空は、愛であり、平和であり、至福

ここでは、「空は、愛であり、平和であり、至福」 に関する記事を紹介しています。



今回は、セッション6回目を受けられた方からメールを頂きましたので、それに対する無空の返信と合わせて、ご承諾を得て、参考までにご紹介させて頂きます。
今回は5回目で、前々回の

>静寂、空、愛、平和、ゼロ、至福は同じ状態を指す言葉と受け取っていますが、静寂、ゼロ、空は今までのセッションで感じをつかんでいますが、愛、平和、至福は感覚的につかんでいません。

についての返信の続きです。

前々回からの流れで空について書いていますが、以前の記事、そして昨日の記事にも書きましたように、真実を言葉で表すのは本来、不可能です。
今回書いたこともひとつの例え、無限に例える事の出来るその中のひとつであり、マインドの成熟を促す為のひとつの方便というふうにとらえて頂ければと幸いです。

前回は、空の中にすべてがある、または、空(無、愛)が唯一のもので、それが様々な形となって現れているということを、透明な空から、意識のプリズムを通して、赤や青、黄色、緑など様々な色が現れているという例えでお伝えしました。

そして、色で言えば、様々な色、また、世界のすべての現れの中に、あるいは、その背後に、空(愛)が変わらないまま存在しているというお話をしました。

また、マインドが浄化され、成熟し、落ちたとき、全ての現れの中に、空を見(価値判断するようなものは何も無いということ、あるいは、透明な空が在るということ)、愛を見ることができるとお伝えしました。

今回は逆に、透明な空の中に、愛や平和や至福、色で言えば、青や赤を感じ取ることは出来るか、ということについて見ていきましょう。

これは空に馴染み、より意識を深めていくこと、ハートが開かれ、空の奥深さを感じ取れるようになること、そしてまた、様々な特質という点で考えると現れの部分にも関係してきますので、やはり、幻想、記憶、マインドの助けが少し必要かもしれませんね。

本来ゆらぎのないところで、ゆらぐこと、視点を変えること、あるいは、深まることにより、それを感じることが可能になります。

(ラマナ・マハルシはそこから焦点をずらすな、と言っていますが・・・。焦点はずらさず、ちょっと角度を変える、あるいは、変わる、またはより深まっていく、という感じでしょうか。このレベルになってくると、意図して行うというより、それ自身に任せる、委ねる、体験者である純粋な自分自身をもどんどん手放していくという感じの方が強いかもしれませんね。)

そのゆらぎの為、深まる為の微細な幻想がやはり必要なのでしょう。(深まるというのも相対的な感覚なので)

空には、それ自身の中にある無限の可能性を知る為、体験する為に幻想を作り出す能力も本性として備わっているということですね。

本来、動かないものが角度を変えたり、深まることにより、いろんな質、側面をよりはっきりと見ること、感じることが可能になります。

また、もうひとつは、マインドが落ち、純粋な意識そのものになったとき、そこにすべてが在る、それ以外存在しない、それが唯一存在するものであるという事が分ります。

(完全にそれに溶けた状態だと体験者もいないので、体験のない体験という感じ。完全な空であり、同時に最も密度が濃い状態とも言えます)。

それが分った後、そこから出た時に、それは愛であり、平和であり、至福であると言う事ができます。

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