無空庵の個人セッションは、ゼロ(仏教では空)の場による心の浄化法、本当の自分を知る方法、心の平和・愛と幸せ・真我覚醒・真我実現を促す方法です。

●ゼロ意識共鳴で、真我・無限の愛である本当の自分に目覚め、本当の自分を実現する!

真我はただ在る。ただ自分自身(愛)である。シンプルな生き方。シンプルな在り方。
無空庵で「愛」(存在の愛)と「空」、そして「在る」こと(自分自身であること)の素晴らしさを知る。
悟り・覚醒・変わらない愛と幸せ・心の平安を実現!

無空庵では、スカイプで全国の方を対象に、ゼロ意識共鳴個人セッションを行っています。
個人セッションは、ゼロ(仏教では空)の意識の共鳴ワークであり、心の浄化法、本当の自分を知る方法、無限の愛と自由、心の平和、本当の幸せ、真我覚醒、真我実現を促す方法です。

ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、フーマン、エックハルト・トール、ガンガジ等の言及する「悟り」「覚醒」「真我」「本当の自分」の実現をサポート!メッセージ1 メッセージ2

※多忙のため、セッションに関するお問い合わせの返信には、数日~1週間くらいかかることがあります。また、同様の理由により、読者の方からのご質問にはお答え致しかねます。ブログへのコメントにもお返しできないことが多いと思いますが、あわせてご了承願います。

公開・日々の小さな合同共鳴
※どなたでも、森羅万象あらゆる存在の意識参加自由。
毎日6時、10時、11時、11時40分、13時10分、16時15分、17時、18時、21時 2011・11・3~
(6時以外は、無空庵の基本セッション時間です。)。
各30分(その内何分でも構いません。ただそっと意識を向けてみてください。そして、できる方はご自身の存在感覚、在るという感覚、又は、気づいている意識に気づいていてください。)
※参加された方々の記事。
蓮さん①, wingさん①のびのびさんsatorinさん

公開・週一合同ゼロ意識共鳴
※どなたでも、森羅万象あらゆる存在の意識参加自由。
毎週木曜日21時と21時30分から各30分間。 2011・11・10~
※こちらの記事もご覧ください。合同ゼロ意識共鳴は、集合意識の変容を促す。+感想③
第1回感想①感想②
※参加された方々の記事 しみっちさんWingさん蓮さん

今回は、セッションを受けられているSNaさんとのメールのやりとりを、参考までにご紹介させて頂きます。

また、無空の返信内容に関してましては、現在、家の仕事が普段以上に忙しい時期に入っており(9月~10月)、頂いた内容を十分に読み取れていないところ、そのままコメントさせて頂いたところ、コメント自体も十分でないところ等あるかもしれませんが、参考までにご紹介させて頂きます。

やりとりの順は、>>(SNaさん)→>(無空)→何もなし(SNaさん)→『無空: 』(無空)となります。
今回は、SNaさんから頂いたメールへの返信へのSNaさんからのお返事に、最後、何箇所がコメントを入れさせて頂いたという形にさせて頂いております。


無空様

大変御丁寧なお返事をありがとうございます。
内容に関する様々な見解・コメントを頂き、
本当にお忙しい中、恐れ入ります。

前回の感想に関しましては、自分でも公にできる精度や確信が不十分であることを
自覚しつつ、お送りしたものでした。

それでも書かせて頂いた理由は、たとえラフな雑感になっていても、
自分の感性が反応する方向性について、まずはお伝えしてみたい、
という気持ちからでした。

公の場などで書く文章の場合には、内容の正確性はもちろん、
あらゆる人から見た調和のバランスから逸脱しないか、
ニュートラルなバランス感覚が反映されているか、
といったことに配慮しなくてはなりません・・・。

ですが、お送りした文章に関しましては、
個人的に無空さんにお伝えしたい、と思ったことでしたので、
そこまでの配慮をしなくても大丈夫だろう、という甘さがありました。

内容は、
前半が「三位一体」に関する抽象的な内容で、
後半が、○○、○○○○○などで起きた
具体的な史実や事件に関することでしたが、
実はお伝えするにあたり、最初に心に浮かんでいたのは
後半の内容でした。

前半の三位一体に関しては、
後半のような話が何故、心に浮かんだのか、
その背後に感じとる意味をお伝えしようとする中で、
「だいたいこんな方向性・・・」、という風にでてきたものでした。

後半のお話は、自分の感性が捉えるものについての、
あまり絶妙とも言いがたい「例」でしたが、
自分としては、
こういう「視点の方向性(色環上の色彩)」もあるのでは?
と、「気になる方向性」を際立たせることを目的に、
とにかく投げてみよう、と思ったものです。

それが意味ある視点であるかどうかは、無空さんが御判断すること・・・。
そう思いつつ書かせて頂いたものでした。

ですから、そのままブログにアップすべき内容、というよりは、
個人的にお伝えしてみたい内容でした。
(じつは書いている時点では、ブログ非公開のつもりでした。)

      *      *      *

ですが、これだけ御丁寧なお返事と見解を頂きましたからには、
これを出さないのはもったいないと思いました。

しかし後半の内容は、ブログ公開には明らかに不適切でしたので、
コメントを頂きました前半部分のみ、公開頂けるとのこと、
自分もぜひそうして頂ければ、と思います。
(自分の書きました内容の詰めが甘く、考察も粗いのは
お恥ずかしいですが。)

      *      *      *

>> 先日のセッションで、三位一体についてのお話になりました。
>> 無空さんが、お返事に書かれた、
>>
>> 1 現れの視点、
>> 2 「在る」一元の視点(「源」からの視点)
>> 3 両者を統合した、トータルな視点
> >
>> という三つの視点が、
>> 自分が研究してきました「三位一体の関係」にある、
>> というお話です。

>そのように見ることもできる、ということですね。

>> そして、無空さんは、
>> 「2、は1の源であり、1より大きい。」
>> 「3、は1、と2、を合わせた立場だから、2より大きい」、
>> という視点をお返事で示されましたが、

>もちろん、返信の表現からそのように読み取られたと思いますが、
>「大きい」という言葉を使い、大小だけで比較してしまうと
>一面的な感じにもなることがありますね。

>> まず、『今の「トータルな視点」を持った意識』よりも、
>> 未来の『更に成長したトータルな意識』の方が、もっと大きい。
>> そして、「未来の、より大きなトータルな意識」とは、
>> 「現在のトータルな意識」よりもっと
>> 「無限の源」=「2」に近づいたところにある・・・。
>> つまり未来は、私たちにとってまだ見えない「2」の中から
>> 出現してくる、
>> その中に、より大きな「トータルな意識」も存在する・・・。
>>
>> その視点で見ると、3より2が大きい。
>> そして「2」の究極の源とは「完全なバランス=無・∞」であり、
>> そこには「動き」が存在しない。
>> だから、より大きく豊かなものを生み出すために、
>> そのバランスを自ら崩し、
>> 創造の意志によって「未知なるもの」をわざわざ生み出したものが、

>そのように見る視点もありますが、
>無空庵では、ここは、在るの自然本性(愛)と捉えています。
>(自然に起こってくる、ただ起こってくるというように。)
>これもひとつの視点と言うことができますが、
>そこには、「只」、「ただそうである」、「自然」、「絶対」等の質があります。
>詳細に様々な角度から見ていけば、創造の意志等含め、
>様々に見ることが可能ですね。

ほんとうですね。

>> この「現れの世界」、すなわち「1」となる・・・。
>> つまりその視点から見ると、「2よりもさらに1が大きい」、となる・・・。

> それは、絶対以上、完全以上、不動以上と言うこともできますね。

はい。。。ここは考察が粗い(甘い)ところでした。
(じつは自分でも、後で気付いていました。)

自分が申し上げたかった「視点の方向性」とは、
「三位一体のバランスの概念、そこから見た中立性の視点」についてでした。

『無空:はい、そこは十分に伝わってきております。』

前回の感想の後半部分で書かせて頂いたのは、
そのバランスの崩れに一つの原因があったのでは?
と個人的に感じる、生々しい現実の例についてでした。。。
その背景にある、循環、バランス、中立性etcの概念を表現したかったのですが、
自分の感性に触れてくるものが何なのか、
背景にある原理の意識化・明確化が不十分なままお送りしたと思います。

ご指摘のところは、深く考えなくてはなりませんが、
「常に新しい、出現し続けるもの」としての今を生み出す働きを、
「無限性の顕現」と捉えれば、「不動の完全性」と並列できるか?
・・・とか、
「現れの世界」を体験する層(レイヤー)からの視線で見たときには、
「静的で安定した状態」から、
より大きな「未知の可能性を秘めた動き」が出現する働き、
存在の新しい冒険を生み出す働き、
のように捉えられるか?
・・・などなど考えて見ましたが、まだスッキリしません。

>> つまり、
>> 「3 < 2 < 1< 3」の3すくみの関係(グーチョキパーの関係)が成り立ち、
>> そこに永遠の循環・創造プロセスとしての「三位一体」が
>> 成り立つ、というお話になりました。

> それが、SNaさんの視点ですね。

いえ、視点に、自分のも他人のもありません!(中立です!)
・・・などというのは冗談です。(笑、スミマセン)

そうですね、この現れの世界に生を受ける、ということは、
ものすごく大きな負荷をもって生み出されていることではないか?、
もし神なる自分などというものがいて、この世界と自分を生み出している
とすれば、もちろんあらゆる結果を支える責任能力があるでしょうが、
そこには、新たな未知の可能性を生み出すための、
巨大な負荷と、創造への意志があったのだろうな・・・などと考えて、
それを生かせない自分への不満・苛立ちへと結び付けそうになるときは
あります。
そんな時は、そうした思考をいったん全部やめて、
ただ存在と自分が一つであることを感じるように、
最近は試みるようになりました。

>無空庵では、ここは、在るの自然本性(愛)と捉えています。

見る立ち位置に応じて、あらゆる視点が生じるとするならば、
どの視点から見ることを選択するか、というところに、
存在の自由さがあるのでしょう。
でも、こだわりたい自分、執着する自分、悔しさを感じる自分・・・、
などが出てくるときもあります。

ただ、ここでは単に「循環するしくみ、中立性、対等性」などを
提示しようとしただけ、ともいえるのですが・・・。

>> このように見てくるとき、
>> 「1」、とは「有」、つまり現れの世界(現実、有限)であり、
>> 「2」、とは「無」、つまり見えない源の世界(無限)のこと、
>> そして「3」、の「トータルな視点の在り方」とは、
>> 1と2との「バランスの上にあるもの」、となります。
>>
>> なぜなら、
>> 1、が、「スクリーンに映っている現象」、
>> 2、が「現象を映し出しているスクリーン」
>> だとすると、1と2は合わせ鏡であり、表裏一体のものです。
>> 2は本来、形も大きさもなく、「大きいも小さいもない」ものですが、
>> そこに「映し出している現象世界」があることによって、
>> そこに「鏡(スクリーン)がある」、ということが、
>> 表・裏のように、初めて知覚されます。
>> つまり、1と2は表裏として、完全にバランスが取れた形を持ちます。
>>
>> そして、「3」がその両者を、「ただそのままに」受け取るものであるとき、
>> その「3」もまた、「1と2」とバランスの取れた存在、となります。
>> つまり「1、2、3」(三つの要素)はバランスがとれたもの、となります。
>>
>> そして、その「バランスがとれた三位一体」が、
>> すべての「個々の存在」の姿である、と考えています。

>そう見ることができますね。

>> つまり「意識の存在するところのすべて」に、すべてのレベルで、
>> このバランスが働いている、と考えています。
>> 原子、分子、細胞、人間、社会、意識体・・・、すべてです。

>無空庵的には、
>ただひとつである在る(純粋な意識)はバランスそのもの、
>そのひとつであるものが多になるとき、
>一が多として現れるとき、

>多様性として多重多層多次元的に、
>そのまままるごと様々な単位、スケールに
>ひとつひとつとして
>(原子、分子、細胞、人間、社会、意識体・・・、すべて)
>現れているので、

>SNaさんが言われる「意識の存在するところのすべて」、
>「すべてのレベル」、微細なレベルのひとつひとつから、
>その組み合わせ、集合、どのような単位、スケールでも、
>すべてはバランスがとれている
>(アンバランスのバランス、バランスの中のアンバランスも含め)、
>あるいは、バランス作用が常に働いている、
>という見方をしています。

>> 「三位一体」とは結局何なのか、といえば、
>> それは「知覚(=気付き)」が持っている原理構造なのであり、
>> 「知覚」というものが成り立つための、もっとも根源的なしくみだ、
>> と自分は考えています。

>そう見ることができますね。
>「三位一体」とは、
>「知覚(=気付き)」が持っている原理構造という点では、
>捉え方はまた別ですが、
>以前、わたしが学び、自身にとっても分かりやすく、
>実感としてもそうだと理解しているものがあります。

>それは、ただ一つの実在とは、意識(気付き・在る)であり、
>その意識が意識であるがゆえに、自分自身に気づくことができる。
>意識がそれ自身である意識に気付くとき(自覚状態)、
>そのとき、ひとつである意識の中に、
>気付く主体、そして、
>気付くプロセス
>(過程、行為、動き、する、時空等
>━意識が意識自身に気付く距離・時間ゼロの中で生まれるもの、
>その中に含まれるもの━)、
>気付く対象
>の3つが生まれます。

>それは、それ自身の中で起こることなので、
>ひとつであるものがひとつであるまま、何も変わらずにそのまま
>その中に、3つのもの(要素)が生まれたと見ることができます。

>もちろん、その3つは全て同じもの(意識・在る)であり、
>本当はひとつであるものだけがあります。
>ただひとつの意識が、
>気付く者(主体)にもなり、
>気付かれるもの(対象)にもなり、
>そして、その過程にもなります。
>ひとつで三役ですね。

>それが、意識それ自身への気付き
>(在るのそれ自身への気づき、
>在るが自分自身の存在性に気づくこと、ただ在ること)
>という距離なき、時間なき中で起こります。
>不動の中に動が起こり(気付く、認識するということ)、
>それが、ひとつであり、同時に3つであるそれ自身の中で、
>永遠に循環していきます。
>もともとその循環があります(時間を超えたところに。)
>これもまた、知覚(気付き、認識)が持っている構造であり、
>それは、在るの構造、純粋な意識の構造でもあり、
>それを「三位一体」と見ることもできると思います。

>(そして、前述させて頂いた
>「在るがバランスそのもの」であるということも、それは、
>「ただひとつのものである━絶対バランス━」というポイントの他に、
>この「三位一体」の構造からも見出せると思います。)
>そして、そこに気付きの永遠の循環・創造プロセス
>(気付き、認識されたものを元にまた創造が起こっていく、
>そして、それが体験され、さらに認識が深まり、広がっていく)
>があります。

なるほど・・・。そういうことなのですね。
三位一体について考えていく上で、
非常に重要なことを、お教えいただくことができたと思います。
どうもありがとうございました。

>> だから、より大きく豊かなものを生み出すために、
>> そのバランスを自ら崩し、
>> 創造の意志によって「未知なるもの」をわざわざ生み出したものが、
>> この「現れの世界」、すなわち「1」となる・・・。

自分が上のように書きました理由には、二つありまして。。。

ひとつは、「対称性の破れ」という物理学の概念でした。
(バランスが崩れることによって、無から有が出現する、という概念で、
ビッグバンもそれによって起こるし、
存在の、無の中から有が現れ続け、動き(プロセス)が起こり続けるしくみ、
「安定・停止」のバランスを絶えず破って物事を出現させる働き
につながる概念です。)

二つ目は、「今」というものが、今までに存在してきたすべてを超えた、
(神を含めた全存在にとっての)処女領域である、という考え方でした。

しかし考えてみれば、一つ目の「対称性の破れ」は、
「観察者の視点の位置」は現れの世界の中にあります。
自らがその位置にいるから、
初めて現れの世界としての「相対性の宇宙」が見えることになり、
「動き続ける世界」が見える(体験できる)のでした。
物理学の視点とは、「肉体から世界を観測する」ことで、立ち上がった視点、
となっているのです。そこに、全物理学の存在基盤がある、ということに、
自分は気付いておりました・・・。

しかし、無空さんのご提示された視点は、
現れの世界が無から出現する瞬間、といいますか、
その接続点を捉えたものになっていて、
それを見ている視点の位置は、「現れの世界の中」ではありません。

そうか・・・!!
その視点の位置を持つことで、
「三位一体」の絶え間なく循環する姿の全体像が、
初めて視野の中に、完全におさまるのかもしれないですね。。。
そこに、循環し続け、すべてを生成し、創造してゆくことのできる、
生命の自由な姿の全体が、視野の中におさまる、
つまり「自らの意識の中におさまる・・・」、
そういうことなのかもしれない、と思いました。

SNaさんの視点、と書かれましたが、
自分の書いた視点ですと、そこにある違和感は、
「見ている立ち位置」が一貫せず、毎回いちいち、動いているのです。
それが、お送りした後に自分が感じた「違和感」の正体でした。

でも、無空さんの提示された視点は、一点からのものであり、
その中に全体を包含しています。

二つ目の「存在の処女領域」についても、考えてみれば、
結局その土台にあるのは、「無限から無限を生み出す営み」であり、
もとよりそこに、「大きい小さい」はありません。
そして、何も生まれていないところから「存在の循環」が始まる地点、
というものが、そこにはあるはずです・・・。

自分の書きました視点は、
すでに現れたものの中から見た「位相の循環」になっているから、
グーチョキパーのように、毎回立ち位置が変わるのです。
それに対して、ご提示いただいた視点は、
何も存在しない無から、どのように存在が生じてくるのか、という
「無と存在との接続点」において、
その全体を収める視点になっていると思います。

これは、学びになりました。
自分がなぜ三位一体を追いかけてきたのか、
それを得るためには何が必要であるのか・・・。
―――そういうことだったのか・・・。

どうもありがとうございました。

>> そして、『「既知」、「未知」、そして「両者が出会う共鳴場」』、
>> の関係として捉える構造が、
>>『「知覚」(知るということ)を成立させる「三位一体」』としての、
>> 最も根源的な定義だ、と自分は考えています。

ちなみに、前回は上のように書きましたが、三位一体につきましては、
この見方も「一面的」になってしまうような
もっと深い、「ややこしくもじつはシンプルな問題」もあります。
「気付く主体、気付く対象、気付くプロセス」という括りだけでも
単純にとらえられない視点が、そこにはあります。
互いに自在に入れ替え可能、といいますか、

『無空:はい、すべては、同じひとつのものですから、
気づく主体が、気付くプロセスにもなり、気付かれる対象にもなります。

気付く主体が、気付くプロセスになるという点は、
「在る」が「する・行為」になるとも言えます。
(気付きという点からは、気付きそのものが、気付くという行為に
なるとも言えます。)
また、気付く主体が、気付かれる対象になるという点は、
対象との同一化、対象に巻き込まれる、主体が覆い隠される、
あるいは、対象そのものとなっている、等言うこともできます。
そして、気付かれた対象は、気付かれた対象として、固定限定されているものではなく、
それがまた、気付く主体ともなります。(気付く主体でもあります。)

気付く者は、気付かれるもの(気付かれる対象)であり、
気付かれたもの(気付かれた対象)は、気付いた者でもあります。

また、この部分を順を追った流れ、動き、循環という視点から表現するならば、

気付く者は、気付かれるものとなり、
気付かれたものは、また気付く者となります。というような表現になります。

ここから、無空庵の基本(のひとつ)である
平成25年9月26日のK.Mさん(のびのびさん)の感想等にも出てくる
「気づいたら(在るに)戻る」も理解できると思います。

無空庵で言う

ただ在る、ただ気づいている、気づいたら戻る

という中に、

前述の三位一体の知覚の構造、在るの構造、意識の構造、
気付きの永遠の循環・創造プロセス等すべてが含まれています。

そして、そこから、

やはり、無空庵で言っている

(これもひとつの視点ですが)

ただそうである、あるがまま、起こるがまま、これでいい、ちょうどいい
絶対安心、絶対安全、絶対大丈夫、
すべてはただ起こっている、そして、本当は何も起こっていない、
無限の深まり、無限の更新等も理解していくことが可能です。』


そのように分類対応させることが無意味になっていくような世界です。

『無空:そういう意味で、それもひとつの視点という言い方になりますね。
そして、必要な場合には、そのような視点は、このような場合に有効である、
というような表現が続きます。』


そこに、生命の世界の、相対性を超越した自由さがあると思います。

『無空:そうですね。』

しかし、無空さんならば、これだけ申し上げただけで、
「あ、なるほどそういうことですね。」
とお返事が返って来そうです。(笑)

『無空:前述のコメントのとおりです(笑)』

それと、やはり三位の構造面における、独特のしくみがあり、
それが言葉の定義と絡んできます。
つまり、いろいろ奥深さがあります。
(よろしかったら)いつかまたお話させていただければ、と思います。

>> そして「三位一体」の構造とは、
>> 古来、世界中で様々に言及されているものですが、
>> 「その三つの要素は完全に対等であり、バランスが取れている」、
>> ということになっています。
>> つまり、「1、現れ」、そして「2、映している鏡(スクリーン)」、
>> 「3、出会い続ける両者をトータルに知覚している視点」、
>> この三者が対等でバランスが取れているのが、「自然の姿」だ、
>> というわけです。

>「自然な姿」というのが、いいですね。

>> 「1より2が大きく、2より3が大きい」という視点は、
>> 「知覚し続ける存在」、すなわち「知覚するプロセスを生きる存在」
>> から見た視点となります。
>> そして私たちの意識とは、まさに「プロセスを生きる存在」なので、
>> その通りとなります。
>>
>> ただ、「その視点がすべて」になってしまうと、
>> 「その方向性(ベクトル)に、絶対的な価値観を持たせてしまう」
>> ことになります。
>> そのことが、やがて大きなズレ(歪み)を生む、と思うのです。

>そうですね。
>ですから、無空庵のブログでも、ひとつの視点であるということを時々書いています。

>シンプルには、どう見るか、どの在るか、だけの違いとも言えますね。

>>
>> 「知覚するプロセスを生きる存在」の外部から、
>> 「存在の循環」を客観的に見たときに見えてくるのが、
>> 「ジャンケン(グーチョキパー)の関係」となります。
>> そこに存在としての「よりスケールの大きな中立性」(あるがまま)
>> が成り立つのではないか、と思います。

>そうですね。
>それも、そのまま同じ言葉ではないですが、
>視点として、ブログのどこかに書いてあったのではないかと思います。

>「あるがまま」とは、

>本当に「あるがまま」

>ただ「あるがまま」です。

>> (これはまだ自分にとって仮説であり、もっと深く確信を持てるところまで
>> 熟慮する必要を感じていることなので、
>> どうか無空さんも、ご自分の直感と実感によって御判断ください・・・。)

>ただひとつのものだけがある、
>ということが深くトータルに理解されてあれば、
>すべては、視点による違いだけだということが分かり、
>自ずと、現れた多様性(視点、考え方等も含め)に対し、
>中立的な見方、すべてはその存在において
>(それぞれが現れて存在しているということにおいて)同等である
>という見方ができるようになって来ますね。
>(その上で、その存在を通して、起こることは起こります。)

あらゆる人に対して、そのような見方から、
同じように、深い愛をもって接するようになれたら・・・。
今の自分には、まだとてもできません。
しかしそうなりたい、と思っています。

この、「存在において同等である」というテーマは、
「人間の尊厳」の本当の根拠がどこにあるのか、
というテーマにつながります。
それは長年の、自分にとってとても大事なテーマなのです。

      *      *      *
>>
>> なぜこんなことを、わざわざ今書くか、と言いますと・・・。
>> 自分にとってこれらのことが、痛い体験とともに気付いてきたこと
>> だったからでもあります。
>>
>> かつての自分は、「現れの世界」より
>> 「在るの世界」を上に見ていました。
>> するとそこに、ひとつの価値観のベクトルが生じてしまいます。
>> 意識進化、霊性、秩序、創造性、進化、美、清らかさ、純粋さ、etcetc……。
>>
>> これらのものは、確かに美しく、価値あるものです。
>> だからこそ、場合によっては根の深い歪みの原因となるのです。

>全体的な視点、全体的なバランスの視点が失われると、
>そうなることもあるかもしれませんね。
>また、相対的な価値観、価値判断、価値観のベクトル
>という視点もあってもいいですが、
>同時に、すべては、
>その存在において
>(現れ、起こり、存在しているという点において)は
>同等であり、
>すべてはただ単に「状態の違いである」
>という視点も持っていられるといいですね。

>そのような見方が自然にできるようになるのが、在るの実現であり、
>(もちろん、それだけが
>在るの実現により享受されるものではないですが。)
>また、マインドの純化、変容、成熟でもあります。
>SNaさんは、体験を通して、
>そのような視点に気づかれたということですね。

>また、無空庵でも、在るの多様性のひとつの現れとして、
>この現れの世界において、
>「在るの実現」ということをサポートさせて頂いておりますが、
>「実現」という点で、
>そこには、ある意味、ひとつの方向性というものが生じてきます。

>それもひとつの大事な要素ではありますが、
>同時に、それはすでにそうであるものであり、
>在る自体が方向性なきものであること等、
>随所で様々にバランスをとりながら、
>ニュートラルな位置、全体的なバランスの位置に戻れるよう
>配慮しながら、サポートさせて頂いております。

>(ただ、個々に合わせ、また同時に、全体の状況に合わせ、
>在るから起こってくることも在り、
>必要に応じて、ひとつの方向性が強く押し出されたり、
>断定的な表現が起こってくることもあります。

>また、受け取る側のタイプや成熟度合い等もそれぞれであり、
>その中で、全体として大きなバランスの中に在る、
>その中で進んでいる、循環している、循環しながら成長している、
>循環そのものは変わらないまま、無限に深まり、成熟して行っている
>と見ることもできると思います。)

>>
>> インドのカースト制度は、人間の霊性に対するハイラーキーが、
>> その思想の根源にあるらしいです。
>> インド社会のその壁を壊したかったOshoが言っていました。
>> Oshoはこのインド社会の壁を壊すために、30代からの12年間、
>> まさに火のような舌鋒で、全インドを遊説し続けた過去があるのですが・・・。
>>
>> でも…それでもなお自分は、Oshoも、グルジェフも、五井昌久先生も、
>> みんなどこかで、結局この中立性の視点が欠けていたために、
>> バランスを崩して倒れたのではないか、という気がしています。

>そのように見る視点もあるかもしれませんね。
>その他の視点としては、
>全体の大きなバランスをもったひとつの流れ、
>自然な展開の中で、
>あるひとつの質(視点)が強く現れる必要があるために、
>他の質(例えば、中立性等)は、あまり強く全面(前面)に出てこない、
>控えている、隠れているような場合がある
>という見方もあると思います。

>非中立の中立、中立の中の非中立、
>一点、一部分、一区間、ある特定の期間、また、
>一存在の現われ部分だけ
>等を見ると非中立に見えるような場合でも、
>大きな全体として見れば、中立という状態になっている、
>という場合もあるでしょう。

>個人として現れた存在の中にも完全なバランスがあり、
>それが、
>全体の完全なバランスとつながり、連動していて、
>全体のバランスの中で、
>個人の中にもある完全なバランスというものが
>どのように現れるか、というものは
>マインドでは計り知れないものがある
>とも言えます。

>それこそ、個々の現れは、SNaさんが前述された
>究極の源である完全なバランスが崩れたもの
>と見ることもできます。
>そして、その完全なバランスの崩れにより
>創造され、現れたすべての存在には、
>SNaさんが、また別のところで書かれてあるように、
>人間も含め、「意識の存在するところのすべて」、
>すべてのレベル、すべてに
>三位一体のバランスが働いていると言うことができますね。

>(SNaさんの視点では、その三位一体のバランスが、
>個々の単位で、どれだけトータルに実現されているか、
>ということなのかもしれませんが。)

↑これにつきましては、別の視点があります。

「個々の現れ」が、「究極の源である完全なバランスが崩れたもの」
というのは、先ほどの「対称性の破れ」の見方です。
これは、「動きのない、静的な対称性(バランス、完全性)」が崩れることで、
「動き」が生じ、「動き続ける宇宙」が出現し、物質界が出現する、
という考え方です。

『無空庵的には、「バランスの崩れなき崩れ」という見方になりますね。
それは、「静の中の動」、「動の中の静」とも言えますし、
「色即是空」、「空即是色」でもあります。』

ちなみに、(余談になりますが)、
この概念は、南部陽一郎博士、という物理学者が40年以上前に、
宇宙の生成原理として理論化したもので、それにより数年前に
84才の南部博士にノーベル物理学賞が与えられました。
受賞が決まった時、すでにノーベル賞を受賞していた西洋の学者たちの何人かが、
「南部は早過ぎたんだ」とコメントしたそうです。
自分は、この考え方は、般若心境の色即是空などにも通じる、と思ったのですが、
それが宇宙生成の物理学の原理として立ち上げられたこと、
それが戦争直後の時代の日本人の理論であったことに、
何かここにも、東洋と西洋を結ぶ位置にある日本の潮流、
というものを思いました。

その、無から有が生まれる(宇宙が「相転移」を起こす)「対称性の破れ」に対して、
個々の存在のもつ三位一体のバランスとは、
『「動き続けるプロセス」におけるバランス』と考えます。
「対称性の破れ」が、「静的な完全性」から「動きの世界」が生じるのに対し、
こちらは「動的バランス」の原理であり、
それは『「バランス」と「アンバランス」のバランス』として存在します。
秩序(ルール)と無秩序(カオス)との間の「ゆらぎとしてのバランス」も、
これになります。
たとえば自転車に乗っているとき、自転車が止まってしまっては、
自転車は立っていることができませんが、
走り続けていれば、
バランスとアンバランスの間の「揺らぎ続けるバランス」の中で、
自然に安定していられます。
そういう仕組みをイメージしておりました。
(ちなみにこれが、私たちの「器、許容量としてのバランス」になる、
とも考えるのです。)

それと、「バランスの崩れ、不完全さ」と、
「すべての存在が持つバランス」の関係につきましては、
ことに自我と悟りに関して、次のような見方ができると思います。

自我というのは、それが捉える一つ一つの立場や視点、
それがもたらす部分的な価値観、感情、感覚などを、
(全体としては)部分的でアンバランスなまま、
ひとつひとつ体験してゆくことなのだろう、と。

自我の「部分的な視点」は、全体と統合されておらず、
全体のバランスをもてないので、
その価値観は自立したものにはならず、
他者や共同体、より大きな流れなどに依存したものに
ならざるをえません。

でも、それがやがて、自分自身の体験、理解などの中で
存在のバランスを見出し、統合され、
中立性(中庸、中心)などが確立されてくると、
その在り方が自立したものとなり、
自然や生命の在り方に立脚した、ぶれない視点や感性、行動などを
維持できるようになっていくのだと思います。
それが(人間の存在を「光」に喩えるならば)
人の個性の「色環」が調和して、白色光に戻ること、と
捉えられると思います。
それに対して、自我のプロセスとは、
魂の次元の全体性から見たとき、
色環(虹)の色彩の一つ一つを創っている時期、と言えるのかと思います。

そうだとすれば、自我の成長段階において、未熟な価値観ながらも、
あるひとつの立場や視点に同一化しながそれを深く体験するプロセス、
というものも、
いつか、自我が「色環」として完成して調和するための素材となる、
一つ一つの「色彩の体験」を立ち上げるプロセスであり、
―――その感覚や気持ち、つながりや空気感、個性、ノリetcetc
生命の体験、存在の豊かさを、自らの中に立ち上げていくプロセスなので、
大切なことだと思います。

『無空:本当にそうですね。』

ちなみに、そういう自我のプロセスであっても、
その部分的な視点、感覚、行動などの基準に焦点を合わせれば、
その視野における中立性(三位一体性)はあります。
それは、どんなレベルにおいてもあります。
たとえば、(また例が極端かもしれませんが)
自我の在り方が不調和で、エゴ以外の何物でもない人でも、
その人の生命レベルでの肉体は、細胞も臓器も遺伝子レベルでも、
たくさんの生命レベルが織り成す深い調和とシンフォニーの賜物であり、
愛以外の何物でもない・・・、というように。
これは、全体と部分の関係でもありますので、
あるレベルで全体であるものが、さらに大きなレベルでの部分をなす、
という自己組織化の話にもなってきます。

ただその中で、「自我の完成、魂の覚醒」という一つの大きなエポックが、
時代に訪れつつあり、自分も今、お陰さまでそれを学び、
経験させて頂くことができつつある・・・、(のかな?)と思います。
どうもありがとうございます。

すみません、話がそれてしまいました。
無空さんの書かれたところは、とても深みのあるお話でしたので、
もう一度話の流れの部分を、最初からコピペします。
自分が以下のように書きましたことへの答えです。

>> でも…それでもなお自分は、Oshoも、グルジェフも、五井昌久先生も、
>> みんなどこかで、結局この中立性の視点が欠けていたために、
>> バランスを崩して倒れたのではないか、という気がしています。
(※↑これも、個人的な会話の感覚で書いたのですが・・・)

>そのように見る視点もあるかもしれませんね。
>その他の視点としては、
>全体の大きなバランスをもったひとつの流れ、
>自然な展開の中で、
>あるひとつの質(視点)が強く現れる必要があるために、
>他の質(例えば、中立性等)は、あまり強く全面(前面)に出てこない、
>控えている、隠れているような場合がある
>という見方もあると思います。

>非中立の中立、中立の中の非中立、
>一点、一部分、一区間、ある特定の期間、また、
>一存在の現われ部分だけ
>等を見ると非中立に見えるような場合でも、
>大きな全体として見れば、中立という状態になっている、
>という場合もあるでしょう。

>個人として現れた存在の中にも完全なバランスがあり、
>それが、
>全体の完全なバランスとつながり、連動していて、
>全体のバランスの中で、
>個人の中にもある完全なバランスというものが
>どのように現れるか、というものは
>マインドでは計り知れないものがある
>とも言えます。

>それこそ、個々の現れは、SNaさんが前述された
>究極の源である完全なバランスが崩れたもの
>と見ることもできます。
>そして、その完全なバランスの崩れにより
>創造され、現れたすべての存在には、
>SNaさんが、また別のところで書かれてあるように、
>人間も含め、「意識の存在するところのすべて」、
>すべてのレベル、すべてに
>三位一体のバランスが働いていると言うことができますね。

>(SNaさんの視点では、その三位一体のバランスが、
>個々の単位で、どれだけトータルに実現されているか、
>ということなのかもしれませんが。)

      *      *      *
(※↓以下が、先ほどのつづきです。)

>動きもなく、顕現できないもの、完全なバランスである
>究極の源が、
>その中立性等の本質を失わずに“現れた状態”としては、
>それぞれの現れた存在は、“ただそのようであった”
>という見方も、ひとつできると思います。

>そして、これも、どちらがよりよい等の価値観のベクトルが起きない、
>ひとつの視点であるとも言えると思います。

>(ただ、現れた存在において、
>あるひとつの視点、例えば、中立性の視点が欠けていると、
>現れレベルでは、状態として倒れてやすい、倒れてしまう可能性がある
>ということは言えるかもしれませんね。)

はい。でも、誰も倒れたくなどありません。

>完全なバランスそのものでもある究極の源(在る・実在)の
>バランスの崩れなき崩れから、

>その中で、全体でひとつであるものとして、
>また、現れたそれぞれ個々のレベルでも、
>そしてまた、現れたすべての単位、すべてのスケールでも、

>常にバランスを保とうという働きが起こり続け、
>すべてが展開されていっているとも言えますね。

はい。それが動的プロセス(動的バランス)として、
この世界が無限に展開する姿なのでしょう。

>それを進化と見ることも可能であれば、
>すべてが同等の循環と見ることもできます。

>例えば、すべてはリーラ(神のあそび)であるという視点などは、
>現れのどの状態も、上や下と見ることなく、
>とても中立的な立ち位置からの視点とも言えますね。

そうですね。
そのように、やわらかく、自由でやさしく、とらわれない視点を、
深く持てるようになりたい、と思います。

自分にとりまして、「人間の尊厳」の根拠がどこにあるのか、
というのが、ずっと大きなテーマでした。
まだしっかり実感としてつかめてはいませんが、
おかげさまで、どうやらここに答えがありそうだ、と感じています。
それを深く実感したい、と願っています。

どうもありがとうございました。
感謝をこめて。

SNa

ありがとうございました。

無空
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今回は、セッションを受けられているT.M(大空)さんから頂いた体験談と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

T.Mさま

体験談ありがとうございました。

> 無空さま
>
> いつもありがとうございます、T.Mです。
>
> 46回目のセッションありがとうございました。
>
>
> 共鳴
>
> すべてにとけている あまねく在る
> 在るが極まっていく
>
> アイコンタクト
>
> 無
>
>
> 瞑想
>
> 広がりきって静まりきっている
>
>
> ハートの共鳴
>
> 表現不能
>
>
> 立場をかえて
>
> 果てしない広がり 果てしない深まり
>
>
> 立場なし
>
> 在るのみ
>
>
> 今回のセッションは非常に強力でした。

やはり、在り方が大事ですね。
>
> 次回のセッションもよろしくお願いします。

こちらこそよろしくお願いします。

無空
>
>
> (追伸)
>
> 8月の終わり頃から
> 天地との一体感を感じながら朝日や夕日を見る実践を続けています。
>
> すると心身の浄化・リラックスが進み、静寂・至福が深まるのと同時に
> 新規セッションの申し込みが急に多くなってきました。
>
> 自分のエネルギーの器が大きくなるのと連動して
> セッションを申し込む人も増えてきたという感じです。
>
> いま自分にできることを丁寧に行っていこうと思います。

主体の純化、謙虚さ等と共に、丁寧であること。

とても大事ですね。
>
> 「 すべてはひとつ ∞ みんな大空 」
> http://ooinarukuu.blog.fc2.com/

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今回はセッションを受けられているHAさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

HAさん

感想ありがとうございました。

> 無空さん
> いつもお世話になっております。
>
> セッションありがとうございました。
> 以下感想になります。
>
> 少しずつですが、調子をとりもどしてきています。
> おとといぐらいから、また本を読んだりしています。
>
> マインドがいっぱいで在るを一瞬しか感じられないよう
> な時に、呼吸に意識を集中すると、マインドがスーッと
> 引いていって、その後在るになりました。
> マインドに意識がいっているときは呼吸が浅いことが多いです。

なかなか在るに意識を向けられないときには、呼吸に意識を向けるのも
ひとつの手ですね。
>
> 無空さんとの共鳴では、いつものようにはじめはマインドが
> でてきていました。
>
> アイコンタクトからマインドが少しずつ遠ざかり、在るを感じる
> 時間が少しずつ長くなってきました。
>
> 目をとじての瞑想では在るの心地よさを感じ始めました。
> マインドもでてきますが、心地よくぼーっとする感じもありました。
>
> ハートの共鳴ではマインドはとてもおとなしくなって、深く共鳴
> している感じでした。

共鳴の感じも大分戻ってきましたね。
>
> 今週はこんなかんじです。
> 引き続き体の調子を整えながら、在るを続けていきたいと思います。
>
> ありがとうございました。
>
> HA

ありがとうございました。

無空

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今回は、セッションを受けられているI.Sさんから頂いたメールと無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

I.Sさま

感想ありがとうございました。

> 無空さま
>
>
>
> こんにちは
>
>
>
> 先日も 言葉を超えた素晴らしいセッションをありがとうございます。
>
>
>
> 第55回目(13.09.16)の感想をお送りします。
>
>
>
> 共鳴  自然   
>
>   始まってすぐ、浄化が起こり顔がぐちゃぐちゃになるほど泣きました。
>
>
>
> アイコンタクト  遠くへひっぱられる感覚 
>
>
>
> 瞑想  絶対
>
>
>
> ハートの共鳴  芯 芯がしっかりしている ぶれない
>
>
>
> 立場を変えて  ニュートラル  境界がない  境目がない 均一
>
>
>
> 立場なし  ニュートラル  個の識別があり 個々の軸がしっかりしている
>
>
>
> 共鳴で、これまで 感動や感激で涙が出たことは何度もありましたが、
>
> 浄化で泣いたのは初めてでした。

そのときに、必要なことが自然に起こりますね。
>
>
>
>
>
> お話では、
>
> 久しぶりに 在るに関するマインドが起こっていたことをお話ししました。
>
> 「まったく進んでいないのではないか?」
>
> 「こんなことでは何年やっても何も変わらないんじゃないか?」と。笑
>
> 教科書通りのマインドですね^^

そうですね。
>
>
>
> (日常のさまざまな側面で今までにはない心地よい変化、穏やかな関係性などの
>
> 確かな変化を感じているにもかかわらずマインドは関係なくつぶやきます。)
>
>
>
> セッション後も浄化的もやもやが起こっていますが、そのまま、
>
> 起こるがままの日々です。
>
> そして、在るでは何も起こっていません。
>
>
>
> とにかく 在ります。
>
> そして、とにかく (在るの実践を)続けます。

マインドのつぶやきに引っ張られすぎずに進んでいく方法は、“とにかく” です。
>
>
>
> セッションを継続して受け続けることのできている恩寵と
>
> それによって受け取っている恩寵に 言葉にできない深い感謝があります。
>
>
>
> ありがとうございます。
>
>
>
> 来週もどうぞよろしくお願い致します。
>
>
>
> I.S

こちらこそよろしくお願いいたします。

ありがとうございます。

無空

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今回は、セッションを受けられている蓮さんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

蓮さま

感想ありがとうございました。

> 師匠・無空さま
> ただ
> 不動の 真我そのものとして
>
> いつも
> セッションは
> 起こるままに
> あるがままに
> ・・・
> ただ
> 何でもない
> ただ
> それのみが
> 開かれます。
>
> 恩寵は
> いつも
> そそがれて
> います。
>
> それを
> 感じた
> セッションでした。
>
> ありがとうございます。
>
> 全体的に
> そのもの
> 静寂
>
> 表現不能の
> リアリティ
> そのもの
>
> ただ
> そうである
>
> です。

そうですね。
>
> それ
> のみが
> 在り
>
> それが
> それを
> ただ
> 顕現しています。
>
> 全てが
> それに
> 始まり
> それに
> 終わり
>
> ただ
> それ
> だけ
> です。
>
> それを
> 感じ
> そのものとなり
> それを
> うたい
> それが
> 起こります。
>
>
>
> いつも
> ありがとうございます。
>
> 蓮

それのうた

素晴らしいですね。

ありがとうございます。

無空

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Y.Mさま


感想ありがとうございました。

> *:・'゜☆。.:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:・'゜☆。.:*:..:*::・'゜☆。.:*:・
> '゜:*:・'゜☆。 無空さま
>
>
> こんにちは。
> 先日は 96回目のセッションをどうもありがとうございました。
>
>
>
>
> この前の土日に、○○のセミナーに参加してきました。
> 今年に入って本を読み、スカイプを通じてお友達が出来たの
> で、ここのところ ○○友達で毎日3回 グループで○○をする
> ほど 楽しかったです。
>
>
> セミナー会場に行くと、なんと 去年 ドイツまで学びにいった
> 時のヒーリングのお友達もいっぱい。
> みんな目の付け所が似ているなあ、と思いました。
>
>
> 相変わらず わたしは 爆弾発言を抱えたまま だったので、
> あわよくばこのしんどさが癒されれば・・・・・と願っていました。
>
>
> そして、先生も、セミナーも、セミナーに参加している人たちも
> 本当に良かったです。
>
>
> でも、浄化なのかなんなのか・・・・・相変わらず 感情はヒート
> アップ→気づく を繰り返していました。
>
>
>
>
> セミナーが終わり、わたしは とても楽しかったので、今度も
> セミナーに参加したいし、アメリカにもドイツにも行って、リトリート
> も参加したい! と やる気まんまんでした。
>
>
>
>
> ところが。
> 一夜明けたら、あるひとつの大きな衝動が起こってきました。
>
>
> それは 「何もしない」。
>
>
>
>
> ○○の先生が セミナー中 何度も何度も 「何もしない」ということ
> をおっしゃっていました。
>
>
> ここ1年半ほど、わたしの中で 何もしないというか 何もしたくない、
> 目的とか目標が何もない、見つけようという気も起こらないという 
> 状態だったのですが、パートナーシップについては、いろいろ起こって
> くるので、本当にひつこいぐらい○○をしていました。
>
>
> でも、それは 「何もしない (○○を除く)」 だったのです。
>
>
>
>
> その朝、 シンプルに クリアに ストレートにやってきたのは
>
>
> 「何もしない (かっこ書きなし)」 でした。


真の「何もしない」ですね。

>
>
>
>
> そうすると、もうダメといいますか、素直にその衝動に従うしかない
> といいますか・・・・・。
>
>
>
> やってきたその衝動は あまりに シンプルで クリアで ストレート
> だったので、それしかなかった、といいますか・・・・・。
>
>
>
>
> 「何もしない (かっこ書きなし)」 しか ありませんでした。

とてもシンプルですね。
>
>
>
>
> 一緒にセミナーに参加した 友達にメールをしたら、「お見事!!」
> と返事がきました。
>
>
> とても嬉しかったです。
>
>
>
>
> 一緒にセミナーに参加した彼にも 話した後、 外へでました。
>
>
> 道を歩いている途中、スタバでコーヒーを飲んでいる時、 「在る」
> がありました。
>
>
> それは「問答無用」でした。

そうです。
それは、「何もしない」等すべてを超えて、問答無用です。
>
>
> 道を歩きながら、コーヒーを飲みながら、泣けて、泣けて仕方ありま
> せんでした。

「在る」がより深く再認識されたようですね。
>
>
>
>
> こういう表現がふさわしいのかどうかわかりませんが、「わたし」という
> 個人が 「在る」に 完膚なきまでやられてしまうというか、もうひれ伏
> すしかないというのか・・・・・。

それは、「わたし」によって、落とされるもののひとつではなく、
「わたし」を落としてしまうほどの大いなるものですね。
(純化された透明な「わたし」は、また起こってきますが。)
>
>
>
>
> 「在る」をもっと知りたい、「在る」をもっと深めたい、と思って○○に興味
> を持ったわたしは・・・・・ なんだか自分が イエス様のたとえ話の中に出て
> きた 放蕩息子ならぬ 放蕩ムスメ のように 思えてきて、なんだか
> おかしくなってきました。
>
>
>
>
> ・・・そして またひとつ、自由になりました。

よかったですね。
>
>
>
>
>
>
> どうもありがとうございました。
>
>
>
>
> 次回もどうぞ宜しくお願い致します。
>
>
>
>
>
>
>
>
> *:・'゜☆。.:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:・'゜☆。.:*:..:*::・'゜☆。.:*:・
> '゜:*:・'゜☆。 Y.M

こちらこそよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

無空

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今回は、セッションを受けられているhunaさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

hunaさま

感想ありがとうございました。

> 無空様
>
> 今週もセッションをありがとうございました。
>
> 感想を送りますね。
>
>
> 最初の共鳴では
>
> 穏かな在る。
>
>
> アイコンタクトでは
>
> 見ているのは誰かと追っていくと、最初は個人としての認識の働きで、
>
> 徐々に個人→波→ゆらぎと戻っていく感じ。

よく見えていますね。
>
>
> 瞑想では
>
> のっぺりした在る。平和というのかも。
>
>
> ハートでは
>
> 真我によって起きている共鳴、個人は関与していない。
>
>
> 立場を変えてでは
>
> キラキラのビジョン。
>
>
> 立場なしでは
>
> すべてを含む在るから、
>
> 普段は現われに認識の焦点が絞られているのだなという確認。
>
> その絞りを止めると、全てを含む在るのまま。
>
>
> でした。

全体的にとてもよい感じでしたね。
>
>
> それでは次回もよろしくお願いいたします。
>
>
> ありがとうございました。
>
>
> huna

こちらこそよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

無空

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今回は、セッションを受けられているT.Tさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

T.Tさま

感想ありがとうございました。

> 無空さま
>
> いつもすばらしいセッションありがとうございます。
>
> 婿さんとの会話の内容ですが、
> キャンプの用意をしていたら、
> 隣のご年配の奥さまにお声をかけられたそうです。
> 婿さんが言うのには、
> 「あの奥さんの話し方はちょうどいい」
> それを聞いて思わず笑ってしまいましたが
>
> 最近は
> 今起こってくることは、すべてが、ちょうどいいです。

在るは、ちょうどいいそのものでもありますから、
在るがより実現されるようになってきていますね。
>
> 感想です。
>
> 共鳴      ふんわりとやさしさ、清らかさがあります。
>
> アイコンタクト 個がありません。
>
> 瞑想      無。
>
> ハート共鳴   フラット。
>
> 立場を変えて  フラット。
>
> ニュートラル  在るの中にすべてがあります。
>
> 共鳴時の感覚
> 誰もいない朝の散歩時のすがすがしさが、
> 日常満ちてきます。

本当に素晴らしいですね。
>
> ありがとうございました。
>
> 次回もよろしくお願い致します。
>
> T.T

こちらこそよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

無空

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