ただそれだけ セイラー・ボブ・アダムソンの生涯と教え(お勧め本のご紹介)

ここでは、「ただそれだけ セイラー・ボブ・アダムソンの生涯と教え(お勧め本のご紹介)」 に関する記事を紹介しています。
久しぶりのお勧め本のご紹介です。
昨年11月下旬に発売され、蓮さんがブログで取り上げられました。
その記事を見て、タユタさんが購入され、その後、何度か関連記事を書かれています。

ただそれだけ
OH勘違い
ひっかかるもの
心ここに在らざれば

最後の記事にありますように、「ただそれだけ」を読んだ後、再度、無空庵の記事を読まれると、お伝えしていることがより分るようになるかもしれません。

(ただ、無空庵では、再認識(悟り)以降のあそび部分、それ自身が自分自身の無限の素晴らしさを無限に知っていく、無限に更新していく、無限に深まっていく(味わい、認識、理解において)というところも、共鳴(集合意識や森羅万象に働きかける合同共鳴も含む)により、強力に押し進めているということが起こっているという特徴もありますが。)

「ただそれだけ」のセイラー・ボブ・アダムソンさんは、ニサルガダッタ・マハラジの弟子で、本では、そのエッセンスがシンプルに分りやすく伝えられています。(一部は生涯、2部が教えの部分になります。2部から読まれたという方もいらっしゃいます。)
これまでご紹介させて頂いた参考本の中で、ラマナ・マハルシとフーマンより先に読んだのがニサルガダッタ・マハラジで、その絶対的な位置にあり、そこから一歩も譲らない絶対的な態度がとても好きなのですが(感覚的にもとても合う)、セイラー・ボブ・アダムソンさんは、その直弟子ということで、やはり同じ香りを持っていますね。
かつ、その教えは、マインドが幻想を抱いていてしまうような表現が極力さけられていて、本質をシンプルにストレートに伝えている、また、知的に進んでいくタイプの方にもとてもマッチしているという点で、お勧めです。

どのような素晴らしい本でも、すでにそれを知っている人が読めば、その本質をしっかり捉えることができますが、まだ本質をしっかり認識できていない方やマインドがまだ強い方(こだわりや観念が多く、いろいろひっかかりやすい方)や順を追って論理的に知的に進みたいマインドタイプの方などが読むと、どうしても、その方なりの捉え方になってしまい、同じ本を読まれても、理解されている部分やその程度、深さなどもそれぞれですし、誤解しているところ、真実は観念ではないのですが、どうしても言葉で表わされていると、その一側面、表面だけを捉えてしまって観念化してところなども多く見受けられます。

そういう点では、セイラー・ボブ・アダムソンさんの「ただそれだけ」は、極力マインドの誤解や何か特別な期待や幻想、妄想が起こらないように、本質をシンプルにまったく飾り気のない言葉、表現で書かれてあり、かつ知的にマインドで読み進めていき、それを忠実に実践してみるなら納得できるよう、シンプルに書かれていますので、多くの方にお勧めです。

(まだ、真我を知らない方、今、探求している方、真我は知ったがまだ個人主体でいる方、さらには、真我に確立した方でも、再認識、再確認のためや、違う認識の角度が与えられたりしますので、理解の幅をさらに広げることにも役立つかもしれません。それから、真我を伝えている、これから伝えたいという方にも、伝え方の参考として読まれるのもよろしいかもしれません。)

ブログの左の参考本のところにも加えておきたいと思います。
(一緒に、ラマナ・マハルシの弟子のプンジャジの本「覚醒の炎」も載せておきたいと思います。)

読んでみたいという興味が自然に起こってくるようでしたら、ご覧になってみてください。

ただそれだけ―セイラー・ボブ・アダムソンの生涯と教え
カリヤニ・ローリー 高木悠鼓
4864510229


在る、ただ在る、ただそうである の無空


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この記事へのコメント
去年、マスターにお会いしました。オーストラリアのメルボルン。わたしのような男が、うかつに書いてはいけない存在だと思いますが、ドキドキする胸を押さえてマスターにお会いした経緯を説明します。ただ、それだけのマスター、セイラーボブアダムソンはもう86歳になるおじいさんです。しかし年齢とは裏腹に力強く、握手すれば尋常ではない握力を感じ、いつもわたしにニコニコと微笑みかけてくれました。ボブさんはいつも常連客からちやほやされていて、誕生日会では過去にミーティングに参加していた女性陣からキスのラッシュを受け、モテモテでした。しかしどんな状況であれ人をえこひいきしないのがマスターです。ぼくのような日本人に対してでさえ、毎瞬毎瞬気をかけてくれる方でした。「日本人でここに来たのは、お前で4人目だ」と言ってくれました。ぼくはあまり英語が堪能でなかったせいか、ボブさんを困らせたりして、まわりのご迷惑になることも多々ありましたが、ボブさんの側近のギルバートという男が「通訳」を用意してくれて、心に響く感動的な言葉の数々を思い知り、感激してしまいました。日本では彼のような偉大なマスターがいないことを打ち明けると、『日本には“ばっけい”という素晴らしいマスターがいたんだよ』と、かつてボブさんが日本の禅僧に影響を受けていた経緯を明かしてくれました。しかしボブさんは、いままで見たこともない優れたオーラの持ち主で、彼のことをここに書き込むこと自体、おこがましいことのように感じます。神の化身といいますか、マスターといいますか、一度お会いすれば忘れられない思い出になることは間違いありません。しかし、お会いすることをお勧めすることはできません。なぜか?これはマスターにお会いした経験のある人間にしかわからないことなので、最初は受け入れにくいことなのですが、マスターは社会的成功には何ら関心がありません。たとえば、大金持ちになりたいとか、会社社長になりたいとか、持ちかける来客は後を絶ちません。その1人が、ぼくでもあったのですが………(笑)。結果、日本に帰国したぼくはいまだに就職すらできておらず、マスターにお会いした余韻を引きずったまま祖母と2人暮らしを余儀なくされている現状であります。これがマスターにお会いした効能か?と疑問に思うかもしれませんが、これが精一杯の現実なのです。
2014/07/21(月) 18:17 | URL | たいら #TnqDT2nA[ 編集]
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