全てを気楽に観察する

ここでは、「全てを気楽に観察する」 に関する記事を紹介しています。

今回は、セッションを受けられているNさんから頂いたメールと無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

N様

感想ありがとうございました。

> 無空様
>
> こんにちは。Nです。感想を送らせていただきます。
>
> 12/15(2010年11月8日より106回目)
>
> セッション:今回は前回に続いて、「悟りの理屈」の話が中心でした。その中で
> 私が学んだのは以下のことです。
>
> (1)「観察すること」の重要性
>  心が暗くなっていることが起こっているのを観察する、マインドが騒がしいの
> を止めようとせず、起こっていることを観察する、選択・判断について、自分が
> 選択しているのか、「選択が真我からただ起こっているのか」を観察する、など。

究極的には、すべては真我からただ起こっています。
なぜなら、真我以外のものはすべて、真我からただ起こったものだからです。
(自分が選択している感覚も、真我からただ起こっています。)

> (2)エネルギーも観察する
>  「一時的に起こって去るものは真我ではない、起こって去るものを見ている意
> 識が真我」ということについて、エネルギーの変化も起こって去り、観察される
> 対象なので、真我ではない、本質的ではない、という理解が起こりました。エネ
> ルギーの変化を私はかなり重視していた(こだわっていた、一喜一憂していた)
> ので、それにもこだわらない、ただ変化を観察することの重要性を理解しました。

ここも大切ですね。
とてもよい理解が起こりましたね。

> (3)マインドを操作しようとする自分に気づく
>  観察することの対極として、「マインド、外界を何とかしようとし、操作し、
> 変えようとしている」自分に気づきました。例えば、落ち込む、心が暗くなる、
> 鬱状態になると、何とかしてそれから脱却しようとしていつもジタバタしていま
> した。あれこれ考え、やってみ、また寝るなどして、何とかしようとしてきまし
> た(その結果、余計に巻き込まれていたのでしょう。評価せず、ただ観察した方
> が客観視でき、巻き込まれなくなる気がします)。そうしなければいけないと思っ
> ていましたし、気づかずにそうしていて(それが自然に起こっていた)、それ以
> 外の選択肢があるなどと思ってもいませんでした。
>
> マインドについても、雑念・思考は「退治する対象・静めるべきもの」で、何と
> かして無念無想になろうと”努力”してきました。そしてそれが正しいと思って
> いました。
> 気がつくとジタバタしていました。「気づいて」いなかったんですね。

気づいてよかったですね。
(1)~(3)は、折を見て何度も何度もお伝えしてきたところではありますが、
やはり気づく時というのはありますね。

> (4)全てを気楽に観察する
>  心、思考、雑念、観念、感情、エネルギーの変化など全てについて、その生起
> ・持続・消滅を気楽に、ただ見て、操作しようとしない、それが「私が生じさせ
> たものなのか、私の関与なくひとりでに生じてきたものなのか」(行為者は誰な
> のか)を観察する。これを続けてみようと思います。

究極的には、私(個人・自我)が生じさせたというものはありません。
私自体も、真我から生じている現象ですから。
>
>
> よろしくお願い致します。

とても大事なポイントの気づきが起こりましたから、これから大分変わっていきますね。

無空

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