ここにいて ここにいない ただあらわれのままに そのままに 何も問題はない

ここでは、「ここにいて ここにいない ただあらわれのままに そのままに 何も問題はない」 に関する記事を紹介しています。
今回はWing(MN)さんから頂いたメールと無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。


Wingさん

こんにちは^^
メールありがとうございました。



> 無空さん

> こんにちは^^


> いつもありがとうございます

> 先日あまりの喜びに無空さんに報告しようとメールを書いたのですが
> 急な用事が入ってしまい送らず終いになってしまいました^^;

> ですが その気づきは新たに更新されてしまいましたので
> 送らずにおしまいです^^

更新度も加速していますね^^
そして、捉われがなく、軽やかでいいですね。


> ところで 最近は無空庵以外のブログはほとんど見ないです

> 必要性を感じません

> ですが在るの意識は精神世界に広がりつつあることがうかがえますね

> たまに見るブログで よく真の自己は宇宙大に広がった意識であるという書き方を目にすることがあるのですが

> ちょっとひっかかるんですね

> それも一つの視点であることに違いはないのですが

> どうしても在るをこの顕れの世界の観念 概念で捉えている感じがしてしまうのです

そうですね。
その表現だと顕れを超えている感じがありませんね。
まだ、在るを知らない方へのひとつの入り口、ナビゲートするための顕れを使ったひとつの表現、方便としてなら分りますが、真に在るを知るWingさんがそのブログを読んでそのように感じられているのなら、やはり、観念、概念経由かもしれませんね。

空間という言い方も時々聞かれますね。

宇宙、宇宙空間、それは顕れですね。

在るは、過去、現在、未来という時間を超えており、こことあそこという距離のある空間を超えています。

それはゼロ時間、ゼロ距離です。

そのとき、すべてがそれです。

すべてが直接にそのままそれです。

それ以外何も存在しません。

宇宙は、無限の可能性そのものでもある在るのほんの一部が顕れたものに過ぎません。

空間というなら、スペース。

スペースよりも場。

私は、ニサルガダッタ・マハラジも使っているように、広大な広がりそのもの

「広がり」、「大きい」、「大きなもの」という質でその側面を現わすことはあります。

(より正確には、「極大よりも大きく、極小よりも小さい」、というような表現もありますね。)

在るが顕れの源という認識、理解が深ければ、あえて、何か意図して使わない限りは、
宇宙大に広がった意識、あるいは空間というような表現は出てこないのではないかと思います。
あるいは、その表現と同時に、それを超えたもの、と付け加えるでしょうね。

宇宙大に広がった意識、空間として顕れているものでもあり、同時にそれを超えたもの、
あるいは、それ以前のものである。という感じですね。

今、在る位置、そして、理解の深さにより、出て来る言葉が違ってきます。
逆を言えば、出て来る言葉から、今在る位置、理解の深さが伺えるとも言えますね。
(方便として使っている場合は別です。方便として使っているかどうかは、分る人には何となく分りますね。)

私もセッションを受けられている方の今在る位置、意識の開かれ度合い、その方向、
観念の落ち具合、これまでの経過などを見ながら、しばらくその認識(宇宙大に広がった意識や空間という認識)を容認していた方が今開いてる流れを止めずによいと感じた場合や、タイミングを見て指摘した方がより深い認識、理解となるだろうと感じた場合は、そのまましばらく見守っている場合もありますし、言葉が出て来るたびに何度か続けて指摘する場合等もあります。
ここはやはりケースバイケースです。
(そういう意味で、感想への返信なども、相手の方に合わせた言葉の使い方をする場合はあります。)

在る(真の自己)の直接体験があったとしても、理解がまだ深まっていない場合、Wingさんがいうとおり、それを既存の観念、概念を通して捉えてしまう場合もあるかもしれません。
また、意識が宇宙大に広がった体験などがあれば、その素晴らしい体験を究極の真実として捉え、そこに固執してしまったり、留まってしまうこともあるかもしれませんね。
(その体験を経由して顕れを超えた真実を知った場合には、方便としてそれを使うことはあるかもしれません。)

顕れを超えた在るは、形なき実在です。
それは原初の原初。
無形態の形態。
無限の可能性そのもの。
すべての顕れの源。
未だ顕れざる未知そのものです。

顕れの中にも、それと同質のものを対象として見、感じることはできますが、
それそのものとしてそれを自覚したとき、
それ自身の深奥(中心の中心、核の核)へと意識が向いたとき、
深奥そのものであるとき、
その強烈性、圧倒性、濃密度、濃縮度は、顕れたそれの比ではありません。 

そこには、顕れたそれの無限倍の素晴らしさ、無限倍のエネルギーがあります。

それは宇宙として開かれ、顕れる前の未だ顕れざる 極限を超え、凝縮、圧縮された無限の高(幸)エネルギー、高(幸)密度そのもの。

至福とも呼ばれ、悦びとも言わるもの。

愛のかたまり。

かたまりでありながら、無境界、果て無き均質の圧縮状態そのものです。

(それそのもので在れば、それもまた普通、自然でも在ります。
そしてまた、極限を超えた圧縮状態でもありながら、同時に、とても軽やかで、のびやかで、しなやかで、やわらかく、清々しく、涼しげでさえあります。)

それは顕れるが、同時に秘められているもの。

すべてとして顕れながらも秘められたる深奥に留まり、すべてを支え、すべてを育み、すべてを包んでいるもの。

極秘、神秘、秘中の秘、密度の高い秘である秘密事項。

それは、特定、限定することのできない 未知なる可能性のすべてを含んだ 何か。

けっして、明かし切られることのない、感じ切られることのない無限の深奥。

すべての味わいを可能にするけっして明かされることのない隠し味。

それは、未知そのものとして、秘められたるものとして、可能性そのものとして、永遠に、絶対的にその位置に留まり、在り続けます。

それが、顕れながら顕れざる実在、

宇宙以前、

私以前、

すべてに先立ち、

すべての手前に

ただひとつ

何の原因、何の理由も必要とせず、

それのみで在れるもの。

第一のもの。

在る。

愛です。

> 宇宙は意識 想念の反映 投影にすぎません

> いわば この顕れの世界は空間的には無限であるにも関わらず
> 時空を超えたいまにおいては
> まるで私達の掌の上のビー玉のようなものでもありますね

そのとおりです。

> 波を変えてしまえば一瞬に消えてしまう世界でもあるわけです

そこが、現象、幻想、夢、物語とも言われるゆえんでもありますね。

それは、気づきひとつ、理解ひとつで

本当に一瞬で消え去ってしまいます。

そして、未知、真の自由、変わらない幸せ、無限の愛への開放が起こります。

> 現に私たちは毎晩眠りに就くことでこの世界を超えています

みんな超えていますね。

> 真の私たちはこの顕れの世界を超えています

> が 正確な表現なのですが

> ちょっと抽象的になってしまいますので

> この世界の外に在ります

> が いまは しっくりきます

マハラジが、世界を改善するためには、世界から出なければならないと言ってますね。
また、目覚め、覚醒とは、夢から出ること、物語の外に出ること、
映画館で、スクリーン上のストーリーに巻き込まれていた状態から、すでにそうであった客席へと意識が戻ること、客席に座っていたことに気づくこと、とも言えますね。

本当に意識がどこに在るか、だけの違いです。

> 時空を超えたところに在るもの

> この世界の外に在るのが私達


> そして 意識の投影としてここにきている


> その感覚がとても強く感じられます

深い理解と実感が統合され、すべてが包括されていますね。


> ここにいて ここにいない

> ただあらわれのままに

> そのままに

> 何も問題はない  です

そうですね。



> 愛と感謝をこめて・・・



>  Wing

素晴らしい愛をありがとうございました。

無空

************************


圧倒的な在るそのものを 深い愛をありがとうございました

Wing

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返信後のWingさんのブログ 「~日だまりの中で~」 より

「在るの力」

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