非常に静寂でした。たまらなく静寂が美しいものでした。

ここでは、「非常に静寂でした。たまらなく静寂が美しいものでした。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているT.Sさんから頂いたメールと無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

T.Sさん

感想ありがとうございました。


> 無空さん こんばんは。先週もありがとうございました。以下感想です。
>
> 共鳴中に味わう柔らかさが一層ましていました。

無限の更新が続いていますね。

> 同時に喜びも一段と高まっていました。
>
> この両者の調和が見事でした。

全体性の視点ですね。

> 柔らかさと喜びの間には区切りを示すラインはなく
>
> 渾然一体となっていまして、この状態の中に想念が浮かぶスペースも無く
>
> 非常に静寂でした。たまらなく静寂が美しいものでした。

とても伝わってきます。

素晴らしく深くクリアに感じとられていますね。
>
>
>
> 日常では真我と活動が切り離されている感覚が増えています。
>
> 人と話たり、何処かへ出かけたり、何かを見聞きしたり、それら活動の領域では
>
> 以前より十全に対象に集中しています。
>
> 日増しに心は活動、現れの世界を余すことなく経験する幅が増えているようです。
>
> 知覚能力が大きく深くなっているとも言えるかもしれません。
>
> けれども、今もそうですが、この活発な生命の領域から影響を受けていないといえる
>
> 静寂な質が根付いています。
>
> 切り離されているようです。静寂と活動が。
>
> しかし両者は溶けきっているようです。
>
> この状態は永遠の真理の書といわれるバガヴァットギータにも
>
> 明確に書かれていて自分の状態の確認にも役立てています。

真理を体現されているということですね。

共鳴では、そのある意味ゴールとも言える状態を無限に深め、無限に更新していきます。

その無限の更新は、不動、不変の真我の未知なる行進でもあります。 

変わらないものが変わらないまま、動かざるものが動かないまま深まり、広がり、

それ自身を絶対安心の中でどこまでも推し進めていきます。

真我の両面、

「在る」(不動・静寂・源)と「なる」(変容・活動・現われ)が、

ひとつのものとしてより溶け合いながら、より自然に、

そして、同時にそれぞれの質がより明確に、より一層生き生きとしていきます。

その悦び、幸せはどこまでも深まり、どこまでも広がっていきます。

それは、すでに満ちているすべてのすべてをさらに満たし、無限の可能性を無限に花開かせていきます。
>
>
> 光が降りそそぐ南の島の浜辺を笑いながら、屈託の無い笑顔で走っていく子供。
>
> それを落ち着いて木陰から暖かく見守る大人。
>
> このような二つの質の違いを同時に味わっている時が日中あります。
>
> 自由闊達。けれども平安。
>
> このバランスは疲労が増しますとアンバランスになります。
>
> このことは皆さんに知ってもらいたいところです。
>
> 活動、休息のバランスが大事ですね。

そうですね。

何事も過ぎるのはよろしくありません。

在ると自然にバランスされますが、それまでの習慣や環境の影響も受けますので、

ほどよく活動し、しっかりと心を体を休めるということも認識されておかれるといいですね。

それが、そのまま真我の静寂と活動の両面をバランスさせ、さらに生き生きとさせていきます。
>
>
>
>
> 有意義な日々をお陰さまで過ごしています。
>
> 以上です。またよろしくお願いします。

こちらこそよろしくお願いします。

ありがとうございました。

無空

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