日々の(小さな)合同共鳴(どなたでも意識参加自由です。)

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自由

このブログでお伝えしていることのひとつとして、今、どう在るか、何者で在るのか、何に意識を向けているのか(向いているのか)、何に焦点を当てているか(当たっているか)ということが、とても大切であるということがあります。

意識を向けたもの、注意を向けたものが活性化します。

意識を向けることは、愛であり、光を当てること、生命(エネルギー)を与えることでもあります。

では、何に意識を向けるのが一番よろしいでしょうか?

それは、ひとそれぞれですね。

その時々で、それぞれの方の興味が向くものは皆違います。

それが多様性であり、それが自然です。

そして、その多様性の中で、本当の自分、変わらない真実、変わらない幸せを見つけたい、本質を知りたい、真我を実現したいということでしたら、注意を向けて頂きたいのは自分自身です。

それは、外側にある何かではなく、思考、感情も含め、外側にあるすべてのものに気づいている純粋な意識です。
それだけが変わることのないものです。

思考、感情に気づいている意識に気づくこと、自分が在る(自分がいる)という存在感覚に注意を向けること、
それが難しい場合は、まず、思考、感情に気づいていることを続け、そこから、思考、感情に気づいている意識そのものに気づけるようになっていけるといいですね。

ただ、それが分っていても、マインドの習慣により、本当の自分を知りたいと思っている方でも、なかなか意識がそこへ向かない(それ自身に向かない)、向けようとしてもなかなか意識自体に気づけない、気づけてもそこに留まれない、あるいは安定しないというような方も多いのではないでしょうか。

その意識に気づき、そこに確立するためのお手伝いのひとつとして行っているのが、ゼロ意識共鳴です。

意識がそれ自身に気づいているという自己覚醒・在るという状態に在る者、その深い理解にある者と共に在ることにより、自然にその状態に開かれやすくなっていきます。

一人で行うより、気づいている意識に気づきやすい状態になります。

先日(10月27日)、セッションを受けられている有志の方々を中心に、ご興味のある方々にもご参加頂き、合同共鳴が起こりました。

ある意味、大人数での共鳴であり、とても微細で普通でありながら、非常に強力なものであったと言えます。

特に、スカイプ参加の皆さんは、体験のシェアの場面でも、ほとんど話せないような深い意識状態、個人がない状態になっていた方が多かったようです。

そのようなものも、今後、定期的に行って行きたいと思っています。

(今、検討中なのは、毎週木曜日など決まった曜日の昼と夜に1回ずつ、無空庵のセッションを受けている方(全員で50人)と無空庵のブログのリンクにある方でしたら、どなたでもスカイプの音声参加OKで、基本的に体験シェアなしで、シンプルに共鳴のみ20分~30分、その後、感想を送っていただく(一行でもOK)という形等を考えています。また、前回合同共鳴同様、すべて公開で、無空庵以外で共鳴セッションを受けている方々、ブログ読者の方等も意識参加自由にしたいと思っています。夜の部の担当は、しみっち隊長(wingさん命名ブログ・ワンネスのぬくもり・体験談Sさん)、昼の部は、ヒロさん等を検討中。私も月に1回くらいは、できれば直接参加したいと考えています。

そして、そのような大人数の共鳴に参加すること以上に大切なのが、それ以外の時間、日常でどう在るか、ということです。

気づいた時には、いつでも、それ(気づいている意識・真我・在る)に意識を向ける、それそのものである、何度も何度も繰り返しそれに戻るということが大切であり、それ(真我で在ること)が日常的なもの、より自然なものとなっていくことが真我の実現と言えます。(もともとそうであることの再認識とも言えますが。)
(意識の焦点は、自然に様々なものに向きますが、本当の自分は真我であるという直接体験、直知に基づく深い理解が常に背景、あるいは、ベースにあるようになり、現れにもそれが浸透していくようになります。)

分かりやすく1日を天気予報に例えれば、個人から、徐々に、個人一時真我、個人時々真我、真我時々個人、真我一時個人、真我というように、シフトしていけるようだといいですね。

ただ、一日にどのくらい真我で在れた、何パーセント、何時間などと量的なところだけに注意が行き過ぎると、マインドが主になってきますので注意が必要です。

ある程度の目安、励みという点で軽く捉えるのはいいですが(それは、真我実現をサポートするマインドとも言えますが)、それが度を超えると、いつのまにかマインドの罠にはまり、マインドが主になっていってしまいます。

マインドはとても巧妙なところがあります。

(目的、目標を掲げ、その達成感を味わい、それに満足し、自分の手柄にするのがマインドです。━それも、個人体験を可能にするマインドの尊い質であるとも言えますが。━
多くの瞬間、真我で在れるようになってくれば、そのこと自体がマインドの成熟を促し、変容させていくということもありますが、それでもしぶといマインドは、素晴らしい状態、大きな達成の足元をすくい、そのすべてを自分のものとして持っていってしまう可能性があります。━あるがままに開いている真我を覆い隠す、あるいは、コーティングしてしまうと言ってもいいかもしれません。このような状態では、まだ真我を知っている個人であり、マインドが主になっている状態です。━
マインドはそのような性質を一部に持っていますので、━他に素晴らしい性質、側面もたくさんあります。━それに対してできることは、マインドはそうであると、ただ気づいていること。
そのようなマインドを排除しようとしたり、抵抗しようとしたりせず、“ただそうであるという理解・気づきを持って”、そのようなマインドも含め、すべてをまるまる受容すること━まるごとすべてを受容できているときは、全体そのものである愛・真我・在るという状態です。━
そう在ることができれば、まるで真我をコーティングしていたかのように、真我にぴったり張り付いていたマインドは、徐々に、真我から剥がれ落ちていくでしょう。あるいは、まるごと受容の愛の中で、自分が愛であったことを思い出し、愛の中に溶けて行くでしょう。)

そういう意味では、どのくらい真我で在れるようになったかなどは、軽くひとつの目安くらいにして、ただひたすら、という感じで実践されるのがよろしいですね。

そうすれば、自然に、時間的な割合だけでなく、在ることの質、強烈さ、垂直的な深さ、広がり、軽やかさ、明晰さ等も進んでいくでしょう。

気づいていること、ただ在ること自体が、何よりの喜びになってくればしめたものです。
あとは加速していきます。

真我で在ること(あるいは、在るで在ること、ただ在ること)がより日常的なもの、より自然で普通なものになるために(もともと真我であることは普通なのですが、それを自覚、再認識し、それがあるがままの開いた状態で主となっている状態)、セッションを受けられている方には、週1回のセッションのほかに、日常でも、意識に気づく、在るに気づく、在るそのものである、というようなことを意識して頂くようお伝えしています。

ただ、その成熟度合い、また、生活環境、それぞれの気質、タイプ等により、一日の中で、どのように、どのくらいそれに意識を向けられるか、その質と量は、ひとりひとり違います。

その部分を少しでもカバーし、ご希望の方には、日常の中で、一人で気づいている意識に注意を向けることの他に(これが基本ですが)、週1回の合同共鳴、そして、記事タイトルにありますように、日々の(小さな)合同共鳴にご参加(意識参加)頂ければと思います。

また、こちらも公開にしますので、無空庵以外で共鳴セッションを受けられている方々、そして、読者の皆さんで、ご興味、ご希望があれば、自由に意識参加されてください。

(明日10月31日(月)~11月2日(水)までは、所用のため、日中、あまり時間がとれませんので、11月3日(木)からのスタートとしたいと思います。ただ、その前もまったくセッションを行っていないわけではありませんので、フライングもOKです(笑))

意識参加時には、そう在れる方は、“ただ在る”という在り方で。在る、意識が分からない方は、すべてに開いてただリラックスして在られるのがよろしいかもしれませんね。
そのほかには、意識参加することが、ご自身を含め、意識参加されている方全員、そして、森羅万象すべてのため、また、全体そのもののため、本当の自分である真我のためになるという認識、理解をはじめに一度持って、あとは、意識、在るが分かる方はそちらに注意を向けて、あるいは、在るそのものとしてただ在って。意識、在るが分からない方は、ただリラックスして。という参加のされ方もいいかもしれませんね。
そのような意識でのご参加は、それそのものが愛であり、とても尊いものとなります。
(でも、スタンスはご自由に。)

時間帯は、ほとんどの方がお時間がどこかでとれるように、朝6時(ふとんの中でもOKです(笑)、起きれない方は、寝る前に朝6時の日々の合同共鳴に参加すると意識してから眠ってみてください。寝ながら、共鳴が起こり、意識の成長が促されるかもしれません(笑))、それから、無空庵の平日のセッションの基本時間である、10時、11時、11時40分、13時10分、16時15分、17時、18時、21時にします。(サイトトップのところに表記しておきます。)

その他、曜日や、その時により、9時20分、14時、20時などにも行っていますが、基本は、前述の時間と考えて頂ければと思います。(変更があれば、またブログトップか、記事にてお知らせ致します。)
土日は、他の仕事等に当てている時間もありますが、基本的に同じ時間帯でお考え頂ければ、全員で50人の方がセッションを受けられていて、また無空庵以外でセッションを受けられている方や、読者の方なども意識参加自由ですので、どの時間帯でも、常に何人かは共鳴している状態になっていると思われます。

平日であれば、無空庵で、常時、共鳴が起こっていますので、世界のどなたかお一人がそこに意識参加して頂ければ(意識を向けて頂ければ)、少なくても3人での合同共鳴という形になります。

時間は、各30分でそのうち何分の参加でも結構です。
多少時間がずれても(セッション時間もずれることがあります)、そこに意識を向けて頂ければ、真我は時間を超えていますので、合同共鳴は起こります。

そして、ここで、一番初めに書いた、何に意識を向けているか、どう在るかが大切であるということにもう一度戻りますと、一日の中で、他の何かではなく、それ(意識・真我・在る)に意識を向けている、あるいは合同共鳴に意識を向けているということ自体が、変わらない幸せを実現したい、真我を実現したいなどの思いをお持ちの皆さんにとっては、とても大切なことであるということです。

変化などを感じられなくても全く構いません。
真我に気づくことは、これまでずっと変わらずに普通感覚の中に在ったものに気づくことであり(あるいは、純粋な普通感覚そのものに気づくこと)、意識をそっと向けること、静かに在ること、それ自体の中にもっとも貴重なものがあり、それは普通という感覚そのものでありながら、計り知れない価値があります。

その普通感覚が全宇宙に遍在し、常にすべての生命を支え、育み、包んでいます。
それはいつも通りの日常、いつも通りの景色の中に、常に在ります。
それはいつも変わらずに在るものとして、すべてに浸透し、隅々まで行き渡り、誰でも普段から、当たり前に、努力なしに、自然に感じられているものです。

(ある意味、焦点がそこに的確に当たっていないだけとも言えます。)

人は当たり前に在るもの、努力しなくても自然に在るものにはなかなか注意が向きませんし、そのありがたさも気づかれにくく、それ(普通)が大切にされることは本当にまれです。

分りやすい例で言えば、健康なども同じように考えることができるかもしれません。

健康であるときには、そのおかげで様々なことが快適にできるわけですが、それらすべての土台にある健康自体にはなかなか注意が向けられません。
その普通さ、自然さゆえに、それが当たり前になっています。
そのありがたさに気づくのは、体調を崩したときです。
そしてまた、健康を取り戻せば、忘れてしまう、といった具合ではないでしょうか。

その当たり前に在るもの、普通の素晴らしさ、ありがたさに気づき、それを感じとれるようになるには、ハートとマインドの成熟が必要です。

それ(普通・意識・在る)は、もっとも大切なものだからこそ、個人の意志、努力、選択を超えて、絶対間違うことがないように、すべての存在が絶対安全であるように、変わらずに、「普通」として、「当たり前」として、「いつもと同じ」として、「いつも通り」として、存在しています。

宇宙全体を維持し、展開しているのは、その「普通」という力、「普通」という愛、「普通」という意識・真我です。

普通感覚は、世界に遍く存在しています。
ありふれた日常の中に、当たり前に在ります。
それは今そのものとして、常に実在しています。

それは意識です。

それは愛です。

そのことに気づいている意識、すべてであるそれ自身に気づいている意識、それが普通であるもの、真我・本当の自分です。

合同共鳴に参加されても、

いつもと同じ、いつも通り、何も変わった感じがしない、という方がいらっしゃるかもしれません。

それが正解です。

(もちろん、感覚の違いを感じられる方もいらっしゃいますし、それも素晴らしいことです。)

伝えているのは、それ(普通として常に変わらずに在るもの・真我)であり、気づいて頂きたいもの、何度も再認識して頂きたいのもそれです。

それを、これなら前から知っている、とか、なんだ、こんなものか、とおろそかにしないで頂ければ幸いです。

そうやって、多くの方が、その最も大切なものをずっと見逃してきたのではないでしょうか。

(また、マインドが成熟していないと、そこに留まれないということもあります。)

何も違わない、これなら前から知ってる、これでは何も変わらないじゃないか、という思いが起こってくるかもしれません。

では、これまでそれ(普通・意識・在る)をどれだけ大切にされてこられたでしょう?

どれだけ、そこに注意を向けてこられたでしょう?

それは知っていても、焦点をそこに当てること、あるいは、当て続けることはあまりなかったのではないでしょうか?

それは、努力しなくても当たり前にあるものだからと、まさかこれが大切なものだとは思わなかったからと、おろそかにしてこられた方もあるのではないでしょうか?

(少し前までは、それ(普通・真我・在る・今・意識)について、それがそうだと、それが最も大切なものだと、伝える方が少なかったというのもあるかもしれませんね。)

マインドは、真我はもっと特別なもの、いつもと何か違ったもの、非日常的なものという観念を持っている場合があります。

そのような場合、探しても探しても、いつまでたっても見つかりません。

普通なものなのに、特別なものを探していては、見つかるはずがありません。

あるいは、ようやく苦労して見つけたと思っても、それが起こってきたものであれば、すぐに消え去ってしまいます。

特別なもの、いつもと何か違ったもの、非日常的なものは一時的に起こってくることはありますが、それは、それが自然に起こってきたのと同じように、自然に去っていきます。

マインドの性質として、どうしても、普段から変わらずに在るものではなく、いつもと違ったもの、特別なもの、起こってくるものに目が行ってしまいます。

そして、そのマインドとハートが様々な経験を経て、成熟してくると、いつも変わらないものに注意が向き始めます。
それ(普通感覚・在る・意識・今・真我)に溶け、それとひとつになり、落ち着くことができるようになってきます。
そして、そこからさらに深く入っていくことができるようになっていきます。

いつも通りの日常の中、普通の中に、無限の宝物があったこと、すべてのよきこと、すべてのよきものが、その中にぎっしりと詰まっていたことに気づきます。

それらを知るには、ハートとマインドの成熟、澄んだ青空のような意識と心、静けさ、やさしさ、やわらかさ、しなやかさ、あたたかさ、繊細さなどが必要です。

真我に覚醒することとは、もともとある普通感覚(意識・在る・今)の再認識でもあります。

(これまでマインドで思っていた記憶・観念でつくられた個人が本当の自分ではなく、子供の頃からずっと変わらずに在る意識が本当の自分であるという気づき・目覚め。)

まだ真我に意識が向いていない方にも向けて、それに意識を向けて頂けるよう、興味を持って頂けるよう、また、地道に忍耐強く、真我覚醒、真我実現へ向けて進んでいる方を励ますためにも、また、それに気づいても、その普通感覚ゆえに、それ(真我・在る)をおろそかにしないように、それはとても素晴らしく貴重なものであるということ、無限の価値があるものであることをお伝えしています。

同時に、それ(真我・悟り)は、これまで特別な人だけが得られるものであるという、ある意味、集合的な誤解を解き、誰でも当たり前に実現できるものであること、もともとそうであるということ(すでに真我であるということ)、そして、それ(真我・在る・意識)が特別なものであるという思い込み、焦点がはずれた探求から解放されるように、それ(真我・在る・意識)はまったく普通のものである、ということをお伝えしています。

それ(真我・在る・意識)は、まったくの普通であり、そして、同時に、これ以上、価値あるものはないというほどに素晴らしいものでもあります。

その普通には、いつも変わらぬ安心感、安定感、軽やかさととに、新鮮さ、そして、神聖な奥行き、深遠な深さ、広大な広がり等無限の味わいがあります。

ブログでは、両方の側面を同時にお伝えすることもありますし、その時の流れ、全体の必要性により、普通の側面、そして、その無限の素晴らしさの側面のどちらかを前面に出してお伝えすることもあります。

普通感覚。普通で在ること。意識。気づいているということ。在るという存在感覚。在るという事実。

もっとも当たり前に、片時も離れず、変わらずに、途絶えることなく在るもの、意識を向ければ必ずそこに在るもの。そのようなものが、もっとも貴重で、もっとも価値があり、欠かせないものです。
根源的で欠かせないものだからこそ、誰も、どんな努力も必要なく、普通に、当たり前に、自然に在るわけです。

それなしでは何も存在しません。
普通(感覚)は、いつでも、どこにでも在り、すべてに浸透し、遍在しています。
それを感じるために、それに気づくために、何も特別な能力を必要としません。
それは誰にでも平等に与えられています。

それが在るので、すべてが存在しています。
そのことに気づき、感謝し、そして、それを注意を向け、それを愛し、それとひとつになる方、それに還る方、それが本当の自分であったということに目覚め、そこに落ち着ける方は幸いです。

そのような方は、その普通の中に、あらゆる素晴らしさ、美しさ、尊さ等を見、感じることができるでしょう。

普通は、真我の別名であり、またそれは、無限の愛であり、純粋な意識であり、実在です。


そして、その普通を共有し、分かち合い、深め合い、さらに未知なる素晴らしさへと開かれ、全体へと響かせていく(ということが起こる)のが、真我による合同共鳴です。

真我の視点から見れば、毎日、それぞれの時間に何人かの方が、真我に意識を向けている、普通という感覚の中でくつろいでいる、今に在る、今そのものとして在る、ただ在る、そのこと自体がとても素晴らしいことですし、とても美しいことです。

また、その結果として、そのおまけとして、現れの世界の微細なレベルにも、在るというところから影響が起こっていくでしょう。

愛と平和、喜びと幸せの波動が広がっていくでしょう。

そして、週に1回ずつ昼と夜に、真我に深く在ることができる方々が、十数人~数十人単位でスカイプで直接つながり、共鳴し、真我の深い喜び、至福の中に在ることで、全体(真我・愛)へのさらなる気づき、変容が促されていくことでしょう。

もともとひとつであるもの(真我・全体・普通)が、よりひとつであるもの(真我・全体・普通)として、大きく、静かに動き出したという感じですね。

それぞれの方の意識の成長も加速され、また、全体の変容も進んでいきます。

すべては普通の中で、起こって行きます。

そしてそれは、皆さん一人一人の中にある、ただひとつの意識、真我の中で起こる出来事でもあります。

すべては、あなたの中に在ります。

あなたの普通感覚の中にあります。

お時間のある方、ご興味のある方は、どなたでもご自由に、お気軽に、お気楽に、普通に、日々の(小さな)合同共鳴、週一の(少し大きな)合同共鳴ご参加ください。

無空

参考記事。10/27夜 動かざるものが動く!ゼロ(無限の愛)の響き合い。公開合同ゼロ意識共鳴。

今夜9時、静かに、合同共鳴 起こる。主役は、それ(真我)。

【10/27 公開 合同ゼロ意識共鳴】参加者募集

公開合同ゼロ意識共鳴ご参加ありがとうございました(^^)


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この記事へのコメント
もともと開かれている「真我」がその無限性ゆえに、決壊して行くことに喜びを感じずにいられません。

真我が今 無空さんを通して
更に全体を目覚めさせようとしています。
2011/10/30(日) 20:47 | URL | shimada #-[ 編集]
公開合同共鳴からわずか三日後に無空さんからこんな素晴らしい試みが提示されるなんて、素晴らしいとしかいいようがありません!

真我の共鳴の輪が無限に広がりますように^^
2011/10/30(日) 22:48 | URL | T.M #-[ 編集]
はじめまして。6月くらいに無空さんのブログにたどりついて、現在蓮さんのセッションを受けております。
私は在家禅の教団に18年間在籍しておりましたが、どうにもマインドにひっぱられ、真我に確立するのがなかなかできないでおりました。禅から離れその後も模索しておりましたが、昨年ラマナマハルシの本に出会い、また、ツイッターつながりでマスター濱田さん→rubyさん→無空さん、とたどりつきました。蓮さんのブログに大変共感、感動しセッションをお願いするにいたりました。ここにたどりついたこと、ご縁に本当に感謝でいっぱいです。まだまだぶれることが多いですが、こちらの記事を何度も読んで確立していきたいと思います。素晴らしい記事をありがとうございます。
2011/10/31(月) 09:39 | URL | ぽこたん #-[ 編集]
ただ在るだけだ。
・・と話した日、なぜかこのサイトにたどり着きました。
私も共鳴させていただきたいと感じました。
よろしくお願いいたします。
2013/06/01(土) 00:29 | URL | 愛の月 #-[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013/06/10(月) 10:46 | | #[ 編集]
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