私はもう、「これ(真我)」を忘れることはないだろう。

ここでは、「私はもう、「これ(真我)」を忘れることはないだろう。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているRさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

Rさん

感想ありがとうございました。

> 無空さんへ
>
>
>
> Rです。
>
>
>
>
>
> 今回の感想は長くなってしまいました(^0^;)
>
> すごく語りたい気分だったので、わぁっと書かせていただきますね。


おおー、そうですか。
>
>
>
>
>
> 39回目のセッションは、
>
> 過去最高で! 素晴らしかったと思います(^0^)


本当に素晴らしかったですね(^O^)
>
>
>
>
>
> 今後、さらに素晴らしさが更新されていくかもしれませんし、
>
> ごくごく普通のときもあるかもしれませんが、
>
>
>
> どちらでもいいですね^^


はい。
>
>
>
> どちらでも、「それ」なわけですから。


そうですね。

コミュニケーションが、トータルに「それ」を知っている存在同士のものに変わってきましたね。


>
>
>
>
>
>
>
> 私はもう、「これ(真我)」を忘れることはないだろう。
>
> と思いました。
>
>
>
>
>
> どれだけマインドの世界に没頭してしまっても、
>
> 感情が揺さぶられてしまっても、
>
>
>
> 私はまた「ここ(真我)」へ還って来て、
>
> また静かに在ることが出来るだろう。
>
>
>
> と思いました。
>
>
>
>
>
> そのような自信? 確信? が突如、芽生えました(^0^)
>
>
>
>
>
> 無空さん。
>
>
>
> 私と真我を出会わせてくれて、思い出させてくださって
>
> ありがとうございます。
>
>
>
> 目に見える形として、話が出来る形として、
>
> 私の前に現れてくださって、ありがとうございます(^0^)
>
>
>
> この出会いに、恩寵に、
>
> 今、感謝したくなりました^^


こちらこそありがとうございます。

そのような機会に立ち合わせて頂けることは、

真我にとって何よりの喜びです。

>
>
>
>
>
>  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>
>
>
> 39回目のセッション感想です。
>
>
>
> 東京のRGKの時、
>
> 私にしてはめずらしく「不動」というのが
>
> ずっと起こっていましたが、
>
>
>
> 今日も「不動」でした。
>
>
>
> 不動でありながらも、静かで、また同時に満たされていて、
>
> よい感じでした。


そうでしたね。

とてもよい感じでしたね。
>
>
>
> 無空さんが、画面の中で
>
> 若くなったり、年を取ったり、そんな現れが起こりましたが、
>
>
>
> 「そういう風に見えることもあるのね~」というスタンスで、
>
> 在るにいられました。
>
>
>
> 私は元々、目の前の現象に惑わされないタイプみたいですが、
>
> 今回、そのまま在るにいられたことで、
>
>
>
> 自分の成長を垣間見ることができ、
>
> よい体験となりました^^


成長を確認できること、実感として認識できることはとても大切ですね。

真我は、いつも在ること、ただ自分自身で在ることで満ち足りています。

その上で、起こってくる様々な現象は、軽やかに、かつ、味わい深く楽しまれます。

真我の態度、在り方である「これでいい」は永遠であり、無限に深まって行きます。

>
>
>
>
>
> 【アイコンタクト】では、
>
> 個人がいない不動が続き、世界が眩しかったです。


このときも、素晴らしくよい感じでしたね。
>
>
>
>
>
> セッションを受け始めた最初の頃、
>
>
>
> 悟りを開いた人は、こういう状態(強烈な在るの状態、個人がいない状態)で
>
> ずっといるのかと思っていました。
>
>
>
> けど、ふつうでいる状態もあるし、
>
> たまに至福が向こうからやって来ることもあったり、
>
>
>
> その時々で色々なんだな、ということを
>
> 無空さんとのセッションを通して知りました。

山奥でひとりでいたら、ずっと同じ状態であることもできるかもしれませんし、

また、そのようにあれる環境をつくったり、また、これは以前セッションを受けられていた方から

聞いた話を元にした理解ですが、自己完結した後閉じていたら(共鳴があまり起こらない状態)、

他からの影響を受けずに一定の状態を維持できるかもしれません。

でも、それは無限にある在り方の中の一例にすぎません。

基本的に状態は変化します。

それは、海の波の部分と同じです。

風が吹けば、波は起こります。

それはとても自然なことです。

そしてまた、ひとつの波は、他のあらゆる波とつながっていて、互いに影響を与え合っています。

現れの領域は、そのように変化する領域、それが自然な領域です。


そして、海面がどんなに荒れていようと、海底はいつも静かです。

それが変わらない本質、気づいている意識、在るであるということができます。

まずは、(巻き込まれている)海面の波立つ部分から意識の焦点をシフトし、

海底のいつも変わることのない静かな本質に気づくことが大切です。

そして、そこに落ち着くこと、そこが主たる座となること。

さらに、その本質を知り、それそのものとして落ち着いた上で、

その現れをも含めたすべてがそれであるというトータルな理解、

海底だけが海なのではなく、海底から海面までのすべての領域まるごとひとつで

海であるというトータルな理解を持てるようになるといいですね。

静かな海底も、海中も、波により様々な表情を見せる海面も、

どこに焦点を当てても、海である という見方が一元性です。

すべては、それである という理解です。


どんな波が起きていても、海が海であることにはまったく影響を与えません。

それは、波とは海のひとつの状態、現象だからです。

相対的な視点(現れの視点)と、絶対的な一元性の視点の両方の視点を持てば、

波を見て、それは、波であり、そして、海である。

と言うことができます。


海は、波という状態をも含めた全体です。

それがトータルな理解

自然な理解

すべての包括する愛の理解です。

(そのような理解が深まってくると、自然に波も穏やかな状態に安定してきます。)
>
>
>
>
>
> もちろん、ずっと個人がいない状態の人もいるかも知れません。
>
> それはそれで、レベルが高いのだろうなと思いますが、
>
>
>
> 大切なのは、真我を知ってること、
>
> その価値、尊さ、大切さを知ってること、
>
> そこから、出来るだけズレないでいること、
>
>
>
> だな~と思いました^^
>
>
>
> 自分自身が真我であると知っていること、
>
> も含まれていると思いますが、
>
>
>
> 私は、あまりその部分を
>
> しっかり認識したことがないので、
>
>
>
> 堂々と自信を持っては書けないのですが^^;
>
>
>
> それも大事なことなんですよね(^0^)

そうですね。

それは、自己理解です。

それそのものであるという体験、実感を重ねていけば、

自然に自己理解も深まっていくでしょう。

>
>
>
>
>
> 【瞑想】では、
>
>
>
> 「自分に、たとえ大きな不幸が訪れても、
>
> 逆に、大きな幸せが訪れても、
>
>
>
> どちらも受け入れることが出来る。
>
>
>
> どちらでも私は大丈夫。」
>
>
>
> という言葉が浮かびました。
>
>
>
>
>
> 今までの私は、
>
>
>
> とっても大きな不幸が訪れたら、どうなってしまうんだろう?
>
>
>
> その重みに潰されてしまうんじゃないか?
>
> 耐えられないんじゃないか?
>
>
>
> と、起きてもいないことについて、
>
> 想像の中で、怖がっていたんだと思います。
>
>
>
>
>
> きっと、こんなに痛いだろう。
>
> こんなに怖いだろう。
>
> その恐怖に、胸がしめつけられるだろう、って。
>
>
>
> 必要以上に、事を大きくして
>
> こんなに怖いかもしれない!と思い込み、
>
> 感じることを恐れていたのはマインドの部分でした。


そうですね。

想像して怖がるのはマインドですね。

海自体は、その自身の中(上)で、何が起こってもあるがままです。

>
>
>
>
>
> 【ハートの共鳴】
>
> 無空さんとの共鳴レッスンを通して、
>
>
>
> 世の中の、たくさんの味わいや大きな至福も、
>
> 失敗や不幸や、大きな痛みなども、
>
>
>
> どちらも受け取り、味わえるように、
>
> 真我のエッセンスが、私を育んでくれてたんだな~と気づきました。


とてもよい気づきですね。
>
>
>
>
>
> 器が大きくなったというのもありますし、
>
>
>
> どちらも、素晴らしいものではあるけれど
>
> 同時に、
>
>
>
> 大差ない、影響がない
>
> すごく自然なこと、ふつうなこと、
>
>
>
> という理解も深くなって来ているようです。


その両方が大事ですね。

真我は片手落ちなことはしません。

存在全体をトータルに育てていきます。

>
>
>
> 上の表現では語弊があるかもしれないですが、
>
>
>
> 真我にとっては、
>
> 大きな幸せも、大きな不幸も、
>
>
>
> どちらも同じだし、どちらも大切で、大事で、
>
> それと同時に、何も起こってない。

素晴らしいですね。

それが真実です。

軽やかに淡々とセッションを受けられていたRさんから、

このような理解と表現が起こってくるとは本当にうれしい限りです。

やはり、継続の力は偉大ですね。





>
>
>
>
>
> これは、言葉で表現しても、頭では(マインドでは)
>
> 理解しがたいものですね。
>
>
>
> 共鳴をしていく中で、
>
> 真我の色んな側面を感じ、味わい、理解を深めていく中で、
>
>
>
> 無空さんがお話してくださったことを
>
> 自分なりに調べていく中で、
>
>
>
> あ、本当にそうだ~
>
>
>
> って、わかって来たことです。


実感がこもっていますね。
>
>
>
>
>
> ついこの間まで、
>
>
>
> 「で?真我がどうしてそこまで大切なの?
>
> これが何になるの(・ω・;)?」
>
>
>
> と、多くの人がそう思うように、私もそう思っていましたが(笑)、


そちらが、マインドさん、個人さんの方です(笑)
>
>
>
>
>
> 体験や体感を通して、「真実」についての
>
> 理解を深めていき、
>
>
>
> ある時(私の場合、今回のセッションがそうでしたが)
>
> 点と点がつながり、
>
>
>
> 無空さんがお話してくださったことの味わいが
>
> わかるようになった時、
>
>
>
> 「これは、たしかに味わい深いものだわ(゜0゜)!」
>
>
>
> と気づき、
>
> これからも大切に育み、味わっていきたいものに
>
> 自然と変わっていきますね。


そうですね。
>
>
>
> 誰かから、「これは、大事なものだから大事にしないとね」
>
> と言われても、
>
>
>
> その大事さ、大切さ、貴重さというのは、
>
> なかなかわからないものです。
>
>
>
> でも、自分で本当に、「そっか、本当に大事だね!」ってわかったら、
>
> 大事にしたくなりますね(^0^笑)
>
>
>
>
>
> 「大事にって言われたから、とりあえず大事にするけどさ~ヽ(・ε・)ノ」
>
>
>
> って思いながら、信じて大事にしている時もありましたが(笑)、
>
> いつか、その大事さがわかりたい、
>
> その尊さに気づきたい、知りたい、
>
>
>
> という意識でいれば、その時はおのずとやって来ますね(^0^)


そうですね。

ただ漫然とセッションを受けれていればいいというのではなく、その意識が大事ですね。

(その意識も機が熟し、起こってきているとも言えますが、やはり、それを忘れないでいること、

覚えていることが大切です。)

どう在るか、それにより、共鳴中に真我から引き出されるもの、

そして、受け取れるものが変わってきます。

(共鳴中は、シンプルにただ在るだけですが。)


>
>
>
>
>
>
>
> 【立場を変えて】
>
> 繊細さ、軽やかさなど、色んな味わいを感じました。
>
>
>
> すべてのものが、調味料!ですね。

はい。

そして、それそのものとも言えますね。

>
>
>
> もし忘れてても、
>
> すべてが「それ」なので、いつでも思い出せる。
>
>
>
> 「それ」を見れば、いつでも(^0^笑)

そうですね。

もう、すべてがそれである、という理解、視点がしっかりしてきていますね。

逆に今までは、全部「それ」なので分かりにくかったとも言えますし、

多くの方は、今在る認識、今在る実感の外にそれを探しに行ったり、

本や他の方の体験談などを読み、頭の中で観念化したり、限定したり、

思い込んだり、決めてつけているものを探しに行ったりしているので、

なかなか見つかりません。

でも、すべてはそれであり、それはずっと変わらずに在ります。

>
>
>
> そのうち、塩の容器を見て、うっとりし出すかも知れませんね(笑)

Rさんなら、太鼓判を押せますね(笑)

気づいたら、1時間くらい経っていたなどは普通に起こりそうですね^^

すべては、存在の美、

どこまでも奥深い味わいを持つ、

在るという神秘、

在るという不思議、

在るという魅力、

既知であり、未知である真の自己に

惹きつけられます。

既知という安心感、なつかしさ

未知という無限の可能性に

惹きつけられます。

自分自身に惹きつけられます。

それはひとつであるので、そのような引力が自然に働きます。

それは在るが在るという、在るの中に働いている絶対的な力でもあります。


>
>
>
> そこに全てが詰まっているって、素晴らしいことですね^^

そうですね^^
>
>
>
>
>
> 【ニュートラルな立場】
>
> 「これ」を創った神様は、すごい!と思いました。


「これ」が神様そのものです^^
>
>
>
> なんて粋なのかしら、なんておちゃめなのかしら、
>
> なんて愛情深いのかしら、なんて面白い人(人?)なのかしら、と。

全部が在ります。

神様は、すべてです。

それは、すべてであるものです。

在る(「これ」)の中には、ありとあらゆるものが在ります。

在るものすべては、在るであり、神様です。

>
>
>
> 神様=私、創造主=私というのは
>
> 頭では理解していますが、
>
>
>
> 体感としては今いちピンと来てないので、
>
> 私とは別の存在、神様と捉えて書いてしまいますが、

そこからすべての創造が起こっていくという点では、創造主とも言えますが、

在るに、創造しようという意図はありません^^

(なので、そこから起こる創造に間違いということはなく、それは絶対であり、完璧です。

それは絶対であり、完璧である在るが、あるがままそのまま現れているからでもあります。)

世界、宇宙をつくった創造主は、現れの世界の頂点にあるもの、

そして、在るは、それを超えているもの

という視点もあります。

創造主も、在るから自然に起こってきます^^


在るは、ただ在るだけ

ただ幸せで在るだけ

ただ愛で在るだけです。


> それにしても、こんな色んな味わいを、
>
> 味わえるように設定?したのってすごい。


本性です。

自然です。

ですから、絶対です。

そして、それは無限です。

無限の中のひとつの味わいから一度角度・焦点・視点・立ち位置を変えれば、また、別の味わいがあります。

一歩深まれば、さらに奥深く、よりトータルな味わいがあります。

そして、その味わいは自然に広がっていき、全体に浸透し、全体を満たし、全体を育んでいきます。

ひとつの味わいとひとつの味わいが出会えば、そこからまた無限が生まれてきます。

共鳴もそうですね。

>
>
>
> そして、人間としてこれらを味わえるってすごいですね。

そうですね。

すごいという視点から見ていくと、すごすぎて圧倒されてしまうかもしません^^

>
>
>
>
>
> 真我目線でいうと、
>
> 味わうのも、味そのものも「真我」になっちゃいますが(笑)

いいですね。

その視点(目線)も忘れてませんね。

見るものが見られるものという言い方も、よく使われます。

ですから、「何も起こっていない」でもありますし、

計り知れないほどすごいのですが、同時に普通で自然でもあります。

>
>
>
> 真我は、全てを包括してて、
>
> 全てを味わっていて、全てを体験しているのですね。
>
>
>
> なんともスケールが大きいです(゜0゜)


Rさんのお楽しみが増えましたでしょうか(^^)



>
>
>
>
>
> 無空さんが以前、返信してくれた中に
>
>
>
> >自由が自らに不自由を課していること、
>
> >無境界であるものが境界をつくり、分離した視点をそれ自身に認めていること、
>
> >完全そのものが、それ自身が不完全な在り方をするということを受容していること
>
>
>
> という表現がありました。
>
>
>
> なんだか、難しい文章~(・ω・;)と思っていたのですが、
>
>
>
> つまり、自由と不自由、無境界と境界、完全と不完全など
>
> 相反するものが混在していることを、
>
> 真我(存在そのもの)が許していることで、
>
>
>
> 世の中には、これだけの多様性があり、
>
> 味わいに広がりがあり、深さがあり、厚みがあるのですね。

はい。

それは一なるものなのですが、認識による差異により、そのような味わいを生み出されます。

そしてまた、深い愛の体験、ひとつのであることの体験とその理解が、すべてをひとつにします。

Rさんは、その両方をもうすでに知っていますね。

ひとつであることを知らないうちは、違いが苦しみ、問題の元にもなることがありますが、

すべてはひとつであることに深く落ち着くことができると、

すべての違いは、それ自身の無限の素晴らしさを知る喜びとなります。

ひとつひとつが、貴重な味わいの体験となります。

同じものが、在り方・視点・理解により、まったく別物になります。

ですから、どう在るか、どのような視点(目線)で見るか(見えるか、映るか)、が大切です。





>
>
>
> 自由が自由だけしか許していなかったら、
>
> その大切さはわからないだろうし、
>
>
>
> それが自由だということさえ、わからないでしょうね。
>
>
>
> その自由が、どこまで広がっていても
>
> 気づかなかったかも知れません。

そうですね。

少し角度を変え、「自由」という方に焦点を当てると、

少し自由、結構自由、かなり自由、すごく自由、無限に自由・・・

と、自由だけがあり、すべては自由のバリエーションであるという認識の仕方もできます。

また、不自由ですら、その中に、不「自由」というように、「自由」があります。

それは不自由という自由であり、やはり自由のバリエーションのひとつと言えます^^

ひとつであるものから多様が生まれるときは、そのように生まれていきます。

無限の視点から、無限の味わい、無限の真実が生まれていきます。

>
>
>
>
>
> 私たちは、こういった「真実」を知り、
>
> ただそうであると受け入れることが重要だったんですね。


そうですね。

それはとても大切なことですね。

>
>
>
> マインドだけでは、その「真実」を知ることも、
>
> 受け入れることも出来なかったと思います。
>
>
>
> 絶えず気づいている「意識」、
>
> すでに知っている「意識」があるからこそ、
>
>
>
> 私たちはその「真実」にあらためて気づくことが出来るのですね。


そうです。

それはすでに在り、はじめからそれで在るからこそ、あらためての気づき、

再認識ができるわけです。

ですから、まだ気づいていない人もまったく大丈夫であり、まったくそれであり、

何の違いもありません。

それが、気づいた存在の視点です。

その視点、その在り方が、周囲に自然に影響を与えていきます。


皆同じであると

すべてはひとつであると。


愛と平和が自然に広がっていきます。

>
>
>
>
>
> 長くなりましたが、これにて感想は終わりにします。
>
>
>
> 次回もよろしくお願いします^^
>
>
>
>
>
>R


こちらこそよろしくお願いします^^

素晴らしい感想ありがとうございました。

無空


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