真我を自我と思い込んでいることもある。

ここでは、「真我を自我と思い込んでいることもある。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているM.Mさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

M.Mさん

感想ありがとうございました。

> 無空さん
>
>
> こんばんわ。
> 先週のセッションの感想です。
>
> アイコンタクトの時に、存在そのものを強く感じました。
> 意識そのものという感じでした。

とてもいいですね。
>
> その時以外は、先週は窓を開けていたからか、
> お隣さんの声が聞こえたり、車がうちの前で停まったりと
> やたらと音がうるさく感じられて
> あ!うちに用事かな?ピンポンなるかな?っていうマインドが
> 行ったり来たりしてしまいました。
> そんなマインドに気づいている時もあり、飲まれている時もありました。
>
>
> 以前、無空さんに頂いたメールを何度か読み返すのですが
> 真我について、起きていると気づいている意識 という風に説明して
> もらったことがあります。
>
> 最初、なかなかピンとこなかったのですが、
> あれは、寝ているような起きてるような時に
> かろうじて意識がある、みたいなのありますよね。
> それとか瞑想が深まった時に、意識はあったのだけど
> 終わってみたら、寝てたんじゃないか?みたいな時。。
>
> あの時の意識って感じなのだろうかな~と思ったのですが

そのときはかなり純粋な意識の状態ですね。

> だとしたら、自分がマインドだと思っていたものが
> 存在だったというようなこともあるのかな?という疑問がふと湧きました。

それはかなりあると思います。
真我を自我と思い込んでいるということですね。
ある意味、覚醒していないすべての人がこれを行っています。
無限の真我に様々なラベルを貼って(観念化し)、小さな枠に閉じ込めて、
マインドで制限しているのが自我とも言えます。

それは空間(真我)を枠で囲んで、その枠とその中味が自分(個人)であると思っている様なものです。
枠がラベル(観念等)で、中味は空間(真我)のままです。
枠で囲まれたからといって、その質が変わるわけではありません。

それは真我のままです。
それはそのまま真我です。

ラマナ・マハルシ「不滅の意識」より

「われわれはわれわれ自身の真我を実現する努力をあざ笑わなければならないときが来るであろう。
というのはわれわれは真我実現以前と以後において同じであることを、見いだすであろうから。」

気づいている意識は、気絶して気を失ったり、あるいは、熟睡中で、夢も見ていない状態のとき以外は、
マインドが活発な時も、感情に巻き込まれているときも、ずっとあります。

それはもっとも馴染み深く、もっとも当たり前にある感覚でもあります。
生まれてからずっと、あるいは、個人が生まれる前、
さらには、すべての創造が始まる前から在ります。

それはすべての源です。

創造・現われあるところ、その源も必ず在ります。
今も毎瞬、毎瞬、創造は起こっています。
マインドも、感情も創造物、創造現象です。
創造があるところには、必ず、その源である意識が在ります。

(ただ、それは源であるため、創造物に依存しません。
創造物がなくても、それは存在し続けます。
マインドが静かになったときに、それに気づきやすいというのはそういうことです。)

ですから、個人という単位で見れば、生まれてからずっとそれはあったもので、
感覚的にもとてもよく知っているものです。

それを指摘すると、拍子抜けしたりする方もあるというのは、その点からもお分かり頂けると思います。
誰が何度言おうと「それ」が「それ」なわけです。
すべての覚者が、「真我」、「それ」と言っているのは、「それ」のことです。

ただ、それを知ってもこれまである意味、外側の粗雑な領域にばかり意識が向いていましたから、
その微細な質を感じとるのは難しい場合があります。
そこから浄化をはじめ、クリアに、そして、より微細なものを感じとれるようになっていく必要があります。
そして、粗雑ものにばかり興味を引かれ、それに執着しているようですと、なかなかそこに注意を向け続けることができず、そして、落ち着くことができません。
マインドの成熟が必要です。

また、はじめは、気づいている意識というのが分りにくければ、「起きていること」自体、その事実に気づいていましょう。

起きている間は、誰でも「起きていること」に気づくことはできます。

このあまりに当たり前で、あまりに明白である、厳然とした事実に気づいていましょう。

純粋に「起きていること」、その事実、その現実、そのリアリティに気づいていましょう。

事実は、感覚をも含み、よりトータルです。

それは絶対であり、全体です。

「起きている」という事実に気づいていましょう。

誰が起きている、ではなく、

なぜ、起きている、でもなく、

どのように起きている、でもありません。

ただ、「今、起きている」

という事実に焦点を当てましょう。

そこに不純物、付属物を一切つけずに。

それは、純粋な意識そのもの、目覚めそのもの、覚醒そのものです。

純粋にそれができれば、何ものにも依存しないそれに焦点を当たることが出来れば、それだけで(初期)覚醒可能です。

準備ができているハートとマインドであれば、それ(気づいていること)をただ実践し続けることにより、純粋な覚醒が起こるでしょう。

> 先週は穏やかに過ごしましたという報告をしましたが
> 今週はマインドまみれでまたちょっと苦しい週でした。
>
> まだ、上がったり下がったりのジェットコースターのようです。^^;

さらなる深い浄化が起こってきたというところですね。
今は、全体がとても高まっていますから、進み方が早いですね。
>
> 今週は、母が検査入院することになり、私もいろいろ感情が揺さぶられました。
> 母は認知症の症状があるので、日常の些細なこともままならないのに
> 慣れない環境へ行くのはストレスだろうとか、母の不安や緊張を感じると
> 私も自分のことのように疲れてしまいました。
>
> 私の中にもともとあった、不安、緊張、閉塞感のようなものが
> 母のこの入院を通して現れ出てきたということでもあるのですよね。

そうですね。
出てきたときに、それをつかまず、ただ気づいていれば、それを解消、解放していくことができます。
何か出てきたときは、いつも解消、解放のチャンスだと捉えられるのもいいですね。
理解が進んでいる方の中には、浄化が起こっていると喜ばれる方さえいらっしゃいます。
(そのときの起こっているものの強さ、質などにもよりますが。)
>
> ただその胸のつまりや痛みが、今週は強く出て
> 在るに意識を向けるというより、痛みと共にただ在る、という感じでした。

そのときはそれでいいですし、それがベストです。
>
> そうやって、思い出すと苦しいのですが
> 家の中は、母がいない分、静かに過ごせて穏やかな一面もあります。
>
>
> まとまりないですが、今週はそんな感じでした。
> 明日もどうぞ宜しくお願い致します。
>
>
> M.M

ありがとうございました。

無空

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