無空庵の個人セッションは、ゼロ(仏教では空)の場による心の浄化法、本当の自分を知る方法、心の平和・愛と幸せ・真我覚醒・真我実現を促す方法です。

●ゼロ意識共鳴で、真我・無限の愛である本当の自分に目覚め、本当の自分を実現する!

真我はただ在る。ただ自分自身(愛)である。シンプルな生き方。シンプルな在り方。
無空庵で「愛」(存在の愛)と「空」、そして「在る」こと(自分自身であること)の素晴らしさを知る。
悟り・覚醒・変わらない愛と幸せ・心の平安を実現!

無空庵では、スカイプで全国の方を対象に、ゼロ意識共鳴個人セッションを行っています。
個人セッションは、ゼロ(仏教では空)の意識の共鳴ワークであり、心の浄化法、本当の自分を知る方法、無限の愛と自由、心の平和、本当の幸せ、真我覚醒、真我実現を促す方法です。

ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、フーマン、エックハルト・トール、ガンガジ等の言及する「悟り」「覚醒」「真我」「本当の自分」の実現をサポート!メッセージ1 メッセージ2

※多忙のため、セッションに関するお問い合わせの返信には、数日~1週間くらいかかることがあります。また、同様の理由により、読者の方からのご質問にはお答え致しかねます。ブログへのコメントにもお返しできないことが多いと思いますが、あわせてご了承願います。

公開・日々の小さな合同共鳴
※どなたでも、森羅万象あらゆる存在の意識参加自由。
毎日6時、10時、11時、11時40分、13時10分、16時15分、17時、18時、21時 2011・11・3~
(6時以外は、無空庵の基本セッション時間です。)。
各30分(その内何分でも構いません。ただそっと意識を向けてみてください。そして、できる方はご自身の存在感覚、在るという感覚、又は、気づいている意識に気づいていてください。)
※参加された方々の記事。
蓮さん①, wingさん①のびのびさんsatorinさん

公開・週一合同ゼロ意識共鳴
※どなたでも、森羅万象あらゆる存在の意識参加自由。
毎週木曜日21時と21時30分から各30分間。 2011・11・10~
※こちらの記事もご覧ください。合同ゼロ意識共鳴は、集合意識の変容を促す。+感想③
第1回感想①感想②
※参加された方々の記事 しみっちさんWingさん蓮さん

今回は、セッションを受けられているM.K(リン)さんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させていただきます

リンさま

感想ありがとうございました。

> 無空さま
>
>
> 先日は、セッションをして頂きありがとうございました。セッション(73回め)のご報告を致します。
>
>
>
> 一週間の出来事で
> 世界の中心は、自分(個人)ではないと、よくよく思う事がある。と、お話ししました。
>
> (我が家の納屋を建てる際に、昔ながらのヨイトマケが行われたが、その中心は 明らかに、棟梁でもなく設主の私でもなかった。 私の肉体には、ただ、たんたんと、役割が起こっていただけで、中心ではなかった。この出来事の中心が誰なのか、なんなのか 掴めなかった。夕暮れ、最後に棟梁が歌うヨイトマケに涙が出た。透明な透明なヨイト
> マケの歌は、愛の賛歌そのものだった)
>
>
>
>
>
> 「共鳴」
>
> 忘れました
>
>
> 「アイコンタクト」
>
>
> ゼンマイを 山ほど 頂いた出来事が浮かぶ
>
> (地元の農作物を売る店で、セッション前の夕方に買い物をしていて、レジを待っていた。レジ打ちを慣れない人がしていて、とても混んでいて時間がかかっていた。私は、三番目に列んでいて、ただ、在る。が強く起こっていた。
> イライラしたおじさんが、私を抜かして分け入ってきた。私は、ただ、在るで在り、ただ、起こる事をみていた。私から、何が起こってもよかった。どうなるのかなと感じながら、自分を含み、愛でみていた。私からは何も起こらなかった。おじさんに対して、微細に思考は起こったが、言葉は、顕れなかった。
> レジが済み、帰ろうとすると、二番目に列んでいた別のおじさんが、私を待っていて、段ボールにいっぱいのゼンマイを、持って帰れと言い出した。ゼンマイは、そのおじさんが採って出品していたものが売れ残ったものだった。私は、ひとつでいいと断ったが、聞いてくれず、ただ、ただ、山ほどのゼンマイを持って帰る事になった。)
>
>
>
>
>
> その 出来事の 中心は
>
>
> 愛であった こと
>
>
> 起こりゆく 世界の 中心は
> 愛であったということを突然知る
>
>
>
> そして、その愛が
> その果てしなく 叡知の愛が
> 自分自身であるという 絶対知の 幸福
>
>
> あまりに 素晴らしい それが
>
> 自分自身であるという
> 奇跡への 涙
>
>
> 涙 が溢れる
>
>
>
> ありがたくて ありがたくて
>
> 言葉にならない
>
>
> それ で在りながら
>
> それ をこんなにも
> こんなにも、心から祝福している
>
>
> ありがたく感じている
>
>
>
>
> 「瞑想」
>
>
> 在る
>
>
>
> ただ 在る
>
>
>
>
> 「ハートの共鳴」
>
>
> 孤独 というものを 見つけられない
>
>
>
>
> 絶対的 ひとつ
>
>
>
>
> 「ニュートラル」
>
> 違い が見つけられない
>
>
>
> 「立場を替えて」
>
>
> 特に話すことがありませんでした

今回も素晴らしい共鳴でしたね。
>
>
>
>
>
>
> 日常では
> あれから、ゼンマイは 私から母のところに届けられ、母があく抜きをしてくれ(山菜を採る大変さを労いながら) 次の日に 海にいる父の釣り友達に、父から届けられました。
>
>
> ゼンマイは その後 どうなったのか わかりません。
> わかりませんが どうでもいいのです
>
> 活かされたから よかったとか
> よかったから よかったとかではなく
>
>
> もう 出来事は 始めから完結してる。そう知っている感覚です。

とてもいいですね。
それが知そのものでもある在る、
それ自身で完結しているただひとつのものであるものの感覚でもありますね。
>
>
> これが 苺ではなく ゼンマイ(私は、食べないもの)だったことは、空からの恩寵でした
>
> 結果がよかったから
> 良縁だから
> 愛である のではなく
>
> ただ、 愛なのです
>
>
>
> 愛が 働いている
>
>
> ただ、叡知(愛)が そのように
>
>
>
>
>
> それを 知りました。
>
> 愛が世界の中心。
>
>
>
>
>
>
> 長くなりますが
> もうひとつだけ
>
>
> ヨイトマケの後、地区の清掃やら何やらと肉体労働が続き、その後 ギックリ腰のようになり 身体が動かなくなりました。
>
> 身体に起こるがままでいたら、そうなりました。
>
>
> 月曜日の朝 まだ ヨタヨタとしか歩けませんでした。
>
> 仕事どうしようなど、思考が動きました。
>
> 思考も 肉体的感覚も、みていました。
>
> すると、私は、携帯を持ち、仕事を休む算だんを始めました。
>
> 仕事は休む。でも、調査会議には出る。
>
> でした。
>
> その行為に 私の個人性からは
>
> これまでどんなことがあっても、仕事に出た。
> その頑張りがあるから、特別でいられたんだ。
> という 思いがあるのをみました。
>
> 特別ではなくなってゆく。
> 社会的地位の崩壊。を
> ただ、ただ、
> 感じているのを
>
> みていました。
>
>
> そして、肉体には休息をする。が起こっていました。
>
> 全てをみている
> わたしは
> 内には 愛が 広がっていて
>
> ただ、愛で在る が
>
>
> 絶対的に 広がっていて
>
>
>
>
> ただ、ただ、
> 行為は 起こっていて
>
> 昼過ぎになると起き出し、身体を引きずりながら、会議には出て 必要ゆえ必要な事が起こり、
> そして、その会議にも愛が ひしめいていて
>
>
> わたし自身が 広がっていて
>
> その感覚は、必死に求め、掴んできた、どんな特別性を得る事より、価値があり
>
> 満ち満ちていました。
>
>
>
> ただ、ただ、
>
> たんたんと、顕れることは
> 顕れ
>
>
> 世界は 海となり 波となり
>
> 広がっていました
>
>
> 全ては ひとつでありながら
>
> 個々は 透明であり
> 鮮明であり
>
>
> 私はとても 軽く
>
> 重い荷というものもなく
>
> 全体が 全体の面倒をみていました
>
>
> そして、私という個人は、その時、始めて、
> 同等に大切にされ、労られる感覚を覚えました。
> (いつも、私だけは私に休ませてもらえませんでした)
>
>
> それは 何とも 安心で
> 安全であり 愛に寛ぐ 世界でした
>
>
>
>
> 世界に 違いを 見つけられない。
>
>
> ふと、日常でも、そう感じました。

よかったですね。
>
>
>
> ありがとうございました。
>
>
> リン

ありがとうございました。

無空


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(場合によっては、移設記事がネット上に反映されるのに少し時間がかかるかもしれません。その際は、ご不便をおかけし申し訳ございませんが、少しお待ちいただきますようよろしくお願いいたします。)

第2ブログ案内1

(上記ご案内はリンクになっておりませんので、お手数をおかけいたしますが、URLを入力、あるいは、「無空庵第二ブログ」等で検索して頂きますようよろしくお願い致します。)

無空庵第二ブログ左サイドバーのカテゴリ■セッション体験談・他のK.Kさんの体験談・他のところ、または、第二ブログ上部の全記事一覧、または、左サイドバー下部の月別アーカイブ等から、2016年2月6日の記事をご覧ください。


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今回は、セッションを受けられているぽこたんさんから頂いたメールと無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

ぽこたんさま

感想ありがとうございました。


> 無空さま
>
>
> 先週もセッションをありがとうございました。5/16分の感想をお送りします。
>
> 前回、無空さんに「あまり真剣に向き合おうとかしなくていい、自然に向き合うが起こっている場合はそれでいいですけど」とおっしゃっていただいたと思うのですが、あまりマインドに向かなくてもいいんだな、ただ事実に開いて在るだけでいい。という理解の深まりを感じながら過しました、とお話ししました。

>
> なるべくなにもしない、マインドはお休みという感じで行こうと思います、と話しましたら、無空さん、うんうんとうなずき、^^
>
> 気をつけることは、何もしないようにしようとしない、ということ。何もしないようにしよう、とか、在るがままにと言えても、じゃあ在るがままにしよう、となってしまうのもマインドです、そのようにマインド動く場合は動くんですけどね、ということでした。
>
> それから、マインドが主体か在るが主体かについては、在る自体ががチェック機能を果たす。在る以外はマインド、在るはこれでいい。(このあたりのことは前回の感想のご返信をこのセッション後にいただき、詳しく解説していただきました)
>
>
> マインドの旅は終りにしよう、という感じです、とお話ししましたところ、マインドは勝手に起こってきますが、それに乗っからない、主体が在る、そして在るであっての自己理解の深さにより自ずとその立ち位置になりますから、とのことでした。
>
>
> 今回もマインドたらけでしたね、書いてておかしいです。
>
> ・共鳴…マインドがざわざわ~というのに気が付いている。
>
> ・アイコンタクト…これ。 最近とくに、無空さんが私の父の若いころにそっくりにみえます^^
>
> ・瞑想…無限なる意識の海に個が浮いている感じ。そのあと、無限の意識そのもの。
>
> ・ハートの共鳴…ただ
>
> ・立場をかえて…ただ、自然
>
> ・立場なし…空・何もない

後半、とてもシンプルになってきましたね。
>
>
>
> スカイプを切って「また、すごく正された~\(^o^)/ 素晴らしかった~」と、思わず言ってしまいました^^
>
>
> その後この一週間は、普通な感じで過ごしています。この普通がとても貴重です。

そうですね。
>
> この普通をずっと求めてきました。普通の人になるのが目標でした。
>
> 禅の究極の目標は、十牛図でもわかる通り、最終的に(悟りを忘れ、というか超えて)普通の人になることです。(注・私個人の見解・理解です)
>
> 禅に入門し、本来の面目の公案を授かり、血汗をかくほど坐禅をし、老師のもとに参禅してもふられるばかり。本当の自分がわからない。入社1年目で会社に通いながらの道場通い。苦しくてとうとう地下鉄につっこんで死のうと思ったこともありました。
>
> 見性後は、「月を見て、我を見る。我を見て、月を見る。万物同根!」 月に自分を見出し、自分に月を見出すといった、私とは全てであり、まったく境界のなくなった状態にうち震えるという素晴らしい体験をしました。
>
> そのあとが、大変でした。悟後の修行はいうまでもなく、真我を徹底させていく、それ一つですが(少なくともわたしが進んだところまでは、そうです)、結局のところ、悟りエゴに陥り、私のマインドはなんら変容しなかったというわけです。無空庵でいう、マインドが真我を利用していたんですね。
>
> そして、十牛図をみては、今生でここまでたどりつけるのか?という焦り。などなど。
>
>
> 禅の修行で素晴らしい体験もたくさんしたけれど、マインドは全然変容しなかった。いったいなんだったのだ、とか思いながらも、いまだに禅にたいするこだわりや執着は強いです。
>
> ですが、ムージの動画をみながら、
>
> 「ああ、すべてマインドの夢物語だった。 修行しなければならない、という思いも、マインドの絵空事。 あの時も今も、なにも変わらずここに在るのだ。」と、いろんな執着が溶けるようでした。(動画にくぎづけでした・(笑))
>
>
> 学生時代禅に入門し見性体験から18年、何かが違うと気づけたことは幸いだったと思います。
> (注・もちろん禅の修行をしている人で本当に素晴らしい方たちもいっぱいいます)
>
>
> なんかもう、ついついいらないことばかり書いてしまいました。すいません。もう、この痛みも、(おそらく、何世にもわたって修行者としての個人をやってきてると思われます)浄化される時期に来ているのかな、と、まあこう思うのもマインドの夢物語ですが、そんなことをいまふと感じました。
>
>
> 今日は結婚記念日です。先日の浄化と思われる件は、雨どころか、大嵐そのものの浄化でしたが、地固まったようで、
>
> 主人も私も、反省するところは反省したようで、お互いとても気遣えるようになった感じです。穏やかです。
>
> ということで、無事に結婚20年目に突入します。

おめでとうございます。
>
>
> 息子、中学初めての試験前なので、お祝いモードでもありませんが…
>
> ここ数日は、勉強させるの大変でしたが(笑)
>
> 今まで勉強を教えるにしても、いらいらでとても無理だったのが
>
> 小言は出ても、いらいらはほとんど出ません。
>
>
> 本当に、偉大なる普通に感謝です。
>
>
> すべての存在に、貫いているそれ、を日常で感じる度合いが強くなってきています。

とてもいいですね。
>
> まだまだ、それそのものよりも、マインドにいる時間の方が長かったりしますが、そのことに対する責めも起きなくなってきています。

変容してきていますね。
>
>
> ただ在るで在ることの素晴らしさを、毎回忍耐強く伝えてくださる無空さんに、ありがとうございますとただ言葉でいうのも軽すぎる感じで…
>
>
> 次回も、よろしくおねがいいたします。
>
>
>
> ぽこたん

こちらこそよろしくお願い致します。

無空

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今回は、セッションを受けられている笠原緋城(ぷれむ☆あき)さんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

緋城さま

感想ありがとうございました。

> 無空様
>
> こんばんは。
> 笠原緋城(ぷれむ☆あき)です。
>
> 最近の現われのお話しをしました。
>
> 全体性の中で起こることが起こっているという理解の一方で、
> 厳しい状況だなという感覚が起こってくるいうようなことを
> お話しさせて頂きました。
>
> その時に頂いた無空さんの言葉を
> 私の覚書として記載させて頂きたいと思います。
>
> 「厳しいことも一方でではなく、
> 起こることが起こるの中に入っている。
> 厳しいがはみ出すことはない。

「一方で」と言うときに、
全体性の中からはみ出ています。
全体性と分かれてしまっていますね。
全体性の中には、すべてが含まれます。

>
> トータルだとその厳しいも全部含めて。
> ひっくるめて。
> そこからはみ出すものはない。」
> というようなお言葉を頂きました。
>
> ありがとうございます。

在る(全体・愛)は、すべてを支え、すべてを育み、すべてを包むものです。
そこからはみ出るものは何もありません。
トータルということは、本当にトータルなのです。

>
>
> 共鳴
>  愛そのもの。
>  それそのもの。
>
> アイコンタクト
>  アイコンタクトだったのですが、無空さんが瞑想に入られました。
>  
>  最初、「間違えたのかなとか、方法が変わったのかな」とか
>  マインドが働きました。
>
>  すぐに、こういう時はこういう風にマインドは動くんだと
>  それそのものので、マインドの動きを見ていました。
>  ワンネスの中のマインドという感じでした。
>  とてもいい経験でした。
>
>
> 再度 アイコンタクト
>  広がった意識とか、広大な意識とかではなく、
>  本当に無限のそれそのものという感じ。
>  時間も空間もすべて無限そのもの。

いいですね。
>
>
> 瞑想
>  たくさんの浄化が起こりました。
>
> ハートの共鳴
>  無
>  空
>
> 立場を替えての共鳴
>  透明な感じ。
>  純粋そのもの。
>
> 立場なしの共鳴
>  ひとつ。
>  それそのもの。
>
>
> 無空様
>  よりトータルにですね。
>  ありがとうございました。

はい、真にトータルに。
>
>
>
> *  *  *  *  *  *  *  * 
>  笠原 緋城(ぷれむ☆あき)
>  HP   http://www.aki-kasahara.com/
>  ブログ http://profile.ameba.jp/akiestou/
> *  *  *  *  *  *  *  * 

ありがとうございました。

無空

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今回は、セッションを受けられているA.Tさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

A.Tさま

感想ありがとうございました。

> 無空さま
>
>
>
> 第64回セッションありがとうございました。
>
>
>
> マインドが起こる、起こらない
>
> 現象が起こる、終息する
>
> それらに“かかわらず”という感覚が深くなってきていまして
>
> それを感想に書こうとしても
>
> 微細なものを言葉にするのが難しく
>
> なかなか起こりませんでしたが
>
>
>
> 今日読んだマハラジの「I AM THAT」に
>
> とても腑に落ちる文章が在りました。
>
>
>
>
>
> 「真の気づきとは、観照されている出来事について
>
> まったく何をすることも試みない。
>
> 純粋な観照の状態のことだ。
>
>
>
> あなたの思考と感情、言葉と行為もまた、
>
> 出来事の一部分なのだ。
>
>
>
> あなたは明確な理解の完全な光のなかで
>
> まったく関わりをもたないまま見守る。
>
>
>
> それがあなたに影響を与えないため
>
> あなたは何が起こっているのかを正確に理解するのだ。」
>
>
>
>
>
> このところは、そのような感覚です。

いいですね。

無空庵で言う、“ただ気づいている”、とはこういうことです。

起こってくる思考、感情は、

全体(愛)の中で起こるただの自然現象、とても自然な現象、出来事として

個人的なかかわりを持たず(個人のものとせず)、純粋な存在、

純粋な気づきそのもの、愛そのものとして、純粋に気づいていること。

そしてさらに、無空庵では、ただ在る純粋な存在として在るために、

個人ができるだけ出てこないよう、

(自然な必要で起こってくるもの以上には、できるだけ出てこないように。)

個人ができるだけ少なくあるように、

起こってきたことに (個人として)“意識的に” 焦点を当てる必要はない、

(特にそれを習慣にしていくと、場合によっては、

個人━意識的に焦点を当てる「私」である自我━を強めてしまうことがあります。)

詳細に見る必要はない、

必要があるときには、“自然に焦点が当たる”、

自然に見られる必要がある分だけ“見られ”、

気づかれる必要がある分だけ“気づかれ”、

感じられる必要がある分だけ“感じられる”、

ということを言っています。


ただ、まだ気づいている主体である在る(純粋な気づきそのもの)が分からない場合には、

思考、感情に気づいていてください、ということを言う場合はあります。

それは、それまで巻き込まれ、思考、感情と同一化していた気づいている主体、

思考、感情が起こっていく源である在る(純粋な気づきそのもの)と、

思考、感情に距離をつくるため、

あるいは、距離があることに気づいて頂くため、

そして、気づいている対象(思考、感情等)ではなく、気づいている主体の方である在るに、

徐々に気づきやすくなって頂くようにするためです。

はじめは、気づいている主体も個人がミックスされていることがほとんどですが、

気づいている主体の方に意識を向けること、

気づいている主体そのもので在ることを繰り返していくことにより、

徐々に主体が純化されていきます。

気づいている純粋な主体である在るに気づくことはとても大切です。

思考、感情に巻き込まれないだけでなく、

真の自己とは、本当の自分とは何ものであるのか、

気づいている純粋な主体である在る、

個人を超えた、あるいは、現れである個人をも含め、

全体を包括する純粋な気づきそのもの(愛)が本当の自分である

という実感と自覚を伴った自己理解(自意識のない純粋な自己の理解)が大切です。

その深い真の自己理解

(存在レベルに在る、“知っている”、“ただそうである”、“すでにそうである”、というもの。)

が、大きな安定と平安をもたらし、その立ち位置を絶対のものとします。


話しを戻します。

無空庵では、ただ気づいていてください。

そして、戻れるときには、在るに戻ってください。

ということをお伝えしています。

そして、ただ気づいているときには、

ただ在る純粋な存在として在るために、

個人ができるだけ出てこないよう、

個人ができるだけ少なくあるように、

起こってきたことに (個人として)“意識的に” 焦点を当てる必要はない


(プロセスとして、個人体験、ホ・オポノポノの本から言えば、創造主の体験の

段階にあるのであれば、個人を確立する、強める、個人を大きくしていく

ということも自然なことで、このようなこともよろしいと思います。

個人が確立され、あるいは、大きくなって、そして、落ちるというプロセスも

あります。)


詳細に見る必要はない、

必要があるときには、“自然に焦点が当たる”、

自然に見られる必要がある分だけ“見られ”、

気づかれる必要がある分だけ“気づかれ”、

感じられる必要がある分だけ“感じられる”、

ということを言っています。

これは、~しよう、~する、という個人が強くならないよう、

そして、個人からより自由になっていくため、


(ある程度、思考、感情と距離を保てるようになっても、個人は主体として残っています。

純粋な気づき、純粋な体験の後などに、それを所有する者として、

個人はその都度その都度出てきます。

けっして主体の座を明け渡してはいません。

主体の純化はここからです。

在るに注意を向けること、在るそのもので在ることで、それは成されていきます。)


また、在ると同じように、無為自然で在れるよう、ただ在れるようになっていくための配慮です。


(その他、起こってくる想念等に注意を向けていると、気づいている主体が弱い場合、

または、起こってくる想念が強い場合、そのまま巻き込まれていくことがある、

思考に思考を重ねて、物語化していくことがある。

雑念も多い。

また、起こってくる想念は、かならずしも当人に関わるものばかりでなく、

他の方のものや全体的なものもある、等もあります。)


そして、このように話しても、気づくこと自体が自然で自発的なものなので、

通常は、自然に気づかれます。

そこにさらに“する”個人を加える必要はないということです。


(さらには、それより、気づいたら在るに意識を戻してください。

ただ在ってください。ということです。

在る・真の幸福・変わらない平和・無限の愛・真我の実現に関して、

最も自然で、最もトータルで、最も直接的な実践方法を知っているのなら、

それをメインにしてください。ということです。

━マインドが未成熟なうちは、あれこれ色々やりたくなりますが、

進んでいき、その実践の中に含まれているものがどれほどのものなのかが

分かってくるにつれ、よりシンプルになっていきます。━)


“私(個人)が気づいた”という感覚・思いも起こってきますが、

それも、在るから“起こってきた”と見ましょう。


また、見て見ぬふりをする、自然に(無意識に)見ることを避けてしまう、

ふたをしてしまう、ということもあります。

そのこと自体にただ気づいていること、

それも“起こってきた”、“起こっている”、“今はただそうである”と

気づいていること、それが大切です。

もし、そのこと自体がどうしてもひっかかる場合、そのことに自然に注意が向き、

取り組みが自然に起き、それがクリアされるということが起こる場合がありますが、

それも“自然に起こっているもの”と見る立ち位置に在りましょう。

個人である自分が行っているものと見るか、ただ起こっているものと見るかで、

立ち位置がまったく違ってきます。

個人として個々の問題に取り組むのと、起こってきたことを自分のものとせず、

ただ気づいていることは、ひとつの現象の改善か、

現象全体からの解放、本質的にトータルに現象から自由になることなのかの違いです。

現れは、夢、幻想、物語(現象は純粋であるがままですが、マインドがそれを物語化します。)

という視点から見るならば、

夢をよりよく改善していくのか、夢自体から覚め、夢全体から自由になっていくのか、

その違いがあります。

さらには、その夢の改善も、それを本質的、全体的なものとしたいのならば、

やはりそれは、夢全体から自由になってはじめて可能であるという視点があります。


見て見ぬふりをする、自然に(無意識に)見ることを避けてしまう、

ふたをしてしまう、ということ、そのこと自体にただ気づいていること、

それも“起こってきた”、“起こっている”、“今はただそうである”と

気づいていること、

それは、個人が主体でなければ、個人に巻き込まれていなければ可能です。

そうすれば、ふたをしてしまっていたものなども、自然なタイミングで、

自然に気づかれるだけ気づかれ、ほぐれ、溶けていきます。

(マインドはなかなかそれを待てない場合がありますが、

自然なタイミングで、自然に落ちるのが最もトータルです。)

ときには、逃げずに見よう、もまた、自然に起こってきます。

それも個人のものとせず、“起こってきた”、という立ち位置にあることが

個人からの解放、本質を実現していく道、本質が実現されていく道です。

それを“私(個人)が行った”、では、どこまで行っても、個人の物語の中です。

個人からの解放、本質実現、真我実現という点では、

ふたをしてしまうことを解消しようとしている個人自体が、

“ふたそのもの”です。


(プロセスがあるので、個人としてどうしてもそれをしたいが起こっている場合は、

それをしてから、あるいは、それをしながら純化されていく、という場合もあるでしょう。

在るは、全体を大きく見渡し、見守っています。)


それは、個人が主体であるうちは、けっして気づくことができません。

個人感覚自体は自然に起こってきますし、

それはあるがままの自然で貴重な感覚でもありますが、

それが真に栄光化されるのは、主たる立ち位置が在るに在るとき、

主体が在るであるときだけです。

個のまま真我の実現は、個人が主体ではなく、在るが主体となってはじめて可能になります。

ただ気づいていること、そして、在るそのものであること、

その実践を継続していくと、“ただ気づいている” と、

“その気づいている主体”(同じものとも言えますが。)が、

純化、洗練されていき、真に純粋、真に自然なものとなっていきます。

そして、真の自己理解が深まり、立ち位置が個人から在るへとシフトし、

それがより確かで、より自然なものとなっていきます。

存在は絶対的なものとなり、変わらない平和、真のしあわせ、無限の愛が実現されていきます。


> “気づき”で完結していて、流れがよりなめらかに感じます。
>
>
>
> 手放した、解放した、受け入れたとはなりません。

それ(手放す、解放する、受け入れる等)は、ある意味、個人発でもありますからね。

(それが、“起こった”なら、在るの立ち位置です。)

>
>
>
> 手放し、解放、受容は“ただ在る”こと(自然)で起こる結果(自然)のようです。

そのとおりです。

個人ではなく、在るの立ち位置にあると、それが分かりますね。
>
>
>
> さらに“気づき”はマハラジの言葉を借りるなら
>
> “自発的で、限界のないもの”であるようです。

~であるようです。の言葉(言葉の響きから伝わってくるもの)が、

とても慎重で、注意深く、謙虚で、丁寧であり、

かつ、真実が持つ力強さがありますね。

そして、“自発的で、限界のないもの”というところもとても大事ですね。

在るは、意識そのものでもあるがゆえに、気づくということはそれ自身の本性から起こるもの、

それはとても自然で、自発的なものです。

ですから、気づきは“起こる”のです。

必要なときには、自然に“気づかれる”のです。

それが在るの立ち位置からの視点です。
>
>
>
>
>
>
>
> 感想です。
>
>
>
> 共鳴
>
>    “かかわらず” 空
>
>
>
> アイコンタクト
>
>    “妙” “明らか”
>
>
>
> 瞑想
>
>    リンさんの感想に在った言葉
>
>   「教えてくれず、褒めてもくれず、暖簾のような師」が不意に浮かび
>
>   それに、とても共感したことを思い出し、笑いが起こりました。
>
> (もちろん、すべての現れがそうではありませんでしたが
>
> マインドが戸惑っていたことを思い出しました)
>
>
>
> その真の純粋さ、徹底した“ただ在る”の現れ
>
> その真我そのものが1回1回セッションを重ねるごとに
>
> 落ちるものを落としていきました。
>
> 変わるものを変えていきました。
>
>
>
> それが真髄への最善の“在る”だったのだ
>
> 深い愛なのだと
>
> 喜び、感謝がこみ上げました。

どの立ち位置に在り、どこに焦点が当てられているか、

存在と生命の領域、その全体が見えているか、

そしてその存在の純度と深い愛、真実を“知っている”ということ

それがその態度、姿勢の徹底さをもたらし、

その徹底さが、真髄へと導けるかを決定するとも言えます。

(受けられる方の準備と、それぞれの“これでいい”が、

どの辺りで起こるかによりますが。)

>
>
>
> ハートの共鳴
>
>    軽やか 優しさ 包み込み “慈愛”
>
>
>
> 立場を変えて
>
>    ただ在るだけの中に、すべてが含まれている
>
>
>
> 無空さん:なにもしてないわけではなくて^^
>
> “ただ在る”ということの中で、すべてが行われていたわけですね。

それを真に知っていること。

真にすべてを成すためには、ただ在ること、無為自然で在ることである

ということをどれだけ深く知っているか、ということがその在り方を決めますね。
>
>
>
> ニュートラル
>
>
>
> 真・善・美の位置
>
>
>
>
>
> 正に真我の真我による真我のワークなのですね。

はい。
>
> その計り知れなさに“ただ在る”それだけです。

そう在れてはじめて、その計り知れなさに触れることができます。
>
>
>
> ありがとうございます。
>
>
>
> 次回もよろしくお願いいたします。

こちらこそよろしくお願い致します。

無空

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今回は、セッションを受けられているナターシャさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

ナターシャさま

感想ありがとうございました。

> 無空さま
>
> 先ほどはセッションありがとうございました。
> 感想をお送りします。
>
> 爽やかさと温かさ
> 静寂
> こんこんと湧く泉のようなもの
> 感謝
> 真っ直ぐ突き抜ける
> おもしろさ
> 〇

今回もよく感じ取られていましたね。
>
> 共鳴中、見守られ赦され包まれ・・表現ではおいつかないようなものがあって
> 感謝の念が沸き起こりました。

在るは、在り難いそのものでもあります。
在ること、存在していること、実在していることは、本当に奇跡ですね。
>
> この1か月、静寂とは程遠く、悶々と過ごすことが多かったのですが、
> 落ち込んでいるときは×、
> 楽しい時、静寂である時は〇、
> という判断に囚われてエネルギーを消耗しているのに気づきました。
> その時、そのように起こっている、ただそれだけなのだな、〇や×ではなかったなと、
> そして、その〇や×という判断を下すという事にも〇や×をつけているのだなと気づきました。
> ・・と、上記の繰り返しの日々ですが、気づくの実践を続けます。

実践を続けていけば、繰り返しながらも、徐々にそこから自由になっていきます。
>
> 来週もよろしくお願いします。
>
> ナターシャ

こちらこそよろしくお願いします。

無空

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今夜 21時~ 1時間(前半・後半各30分)・明日 11時~ 30分 合同共鳴が起こります。
意識参加自由(無料)です。 
詳しくは、サイトトップ、及び、合同共鳴関連記事をご覧ください。

また、各担当の方(木曜日の夜の部は、しみっちさんと虹子さん。金曜日の昼の部は、satorinさん)の合同共鳴参加表明募集記事(又は他の記事でも可)のコメント欄に参加表明された方は、共鳴が始まる前に、お名前を呼ばせて頂き(ニックネーム可)、スカイプのメッセージ欄にもスカイプ参加している全員(無空庵でセッションを受けている方々)が見れて、意識の中に入るように表記させて頂きます。(より繋がりが強くなります。)

ご希望の方は、各担当ブログへ参加表明のコメントをお願い致します。

合同共鳴の際、意識を向ける対象があった方がよいという方は、下の地球の写真に意識を向けられるのもよろしいかもしれません。

地球1

その後、地球の写真に意識を向けている自分自身・意識自体(純粋な気づき)を感じてみましょう。

ダイレクトにそれで在れる方、ただそう在れる方は、それそのものとして在りましょう。

では今週も、ただひとつで在るところでお会いしましょう。

無空


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今回は、セッションを受けられているA.Kさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

A.Kさま


感想ありがとうございました。


> 無空さま
>
>
>
>
> セッションありがとうございました。
> 感想です。
>
>
>
>
> 最初に1週間を振り返り 
> 同窓会のことをお話しさせて頂きました。
>
>
> 同窓会があり13、4年ぶりに中学の同級生と会いました。
> その同窓会に参加し、たくさんの人と触れてみて
> みんなが本気で幻想を生きていることに
> ショックを受けている私がいることに気付きました。
>
>
> 私にとって 当たり前の日常 在り方でしたが
> 在る を認識し、本当の自分を生きていることの
> スゴさを確認することになった出来事でした。
>
>
>
>
> もうひとつ、私の感想への無空さんのコメントで、
>
>
> 「起こってくること(現れ)に何の問題もない」 という真の理解が
> 起こりました。ありがとうございます。

よかったですね。

>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
> 最初の共鳴    i am that
>          
> アイコンタクト  真我としての.....
>          
>          .....は感じるものとしてはたくさんあるが
>          言葉にできない
>
>
> 瞑想       真我としての 再確認、再認識をしていた
>         (個人が再認識、再確認しているわけではない と無空さん)
>
>
> ハートの共鳴   ふるさとのような温かさ 
>
>
> 立場を変えて   真我としてしかない

そうですね。
>
>
> 立場なし     現したい言葉は無数にあるが
>          もうなにもない としかいえない
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
> ありがとう
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
> 無空さま ありがとうございました。
>
>
>
>
>
>
> A.K

ありがとうございました。

無空

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