源そのものであるとき、すべては源。 真我そのものであるとき、すべては真我なのだと思いました。

ここでは、「源そのものであるとき、すべては源。 真我そのものであるとき、すべては真我なのだと思いました。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているA.Tさんから頂いたメールを、ご紹介させて頂きます。

無空様



21回目のセッションありがとうございました。



今回はすぐに感想を書かなかったので、今はなにもないのですが

セッション直後のメモと記憶をたどって書いてみます。



最初の共鳴 「祝福」「聖なる」



アイコンタクト 「源」「根源」



瞑想 思考が起こっていましたが、“在る”が主体でした。

   まったく問題なしでした。



ハートの共鳴 忘れています。



立場を変えて 暖かさが広がったとメモにはありますが、

       気負いのようなものが起こって、少し違和感を感じた

       記憶があります。



ニュートラル 「すべては源そのもの」

       すぐに思考が??となっていましたが

       無空さんが「すべてはそれですからね」とおっしゃっていました。





セッション直後の運転中に、源と現れは違うものと思っていたことに気づきました。

それそのものから観れば、源も現れも、ひとつのそれそのもの。

すべては源、真我、在る。

涙が流れていました。



義父が亡くなる数時間前に、病室で2人だけになる時間が30分ほどありました。

その時に、まるでセッションのように濃密に共鳴しました。



人工呼吸器につながれた義父と、目の前に広がる空と海、すべてが溶け合い、それそ
のものでした。



マインドの部分では、打ち解けあったことのなかった義父と、初めて真に出会った瞬
間でした。

初めて分かり合えました。本当の親孝行ができました。

無空さんにも「お義父さんも、深いところで喜んでいると思います」とおっしゃって
いただきました。



それから続いた一連の法事でも、悲しみ寂しさの根底に“祝福”がありました。





もうひとつ、無空さんに何度か言われている「“在る”であるとすべてが整う」とい
うことに

なるほどと思うことが今回の義父の流れの中でありました。



親族の中に苦手な方がいたのですが、この方が場にいると緊張感が起こります。

他の人も「あいつはくせがある」「いやだ」とか言っていました。

これまでなら、その方に嫌悪感がありましたが、今回は違っていました。



それらすべて、その人、周りの反応、私の中に起こってくるものにも、ただ在って気
づいていました。



起こってくるその方の言動に対して、その人そのものに嫌悪感を抱いていたこれまで
と違って

ただマインドが起こっているのだと思いました。



マインドが起こっていないときは、その人もただ静寂そのものでした。



日が経つにつれて、その方はだんだん穏やかになっていきました。

法事の最後の方では、愛に溢れた言動が起こっていました。

全体に溶け込んで、何の違和感もなく、そこに在りました。

夫もとても驚いていました。

「あいつも大人になった」「今日はとてもよかった」と言っていました。



これからもこの方が穏やかかどうか、それは問題ではなく

在るそのものであればいいのだと。



源そのものであるとき、すべては源。

真我そのものであるとき、すべては真我なのだと思いました。



無空さんに無空庵に共鳴に出会えてから、これらのことが起こったことに

何とも言えない安堵とともに感謝でいっぱいです。



よかった。本当によかった。



ありがとうございました。



A.T


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