(存在の愛)と「空」、そして「在る」こと(自分自身であること)の素晴らしさを知る。
悟り・覚醒・変わらない愛と幸せ・心の平安を実現!

無空庵では、スカイプで全国の方を対象に、ゼロ意識共鳴個人セッションを行っています。
個人セッションは、ゼロ(仏教では空)の意識の共鳴ワークであり、心の浄化法、本当の自分を知る方法、無限の愛と自由、心の平和、本当の幸せ、真我覚醒、真我実現を促す方法です。

ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、フーマン、エックハルト・トール、ガンガジ等の言及する「悟り」「覚醒」「真我」「本当の自分」の実現をサポート!メッセージ1 メッセージ2

※多忙のため、セッションに関するお問い合わせの返信には、数日~1週間くらいかかることがあります。また、同様の理由により、読者の方からのご質問にはお答え致しかねます。ブログへのコメントにもお返しできないことが多いと思いますが、あわせてご了承願います。

公開・日々の小さな合同共鳴
※どなたでも、森羅万象あらゆる存在の意識参加自由。
毎日6時、10時、11時、11時40分、13時10分、16時15分、17時、18時、21時 2011・11・3~
(6時以外は、無空庵の基本セッション時間です。)。
各30分(その内何分でも構いません。ただそっと意識を向けてみてください。そして、できる方はご自身の存在感覚、在るという感覚、又は、気づいている意識に気づいていてください。)
※参加された方々の記事。
蓮さん①, wingさん①のびのびさんsatorinさん

公開・週一合同ゼロ意識共鳴
※どなたでも、森羅万象あらゆる存在の意識参加自由。
毎週木曜日21時と21時30分から各30分間。 2011・11・10~
※こちらの記事もご覧ください。合同ゼロ意識共鳴は、集合意識の変容を促す。+感想③
第1回感想①感想②
※参加された方々の記事 しみっちさんWingさん蓮さん


青森‧奥入瀬渓流_54 / 柳雩


今回は、セッションを受けられているSさんから頂いた感想(セッション書き起こし)を、参考までにご紹介させて頂きます。(その1)

Sです。遅くなりました。書き起こしはもういつくか済んでますが、整えたものから順次送ります。
今回は11回目のセッションです。 
この頃はまだ、セッション中の「体験」が大きく出てる流れが残ってる頃でした。 
今(11/16)は、こういう大きな体験より、マインドに影響されない「それ」が感じられればもう充分という感じになってきてます。
一つ一つ体験するより、そこにあればもうすべてがあるから。ただただ、そうであるからという感じでしょうか。

無空:もう充分という、今に満足できているという状態は、マインドが成熟してきていることを表していますね。

■11回目(9/17)セッション (無:無空さん、S:Sさん)

無:「こんばんは」

S:こんばんは

無:「調子はいかがでしょうか?」

S:なんかが、安定・・というか、なんかすごい動かない部分が結構長くあるというか、成果が出てるなぁと言えるようになってきて、

無:「いいですねぇ。顔もどんどん変わってきてますからね。しっかりしてきた感じ。表情とかね、自信もついて落ち着きもあって、精悍な顔つきというかね。まぁ毎回あれだけの体験されてますからね(笑)、自ずとねそうなっていきますね。」

S:わずかながらあったものが、前回のでかな、結構分かってきた、というか、前回のハートの感じとか、あそこまでばーーとはなってないですけど、あれの落ち着いた感じがずーーとある、なんかこう感覚・印象で言うと、胸を中心としたまわりにずーとあるというか。
色々感情とか身体の痛みとか、これをこのままほっとこうっていうのをやれるようになってきたのか、だからいつでも感情とぜんぜん別でこっち側の平和が意識すればずっとあると言うか同時にあると言うか。

無:「すばらしいですね」

S:それが自分でも解ってきたというか、安定してきた。これはずっと変わらないしなぁっていう、のが出てきて

無:「いいですね、そうそう」

S:その感じだけがずっとあるからなんか不思議な。どうしようとかしてるわけじゃないんだけど、

無:「自然にね、努力とかいらない、してない、『ある』自体は努力なし、努力しても変わらない(笑)」

S:ある自体は何してても変わらない

無:「でも、感覚的にそういうのが出てきたってのは・・それはまたちょっと変化する可能性はありますね、いい意味でね。こういう感じがまた別の感じに」

S:そうですか。まだ印象としてそういう感じの側面だから。

無:「でも、いいですね、そういう変わらないもの、動かないものが出てきて、あと感情から離れて別のところにいられるってのはね」

S:あと、いろいろ日常でも、なにか体験があったように思うんです

無:「その感覚が出てくるとね、日常でもものすごい体験というか、わかる、次々とね」

S:そうですね、いろいろありました。
全部価値が無い(価値が並列)と見える状態とか、その状態の時は、あぁなってるなぁ、と思ってるんですけど、その状態じゃないと忘れちゃうんだけど(笑)、あはは、そういう側面が結構出てきて、

無:「次々と、気付きがあるわけですよね」

S:まぁまだまだですが、前は本当に「どこへやら」でしたが(笑)、

無:「それが回数重ねるとね」

S:結構内側で進行してるという

無:「そうです、外側から取ってつけるものじゃなくてね。だから、消え去るものではないわけですね、着実にこうやってね。まぁ育ててと言うかね、もともとあるんですけど、でも育てていくという。非常にいいですね。」

S:おかげさまで(笑)
あと、ブログに載ってた本を買ったり、色々借りたりしてまして、(ラマナ.マハルシ、ニサルガダッタ.マハラジ、「キリストのヨーガ」とか、ガンガジとか)色々読んでみようと思って、
同じものを扱ってるんだけど、なんだろうそれぞれ認識の度合いというか仕方というか、違いがありますね

無:「フーマン的にいえば、質と香りが違うっていうね。」

S:そうですね。でも、やっぱり、参考にするだけというか、表現するときの材料なんだなぁって

無:「そうそう。自分の確認にもなるし。ただ、Sさんの場合、本以上の理解に行ってるので(笑)。だから、他の人に伝える時とか、その人その人に合わせてとかね。そういう意味では、いろんな言葉とか表現を知ってた方がいいですよね。」
「『キリストのヨーガ』なんかも昔読んでて結構深い意識に入ったような時もありましたからね。出来ごとのところはさっと読んで、大事なとこだけしっかり読んで(笑)。ニサルガダッタ.マハラジは最初に読んだからかもしれないけど、私は結構あれが好きなんですよ。」

S:でも、確かに、ラマナ.マハルシ、ニサルガダッタ.マハラジの二人はぴぴっとくるというか、

無:「あの二人の方が深いですね。フーマンは同じくらいの深さで解りやすいですけどね。」

S:フーマンはわかりやすく、セッションの様子が描写されてるから(その感じている事の内容は書いてないけど)、その感じは一番伝わってくる。言葉で描写するときは、さっきの二人が、

無:「ニサルガダッタ.マハラジとかは、いろんな視点から、いろんな質問者の質問に合わせて答えるから、いろんな・・「空」とか「真実」の「真我」のと・・いろんな視点が見れるかなぁと言う感じがしますね。まぁ答えがやっぱすごいですね、答え方がね(笑)。知性がすばらしく働いてる感じですね。真我の『知性』の部分が。あとは態度が好きですね、わたし的には、絶対の位置から絶対に動かないという、そこから常に話す、その観点からね。いっさい妥協しない、マインドの質問にね(笑)」

S:あとは、先日流れで、○○カフェってのに行ってきました。
シスターさん達がメッセージをくれるんです。チャネリングと同じなんですが。

無:「だれからのメッセージとか決まってるんですか?」

S:それは、『主』です。

無:「主ですね」

S:そのへんの詳しいことはわからないんですが、キリスト教的な言葉は使うんですが、出てくる内容はキリスト教には関係ない普通のチャネリングの感じなんです。
そこでの表現で、主が『私があなたを創りました』とか、『あなたをすべて解っています』『私が計画しました』とか出てくるんですね、『それ』を人格化した表現ではあるけど、言ってることはすごく、そのとおり、というか、全部主(それ)が創ってるし、全部主が計画しているし、とか、それらの本当の意味がわかりながら聞けたんです。キリスト教での描写も、そこから来てたんだなぁって。
で、そこでの僕へのメッセージが、今この共鳴セッションを僕が体験してる事を把握してくれてる内容で、それを言葉化してくれてるんですが、「頭ではわかんなくても、あなたの霊の部分がちゃんと私(主・それ)をちゃんと受け取って暖めていますよ、無くなっていませんよ」とか、「私の事をあなたはもう知っています」とか。

無:「いまこの状態になって」

S:そうなんです。『もうすぐ迷いもなくなりますよ、自分で迷う事をしなります』とか、『わたしの事がわかります』とかそういう感じのメッセージだったので、ああ、このセッションのことだなとわかったので面白かったですね。

(実際の一部を載せますね→「私はあなたにすでに私の言葉、私の思いたくさんたくさん与えてきました。
あなたの中でそれは明確な光となってあなたの中に在りますよ、無くなっていませんよ。
あなたの中で神の言葉、神の思いは光輝いています。
そしてあなた自身は頭では認識できなくても、あなたの霊はそれを喜びそれによって暖められています。
ですから、わたしはあなたにすでに多くのものを与えてあなたはそれを受け取っているという事を信じて下さい。
何も足りないものは在りません。
前に進み続けて下さい。
トンネルから出ます、そしてあなたは私を知るようになります。」
「だから心配しないでください。私はあなたの事を知っています、そして導いています。
あなたも私を知っている、その事を私は解ってますよ。
ですから、安心して歩んで下さい。
わたしの範囲の中にあなたを置いています、囲いの中にあなたを置いています」)

でも、元は、そこを描写してたんだなぁって。キリスト教も、時代に合わせて『それ』を人格化して表現をとらざるを得なかったんでしょうけど、まぁそういう人格的な側面もあるんでしょうけど、でも、世界の歴史上の全部がいろんな表現で『それ』は描写されてるんだなぁと。

無:「そうですね。それぞれみんな、視点というか見方というかね、その人にはどのように見えたかによりますけどね。どう起こってきたかという観点もありますけどね。でも、『これ』が分かると全て同じだってことがわかりますよね。こう見るとこう見えるんだとか、こっちからだとこう見れるとかね。」

S:なるほど

無:「まぁさらによりしっかりわかってくるという感じですかね。ひじょうに素晴らしいですね。」

S:あとは、そういえば、前回、頭痛がしてたんですが、セッション受けてる時はすっかり無くなってました。

無:「やっぱり、身体の状態も、疲れてる人がうけて終わるころにはかなり疲れが取れてたり、あとは、かなりうつ状態の方がセッションを数分うけて、元気になったりとか。あとはあらゆる瞑想とか気功とかいろんな事をやった方が、脳の変化とかにもすごく敏感で、無料体験の段階で「目を開けながら瞑想と同じ状態になりますね」とかってね、あとは脳が開いてくる感じがします、と言ってらしてましたね。
初めは脳が変化していってるのが今は脳が整ってきたって言ってましたね。
共鳴中はだから脳がそれなりの状態になるんですね。
それが週一でやっていくと、脳の状態がある意味定着していく。
ブログでは生理状態が変わっていくという書き方にしてますが。だから、安定してくるわけですね。こういう感じが。」

S:なるほどなぁ

無:「たまたま私が整体しててね、体質改善するには週一のペースで3ケ月とか半年とかでするのがいいってのが分かってたし、あとは、整体受けながらアイコンタクトとかで共鳴してそれで覚醒されたので、これはやっぱり週一ペースがいいのかなというね。あとは、瞑想の教師をやってた時にも、意識状態に対応した生理状態とか脳の状態とかがあるっていうことを知識でも知ってたし、なので、この週一というペースがおすすめという感じでね。それで定着してくる、このペースがベストかなぁと。無理なく定着という。」

S:なるほど、そうなんだ。

無:「頭の状態が私の脳というか空の状態と同じに、共鳴だから。」

S:それに合わさっていくということですね。

無:「本当の自分は体ではないですけどね、でもやっぱりこの身体があることで、あれが安定するわけ、定着する訳ですね、ある意味ね。」

S:へぇぇぇ

無:「そういう意味では、面白いですね、肉体持ってね。まぁ肉体でなくてもいいかもしれないけどね、まぁあるレベルの体。でも肉体が一番ある意味密度が濃いって言う意味で、安定させるには一番いいのかもしれない、変わるのにも時間がかかるかもしれないけど。他のより波動の高いのは移ろいやすいですしね、ある意味ね。」

S:なるほどなぁ

無:「移ろいやすいし、まぁあと、精妙だから、同じくらいの波動のところに安定しちゃってね、そこからなかなか上がれないってのもあるかもしれないね。ここ(地球・この世)はいろんな人達が混ざってるから。よくそう言いますよね、亡くなると自分の波長の合うところに行くと。」

S:そういう意味では、ここは凄いところですね。

無:「この感覚と言うか、『ある』というのが共有できるとすばらしいですね。一人でも多くの方とね。」

省略(他の方の体の話しになり)

・・・明日に続きます。



今回は、セッションを受けられているEさんとのメールのやりとりを参考までにご紹介させて頂きます。

先日、セッションしていただいてありがとうございます。
わからなくなってしまったので、すいませんがメールさせて頂きました。

あの後に、あの場所が(きっと)死ぬ場所なんだ思いました。(無空さんおかげです!)
そうしたら、生きて感じていたら辛い、寂寥感満載の孤独感・哀愁・切なさが一切無くなったのです。
死ぬ場所だったら最高(静謐と孤高と満場一致?感)と、あれから自ずと入っていき、自分自身が幸せな感覚でいました。

ですが・・・、
昨日、一昨日から、「今・私(此処)・真我」と問うごとにわからなくなってしまいました。
今この瞬間生きることは、此処で、今生の私の生き様で生き抜くことだと思ってしまうのです。
生き抜くしかないと思うのです。

一所懸命に命!今!を生きることは善も悪も、真我も自我も、関係ないと思ってしまうのです。
たとえそれが、宗教的やヨーガ的な教えに背いてでもデス!!
だから?なので?わからないのです。
私は生まれて、生きられて幸せなのは当たり前にあるのです!!
なんだけど・・・
本当にな~んにもわからない・・・
無空さん、次のセッションの前にちょっとで良いのでヒントを下さい(*^_^*)。
ごめんなさい!!お願いします!!

**********

メールありがとうございました。

では、参考までにコメント、解説等を。

>あの後に、あの場所が(きっと)死ぬ場所なんだ思いました。(無空さんのおかげです!)

真我は、生死を超えています。
死ぬ場所というのも間違いではないですが、生きているときも本当はそこにいます。

ある意味、エゴが死ぬ(落ちる、透明になる。)とそこに落ち着くことが出来るとも言えますね。
通常は、前回のメールにも書かれたあったように、そこへシフトしたと思っても、しぶとくエゴのパターンは残っていますので、そこからが真のスタートということをブログのメッセージでは書いています。

>そうしたら、生きて感じていたら辛い、寂寥感満載の孤独感・哀愁・切なさが一切無くなったのです。

そこは、そういったものをすべて超えていますので、そうなりますね。
絶対的な幸せの場とも言えます。

>死ぬ場所だったら最高(静謐と孤高と満場一致?感)と、あれから自ずと入っていき、自分自身が幸せな感覚でいました。

上に書いたとおりですね。
でも、これはやはり上に書いたように、エゴ(マインド・感情等)が浄化されてはじめて落ち着けるところなので、肉体的に死んだからと言ってそうなるわけではもちろんありません。
逆に生きているうちに、そこに落ち着く事ももちろん可能です。

>ですが・・・、
>昨日、一昨日から、「今・私(此処)・真我」と問うごとにわからなくなってしまいました。
>今この瞬間生きることは、此処で、今生の私の生き様で生き抜くことだと思ってしまうのです。

「生きる」ということで言えば、それで全く問題ありません。

「生きる」ということは、「在る」ことから起こってきます。
真我で在ることにより、結果、Eさんの生き様が生き抜かれることになります。

これが、「私(自我)の生き様」、「私(自我)が生きる」になると、マインドの物語になってしまいます。

死ぬ場所と思っているので、引っ掛かりが出てくるのかもしれませんね。
その場所は、まさに今そのものであり、生命そのものです。

今に在り続けることがリアリティであり、時間的な流れで言えば、人生を生き抜くことになります。

>生き抜くしかないと思うのです。
>一所懸命に命!今!を生きることは善も悪も、真我も自我も、関係ないと思ってしまうのです。

今・生命(真我)そのものは、マインドを超えており、そこには、善も悪も、真我も自我という区別もありません。

たくさんの視点があります。

ある視点からは(成熟したマインド)、自我と真我を分けて考えることもできますし、また、ある視点(真我)から見れば、すべては真我、すべては愛という見方もできます。

ですから、Eさんの感覚はまったく正しいです。
それが一元性です。
とても素晴らしい気づきです。
一元性の視点、真我の視点から見たとき、善も悪も、真我も自我もありません。

>たとえそれが、宗教的やヨーガ的な教えに背いてでもデス!!

教えは一側面しか語っていない場合もありますし、言葉による限界もあります。
また、ラマナ・マハルシの本では(正確ではありませんが)、真実そのものがシンプル過ぎて大衆は理解できないので(物事を複雑にしたいマインドは納得できない)、大衆が好むような教えが説かれたというようなことが書かれてあったと思います。

ヨーガ的な教えは参考にしてもいいですが、ご自身のリアルな真実を信じてください。
真実は、言葉、文章による教えをはるかに超えています。

実感、リアリティにまさるものは何もありません。

>だから?なので?わからないのです。
>私は生まれて、生きられて幸せなのは当たり前にあるのです!!
>なんだけど・・・
>本当にな~んにもわからない・・・

マインドを超えた真実の領域は、マインドでは理解できません。
そこは、マインド的には矛盾するものが同時に矛盾なくひとつに溶けあい存在しています。

生まれも死にもしない不変の真我と、生まれて、生きられて幸せという現象としての実感・真実・真我は全く矛盾なく同時に在ります。
変化しない真我と、変化し続ける真我の現れの面があるということですね。
どちらも真実です。(変化するという意味で、幻想と言ったりしますが。)

言葉に惑わされず、言葉を超えて、リアリティの中に入っていってください。
そのリアリティは、「在る」ということです。

>「私は生まれて、生きられて幸せなのは当たり前にあるのです!!」

ここにも、「ある」がありますね。

>無空さん、次のセッションの前にちょっとで良いのでヒントを下さい(*^_^*)。
>ごめんなさい!!お願いします!!

ヒントになったかどうか分りませんが参考にしてください。

わからないところはまた、セッションでお伺いします。

今回は、とてもよい質問でしたね。
かなり進んだ状態であるからこそ出てくるものです。

そのように、今、ご自分が在るステージをご理解ください。

無空

***************

無空さん、お忙しい最中、長文での貴重な解説・コメント、どうもありがとうございました。
とても勉強になりました。
 
 必死なこともマインドの物語になってしまうのは、現世の移り変わりの中のことを対象としてしまうからなんですね!?。 
 今まで、自分欲ではなく、他によかれと思ってしてきたことも、結局、全てエゴだったんだッと思い、衝撃的でしたが、なぜ堂々巡りのような感覚が自分の中にあったのかを納得しました。

 
 心が、泣こうが喚こうが、魂はいつも無傷なんですよね~、なぜか・・・。
魂はいつものびのびとしているんです。だから生きられているのかな?
 あっ、真我があるから今があるんだ。っていうか、一所で一緒か・・・。
  
   また木曜日、セッションよろしくお願いいたします。  
       お休みなさい・・・。  





今回は、先日、ご紹介させて頂きましたSAさんからのメールへの無空の返信をご紹介させて頂きます。(その3)

> いつも子供には怒るまいと思っても怒ってばかりでしたが、無料セッションを申込んで少ししてから、怒ることじたいはあまり変化なく、なぜか怒ることに対する罪悪感だけが少し減少し、おや?って思いました。

これは、はじめの変化としてあるパターンですね。
言葉や行動自体は変化してなくても、それをひきずったり、必要以上に問題と考えなくなるということですね。

> で、無料セッションする前日あたりになると、怒りもあまりでなくなり、少しだけ、やさしく子供に接する事ができていて、「優しいお母さんはやだー」と子供に言われました(笑)
> 怒ってばかりの時は、たまに優しい時に「やっぱり本物の(優しい)お母さんがいい」とか言ってたんですが(笑)

不要な怒りは、本質的なものではないですね。
それに比べて、やさしさ、あたたかさなどは、もともと本質(真我・本当の自分・愛)に備わっているものです。
共鳴により、浄化が進めば、本質でないものは落ちていき、もともとSAさんが持っているやさしさやあたたかさ、愛が自然に溢れ出てくるようになります。

少しずつやさしいご自分にも慣れていき、お子様にも、やさしいお母さんに慣れてもらいましょう(笑)。

> 今まで、優しくしようと思ってても、感情が全く言うことを聞かなかったので、これから、無空さんとのセッションを通して、優しくなれたらいいなと思います。

個人の試みのレベルでは、なかなか本質的な変化というのは難しい場合がありますね。
思考、感情が生まれてくる源、これまでのパターンを超えた真我のレベルから存在全体の変容を促していきましょう。

> 無空さんと話して、ブログの時と同じく優しい感じで、顔も優しい感じで安心しました。

安心感には定評があります(笑)。
存在の質が、そのままブログや表情にも現れているということですね。
これが「あるがまま」とも言えますね。

> セッション後は、楽しくてわくわくして、やっと無空さんと話せて嬉しくて次のセッションが待ち遠しい感じです。

3週間お待ち頂きましたからね。
来週まで、今日の感覚を思い出したり、ブログを読まれたり、また、気づきなどがあれば書きとめておかれるのもよいかもしれませんね。(セッションでお話させて頂いたように、意識を向けてつながりを強く保つという意味で、メールで送っていただくのもいいと思います。)

> セッション中は、私の長い話しをたくさん聞いて頂き、本当にありがとうございました。
> いっぱい話せてすっきりしました。

たくさん話せてよかったですね。
そのときの私のスケジュールにもよりますが、お話したいことがあるときは、できるだけお伺いしていきたいと思っていますので、遠慮なくどうぞ。

> そういえば、10月あたりに新しいフーマンの本「恩寵の扉が開くまで・完結編」が出版されるようなので、今度は買ったら捨てずに持っておこうと思います。

そうですね。
今度は、実感や体験が伴っているので、読みやすくなっていると思います。
意識がクリアになればなるほど、よい深く理解できるようになっていきます。

> 次のセッション楽しみです!
> ではまた(^o^)/

はい、ではまた来週、14日(火)の9時30分にセッションでお会いしましょう。

無空




8月1日にご紹介させて頂きましたA.Yさんからの近況報告メールと無空の返信を7回に分けて、ポイントごとにご紹介させて頂いていますが、今回は5回目です。


「適切な問いかけ。それはあなたを悟り意識へと導く。」


>矛盾するようですが、最近、悟りへの思いが薄れています。

>以前のような、ガッツクような気持ちで悟りを求めることがなくなってきたようです。

>ガリガリ亡者でなくなってきたようです。(笑)

>悟りをあまり意識しなくなってきたようです。

>ただ、「そう思うのは何者か?」「そうするのは何者か?」に意識を向けると、自然に深いところへ導かれていきます。

これは、とてもよい問いかけですね。
以前、ayaさんも、ラマナ・マハルシの本を読んでやってました。


>たとえば、「目の前の景色を見ているのは、何者か?」と問うと、自分の奥の深淵に引き込まれていきます。

>この意識の静まりの中でラマナ・マハルシを読むと、とってもいいですよ!

>彼の言葉が、深くに染みわたるように受け取れます。

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セッションを受けられているA.Yさんから素晴らしい気づきのメールが届きましたので、ご承諾を得て、ご紹介させて頂きます。


「こんなことを思いました。」


自分が世界を創っている、という話は、○○で数限りなく聞いてきた。

自分の心や生き方が、まわりの状況を作り出しているんだ、と。

これは、空や真我の悟りでも同じようだ。

空から見れば、すべては空として現れるという。


思うに、体も感情も世の中も、みんな大事だと思う。

移り変わるから、とか、有限だから、とか言うが、それは素直な心情じゃないだろう。

それは観念の話に過ぎない。

たぶん、存在するものは全部、大切なんだと思う。

それは、おそらく僕のハートの声だ。

空だけが大切だ、というが、それは空からすべてを見ることが大切だ、という意味だろう。

より純粋なところから見るほど、すべてを純粋無垢なものとして大切にできるんだと思う。

ラマナは、だからみんなを大切にしていた。

すべてが、その瞬間には確実に存在するし、存在する限りみな、等しく価値があるし、それはすべて、その瞬間において真実であり、かけがえのないものなんだ。

自分のないところから見ることができれば、すべてのものを大切にできる、ということだと思う。自己都合がないからね。

だから、空は愛なんだ。


こんなことを思いました。

無空さんはどう思われますか?


A.Y

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

無空:

素晴らしい気づき、空であり、愛であり、ハートからの純粋で透明な視点から生まれた文章ですね。
私が見えてるものが、A.Yさんにも見えてきましたね。
全ては同等であり、かけがえのない価値があり、そして、さらには、ひとつひとつが全てであり、ただひとつのものしか存在していません。

多様性はひとつであるものの素晴らしい現れであり、見る人が見ればそこには素晴らしい調和があります。
そしてさらに深まれば、それはそのまま多様性を残しながらも、よりひとつであること、絶対的、圧倒的な愛が静かにそこに在ることが見えてきます。

(さらに深まればそれ以外(愛)何もないです。どれも真実と言えますね。どこから見てるかだけの違いであり、また同時に無限の視点の理解を持つことも可能です。)

それが私が言ってる「在る」でもあります。

無、何も無い、のもう一つの側面、またはより深い側面とも言える「在る」です。

では頂いた文章にコメントを。
(自然に浮かんできたものなので、参考までに。)


自分が世界を創っている、という話は、○○の家で数限りなく聞いてきた。

自分の心や生き方が、まわりの状況を作り出しているんだ、と。

これは、空や真我の悟りでも同じようだ。

空から見れば、すべては空として現れるという。


思うに、体も感情も世の中も、みんな大事だと思う。

【無空:
そうですね。すべては空であり、真我、愛の現れですから、存在するもの、現れているものすべてはかけがえのないものです。
ただ、そのひとつひとつ(部分)に執着したり、とらわれたり、それに巻き込まれて我(全体・気づき)を失ってしまうと、摩擦や苦しみが生まれてきたりしますね。
過ぎ去っていく部分、変化する側面も含めて、その瞬間、瞬間(今)にある全てを大切にし、かつ、名前、形、意味が、過ぎ去っていくこと、変化することに対してとらわれないという態度が理想ですね。】


移り変わるから、とか、有限だから、とか言うが、それは素直な心情じゃないだろう。

それは観念の話に過ぎない。

【無空:
これはまったくそのとおりですね。
真実を、ある時期に、ある方に、あるタイミングで、ある目的を持って、ある視点から説明するときには、相対的にこのような表現を使うこともありますが、マインドでそう思おうとしているのなら、それはおっしゃるとおり素直ではないですね。
心で心を何とかしよう、コントロールしようとしている状態で、まさに観念のレベルであり、真実ではありません。

言葉上での教えと言われる部分がそれですね。
同時にそれを理解する体験が必要ですが、なかなかその両方を提供できるところは少ないのかもしれません。
トータルに知る必要があります。
(言葉上の教えも準備にはなりますが、それはそれぞれの方のフィルターを通して、様々に理解され、歪んだ形で解釈されたりということもありますね。)

また、別の視点では、上のコメントに書きましたが、形の部分、名前の部分、それぞれ個々のものにマインドで意味づけした部分は永遠ではないので、その部分に固執しない、とわられない方がよい、
さらに言えば、マインドを浄化し、名前、形、意味づけを超えて、今そこに在る、「在る」というそのものに気づいてもらうための言葉や教え、という事も言えますね。(そしてやはり理想は、この言葉が必要な方に、必要なタイミングで伝えられるということですね。)

それが見えるようになり、感じることが出来るようになれば、塵やゴミひとつでさえも、かけがえなく美しく、愛おしいものとなります。
なぜなら、それは「在る」からです。】


たぶん、存在するものは全部、大切なんだと思う。

それは、おそらく僕のハートの声だ。

【無空:
これは全くそのとおりですね。それを感じ取れるようになってきたということですね。
ハートにとって何ひとつ大切でないものなどありません。(同時に空である側面からは、何ものにもとらわれません。)】


空だけが大切だ、というが、それは空からすべてを見ることが大切だ、という意味だろう。

【無空:
これも全くそのとおりですね。
そして、別の視点からは、全てを空として見る、すべてが空として見えるということも大切ですね。・・・空から見れば、そう見えるとも言えますが。

空から見て、空が見えれば、それは自分自身でありますから、何よりも大切なものであるという感覚が自然に湧いてきますよね。
一体感、近しい感じ、愛おしい感じ、というのはそういうところから自然にやってきます。

また、そこから見るときは、マインドが静まり、今までマインドでつけていた意味や価値が全て落ちるので、「本当は何もなかったんだ」という感覚もやってくることがありますね。
でもそれ自体に素晴らしい感じであり、大きな解放感、自由、また真実(愛)の中にある幸福感があります。

その他には、変わらないものを見つけなさい、とか、浄化が進み、いいところまで来ている人に対して、マインドで他に意識をそらさずに、空にできるだけ意識を向けるように、という目的にも使われるかもしれませんね。

また、ある方にとっては、ラマナ・マハルシの「私は誰か」と同じような効果を持つかもしれませんね。
空に意識を向けた時、具体的な対象はないのですが、マインドが静まり、真実を感じることが出来る場合もありますね。

意識を向ける具体的で形を持った対象がないとき、空(真我)は他に気づく対象がないので、それ自身に気づく場合があります。

そういう意味では、「空だけが大切だ」という言葉も、無限のバリエーション、使われ方があるとも言えます。

A.Yさんのハートから(あるいは、A.Yさんという個人を超えたハートから)生まれてきた今回の美しい真実の文章の流れの中での、この一行もそのひとつであり、完璧で、真実の威厳があり、その響きを放っていますね。】

より純粋なところから見るほど、すべてを純粋無垢なものとして大切にできるんだと思う。

【無空:
これも全くそのとおりです。
そしてその純粋さにも限りがありません。
あるレベルまで行くと、そこからさらにほんの少しクリアになっただけでも、見える世界、感じる世界はとてつもなく美しく、素晴らしく変化します。

それはもうこれ以上ないという体験をさらに超え、常に新しく、常に新鮮なものです。】

ラマナは、だからみんなを大切にしていた。

【無空:
そうですね。ラマナはとても純粋なところから、全てを見ていたということですね。

また、「みんなを大切にしていた」というのは、ラマナは個人ではなかったからとも言えますね。

ラマナは、みんな(全体)だったので、個の体の部分を通しては、そのように起こったということです。
マインド、個、多様性があるという視点から見ると、そう見えたということです。
見える人が見ると、個の部分が見えるのと同時に、そこにはただひとつのもの(愛)が在ること、ただひとつのものが戯れているのを見ることができます。
そのような人は、一つの出来事の中に、同時に矛盾する二つのものを矛盾なく見ることができます。

動の中に静を見、静の中に動を見る、喧騒の中でも静けさを聞き、沈黙の中でも無限のコミュニケーションが行われているのを知っていて、停止の中にも無限の躍動があることに気づいています。
完璧、完全だけど、それは成長を体験でき、何ものにも揺るがされない堅固さがありながら、同時に無限に柔軟です。

ラマナは、全体である愛そのものであったので、それがそのように現れたということですね。】


すべてが、その瞬間には確実に存在するし、存在する限りみな、等しく価値があるし、それはすべて、その瞬間において真実であり、かけがえのないものなんだ。

【無空:
これは名前や形をも含めた(それもやはり空の現われですが)、源と現れを丸ごと愛している状態ですね。
それを源と現れと分けてみるか(あるいは記述するか)、すべては空、愛であると見るかは、ただの視点の違いですね。

そして、

「存在する限りみな、等しく価値があり」

ここがとても大切なポイントですね。

「存在する」、「在る」、という点では、すべてが平等です。
そこにマインドが介在する余地はありません。

そこが唯一、すべてがひとつになれるところ、ひとつで在れるところです。
ワンネスの場とは、存在のレベル、「在る」というところにあります。】


自分のないところから見ることができれば、すべてのものを大切にできる、ということだと思う。自己都合がないからね。

だから、空は愛なんだ。

【無空:
どんどん気づき、悟りが深くなってますね。
A.Yさんを通して、素晴らしいひとつの真実がこの世界に現わされたと思います。

空が愛そのものであること。
これは多くの方の理解の助けになるでしょう。

空はけっして空虚なものではありません。
それを知る存在から見れば、そこにどれだけが愛が在るかということですね。

マインドが浄化され、より空を知っていく度にそれが分ってきます。
素晴らしい気づきをありがとうございます。

これからも、A.Yさんを通して、空そのものから、素晴らしい美しい表現が起こってくると思います。

それをただ楽しんでいきましょう。
こうして分かち合っていきましょう。

そのために空はこうして多としても現われているんですから。

それは、不動のまま揺らぎ、躍動し、一つのまま多として現れています。】