「話にならない素晴らしさ」。全てが革命的真我の共鳴でした。

ここでは、「「話にならない素晴らしさ」。全てが革命的真我の共鳴でした。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているT.Sさんから頂いたメールと無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

T.Sさん

ご報告ありがとうございました。

> 無空さん こんにちは。先日も誠にありがとうございました。以下 報告です。
>
>
> 最初の共鳴。今までの共鳴が究極なカッティングのダイアモンドの美しさだとすると
>
> 今回はそれを超えていました。人知を超えるカッティングのダイアモンドの美しさでした。「いかがですか?」ときかれた時「話にならない素晴らしさ」と思わず口にし上記の例を言ったのを記憶しています。

計り知れないもの(真我・空・在る・意識・愛)は、話になりませんね。

> 目を閉じての瞑想では、枠の無い静寂と枠の無い躍動がありました。この静寂の側面は生命の究極の進化を遂げている神々の家でした。躍動の側面は無数の神々の目覚め、その力強さがありました。

そのものとなった存在達が憩う場所、そして、すべての現れ、躍動を支えて、またすべてに浸透しているのが静寂ですね。
そして、そのもので在りながら、無限の進化(無限の遊び)の最先端に在り、それを牽引し続ける存在達の活躍の場、遊びの場が、絶対の真我(在る・空)の無限の躍動の側面でもありますね。

それは、それ(真我・空・在る・純粋な意識・愛)自身の無限の再認識の繰り返し、動かないものの動きの側面であり、その存在の確かさにはまったく影響を与えない距離のゼロの中で起こっている(実は何も起こっていない)無限のループです。
無限の可能性そのものであり、形なき未知なる真我(空・在る・純粋な意識・愛)の、ただひとつのものであるがゆえ、また、意識であるがゆえに自発的に起こる、それ自身への内なる無限の探求であり、遊びです。

> 真我はそれが両方、静寂と躍動が共にあるところでした。

そうですね。

> ハートの共鳴ではどこまでも透明でしたが、豊潤な生命の喜びが共にありました。

透明の中にあるものを、豊かに感じとられていますね。

> もうこの辺りになりますと表現が出来ない状態でした。ここでは沈黙以外ありえません。

自ずとそうなりますね。

> 真実のエッセンス「在る」の美しさに溶けきってしまい沈黙そのものになってしまいます。

沈黙が至高の美です。
それ以上の美しい表現はありませんね。

> 立場を変えての共鳴。巨大なダムが決壊すように静寂さと喜びが全次元に奔流するようでした。

立ち位置が変わったことにより、すべてが溢れ出す源となりましたね。

また、そこから何が起こるかは受け取るものとの関係性、必要性等にもよります。

現れの世界で、今これだけの多くの目覚め、変容が起こっているのは、それだけ多くの祝福と恩寵が降り注いでいるから(内側からの祝福と恩寵ももちろんあります。)とも言えますが、同時にそれは、多くの存在がそれだけそれ(祝福と恩寵)を受け取る準備ができてきたからとも言うことができますね。
そしてまた、両者(祝福と恩寵を与える側、あるいはそれそのものと、それを受け取る側)は本当は別々のものではなく、ただひとつのものが、関係性として今そのように現れているのだと言うことができます。

> 立場なしの共鳴。そのまま奔流に呑み込まれ黙っていました。

静寂は静寂に呑み込まれ、喜びは喜びに呑み込まれ、沈黙となります。

> 全てが革命的真我の共鳴でした。歌おうが、踊ろうが、黙ろうが、何をしようが表現できない
>
> 神聖なる体験者なき体験でした。

体験者なき体験。
それが、「私が・・・した」や「私は・・・している」という体験の主体である「私」(個人・体験者)、そして、体験者と体験の対象という分離感、それらに歪められたり、汚されていない、“体験そのものだけがある”、あるがままの、最も美しく、最も純粋な体験です。

そして、今回の体験もまた、前回をさらに超えた、言葉では到底表し切れない素晴らしいものでしたね。

> また、木曜日楽しみにしています。無空さん どうぞよろしくお願いいたします。

こちらこそよろしくお願い致します。

無空


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