無空庵の個人セッションは、ゼロ(仏教では空)の場による心の浄化法、本当の自分を知る方法、心の平和・愛と幸せ・真我覚醒・真我実現を促す方法です。

●ゼロ意識共鳴で、真我・無限の愛である本当の自分に目覚め、本当の自分を実現する!

真我はただ在る。ただ自分自身(愛)である。シンプルな生き方。シンプルな在り方。
無空庵で「愛」(存在の愛)と「空」、そして「在る」こと(自分自身であること)の素晴らしさを知る。
悟り・覚醒・変わらない愛と幸せ・心の平安を実現!

無空庵では、スカイプで全国の方を対象に、ゼロ意識共鳴個人セッションを行っています。
個人セッションは、ゼロ(仏教では空)の意識の共鳴ワークであり、心の浄化法、本当の自分を知る方法、無限の愛と自由、心の平和、本当の幸せ、真我覚醒、真我実現を促す方法です。

ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、フーマン、エックハルト・トール、ガンガジ等の言及する「悟り」「覚醒」「真我」「本当の自分」の実現をサポート!メッセージ1 メッセージ2

※多忙のため、セッションに関するお問い合わせの返信には、数日~1週間くらいかかることがあります。また、同様の理由により、読者の方からのご質問にはお答え致しかねます。ブログへのコメントにもお返しできないことが多いと思いますが、あわせてご了承願います。

公開・日々の小さな合同共鳴
※どなたでも、森羅万象あらゆる存在の意識参加自由。
毎日6時、10時、11時、11時40分、13時10分、16時15分、17時、18時、21時 2011・11・3~
(6時以外は、無空庵の基本セッション時間です。)。
各30分(その内何分でも構いません。ただそっと意識を向けてみてください。そして、できる方はご自身の存在感覚、在るという感覚、又は、気づいている意識に気づいていてください。)
※参加された方々の記事。
蓮さん①, wingさん①のびのびさんsatorinさん

公開・週一合同ゼロ意識共鳴
※どなたでも、森羅万象あらゆる存在の意識参加自由。
毎週木曜日21時と21時30分から各30分間。 2011・11・10~
※こちらの記事もご覧ください。合同ゼロ意識共鳴は、集合意識の変容を促す。+感想③
第1回感想①感想②
※参加された方々の記事 しみっちさんWingさん蓮さん




今回は、セッションを受けられているEさんとのメールのやりとりを参考までにご紹介させて頂きます。

先日、セッションしていただいてありがとうございます。
わからなくなってしまったので、すいませんがメールさせて頂きました。

あの後に、あの場所が(きっと)死ぬ場所なんだ思いました。(無空さんおかげです!)
そうしたら、生きて感じていたら辛い、寂寥感満載の孤独感・哀愁・切なさが一切無くなったのです。
死ぬ場所だったら最高(静謐と孤高と満場一致?感)と、あれから自ずと入っていき、自分自身が幸せな感覚でいました。

ですが・・・、
昨日、一昨日から、「今・私(此処)・真我」と問うごとにわからなくなってしまいました。
今この瞬間生きることは、此処で、今生の私の生き様で生き抜くことだと思ってしまうのです。
生き抜くしかないと思うのです。

一所懸命に命!今!を生きることは善も悪も、真我も自我も、関係ないと思ってしまうのです。
たとえそれが、宗教的やヨーガ的な教えに背いてでもデス!!
だから?なので?わからないのです。
私は生まれて、生きられて幸せなのは当たり前にあるのです!!
なんだけど・・・
本当にな~んにもわからない・・・
無空さん、次のセッションの前にちょっとで良いのでヒントを下さい(*^_^*)。
ごめんなさい!!お願いします!!

**********

メールありがとうございました。

では、参考までにコメント、解説等を。

>あの後に、あの場所が(きっと)死ぬ場所なんだ思いました。(無空さんのおかげです!)

真我は、生死を超えています。
死ぬ場所というのも間違いではないですが、生きているときも本当はそこにいます。

ある意味、エゴが死ぬ(落ちる、透明になる。)とそこに落ち着くことが出来るとも言えますね。
通常は、前回のメールにも書かれたあったように、そこへシフトしたと思っても、しぶとくエゴのパターンは残っていますので、そこからが真のスタートということをブログのメッセージでは書いています。

>そうしたら、生きて感じていたら辛い、寂寥感満載の孤独感・哀愁・切なさが一切無くなったのです。

そこは、そういったものをすべて超えていますので、そうなりますね。
絶対的な幸せの場とも言えます。

>死ぬ場所だったら最高(静謐と孤高と満場一致?感)と、あれから自ずと入っていき、自分自身が幸せな感覚でいました。

上に書いたとおりですね。
でも、これはやはり上に書いたように、エゴ(マインド・感情等)が浄化されてはじめて落ち着けるところなので、肉体的に死んだからと言ってそうなるわけではもちろんありません。
逆に生きているうちに、そこに落ち着く事ももちろん可能です。

>ですが・・・、
>昨日、一昨日から、「今・私(此処)・真我」と問うごとにわからなくなってしまいました。
>今この瞬間生きることは、此処で、今生の私の生き様で生き抜くことだと思ってしまうのです。

「生きる」ということで言えば、それで全く問題ありません。

「生きる」ということは、「在る」ことから起こってきます。
真我で在ることにより、結果、Eさんの生き様が生き抜かれることになります。

これが、「私(自我)の生き様」、「私(自我)が生きる」になると、マインドの物語になってしまいます。

死ぬ場所と思っているので、引っ掛かりが出てくるのかもしれませんね。
その場所は、まさに今そのものであり、生命そのものです。

今に在り続けることがリアリティであり、時間的な流れで言えば、人生を生き抜くことになります。

>生き抜くしかないと思うのです。
>一所懸命に命!今!を生きることは善も悪も、真我も自我も、関係ないと思ってしまうのです。

今・生命(真我)そのものは、マインドを超えており、そこには、善も悪も、真我も自我という区別もありません。

たくさんの視点があります。

ある視点からは(成熟したマインド)、自我と真我を分けて考えることもできますし、また、ある視点(真我)から見れば、すべては真我、すべては愛という見方もできます。

ですから、Eさんの感覚はまったく正しいです。
それが一元性です。
とても素晴らしい気づきです。
一元性の視点、真我の視点から見たとき、善も悪も、真我も自我もありません。

>たとえそれが、宗教的やヨーガ的な教えに背いてでもデス!!

教えは一側面しか語っていない場合もありますし、言葉による限界もあります。
また、ラマナ・マハルシの本では(正確ではありませんが)、真実そのものがシンプル過ぎて大衆は理解できないので(物事を複雑にしたいマインドは納得できない)、大衆が好むような教えが説かれたというようなことが書かれてあったと思います。

ヨーガ的な教えは参考にしてもいいですが、ご自身のリアルな真実を信じてください。
真実は、言葉、文章による教えをはるかに超えています。

実感、リアリティにまさるものは何もありません。

>だから?なので?わからないのです。
>私は生まれて、生きられて幸せなのは当たり前にあるのです!!
>なんだけど・・・
>本当にな~んにもわからない・・・

マインドを超えた真実の領域は、マインドでは理解できません。
そこは、マインド的には矛盾するものが同時に矛盾なくひとつに溶けあい存在しています。

生まれも死にもしない不変の真我と、生まれて、生きられて幸せという現象としての実感・真実・真我は全く矛盾なく同時に在ります。
変化しない真我と、変化し続ける真我の現れの面があるということですね。
どちらも真実です。(変化するという意味で、幻想と言ったりしますが。)

言葉に惑わされず、言葉を超えて、リアリティの中に入っていってください。
そのリアリティは、「在る」ということです。

>「私は生まれて、生きられて幸せなのは当たり前にあるのです!!」

ここにも、「ある」がありますね。

>無空さん、次のセッションの前にちょっとで良いのでヒントを下さい(*^_^*)。
>ごめんなさい!!お願いします!!

ヒントになったかどうか分りませんが参考にしてください。

わからないところはまた、セッションでお伺いします。

今回は、とてもよい質問でしたね。
かなり進んだ状態であるからこそ出てくるものです。

そのように、今、ご自分が在るステージをご理解ください。

無空

***************

無空さん、お忙しい最中、長文での貴重な解説・コメント、どうもありがとうございました。
とても勉強になりました。
 
 必死なこともマインドの物語になってしまうのは、現世の移り変わりの中のことを対象としてしまうからなんですね!?。 
 今まで、自分欲ではなく、他によかれと思ってしてきたことも、結局、全てエゴだったんだッと思い、衝撃的でしたが、なぜ堂々巡りのような感覚が自分の中にあったのかを納得しました。

 
 心が、泣こうが喚こうが、魂はいつも無傷なんですよね~、なぜか・・・。
魂はいつものびのびとしているんです。だから生きられているのかな?
 あっ、真我があるから今があるんだ。っていうか、一所で一緒か・・・。
  
   また木曜日、セッションよろしくお願いいたします。  
       お休みなさい・・・。  





今回は、セッションを受けられているSさんから頂いた5回目のセッションの感想その2です。

共鳴が始まると
今回はまずは静けさを感じました。
だんだん、何にもなくなるような感じ、そして、なんにもないが全部ある感じへ。

(無空:無=在る。これがマインドを超えたところの真実。)

そうしていると、「破壊」の要素を感じました。

それを伝えると「すべてを無にする」と無空さん。

そう、そうです。
古来から破壊の神の描写などありますが、こういうところから来てるのかな。
破壊の極まりのような要素。ゆえにすべてを無にする。
感じたのは「無」‥

無空さん「すべてを飲み込んで行く、何も残らない、だからここだけが最後に残るある、ここから生まれて来る。」
、絶対なる無」

あ~あ~なるほどなぁ・・感じているので言われている事がわかります。

前に感じたときの無の感じとはまた違いそれは 深遠すぎて
初めに体験した無の感じを経てからまた感じるとさらに理解が深まります。

(無空:セッションを重ね、浄化が進むと、同じ無・愛などの体験でも、より深遠で、微細なものになっていきます。)

前回までの体験もすべて含んでいて、全部ある。
うあ~、なるほどぉと、感嘆の声しかでません。

あとは、ただただ、無の中にいて・・なが~い沈黙。
ただただ
全部すぎて
反応ができない‥

無空さんの状態とは
これを知ってる ということ。

これにどれだけのことが含まれるか
現れは素晴らしいが、このおまけのようなものであること。
「それを知ったら‥何をしようというのか‥」
これは捉え切れない、とらえられるわけがない
表面にでてるわけじゃなくそこに全部ある。
これは、前回までのがすっぽり‥どころじゃないです。
そう、感じている事をお伝えすると
これは無空さんの感覚とほぼ同じとのこと。

(無空:穏やかさ(意識)の中にすべてがあります。)

これは、これについてあれこれ考えてもしょうがないなぁ
どんなにどうこうしても
あるだけ
です。

(無空:この辺のニュアンスを読者の方にも感じ取って頂けるといいですね。)

しばらくしてから
いや~ありがたいっと、時間差で感動が来ました

すべてがここから生まれたんだなぁって。
いくらでもそこから。

「今もシンプルにこれがある」

まわりを見渡してみると、
ああ!あるだ、ある!
うわ~
こういう風にいつも見れたらすごいなぁ、と感動。
すごいの連呼
こうみえるんだ‥

(無空:皆さんにも、これが見えるようになっていただけたら嬉しいです。)

無空さん「これが愛でもあり」

わかる!
すべては愛でそれしかない、と言えるのがわかる。

(無空:私がよく言っている、「世界は愛に満ちている」、「すべては愛、存在するのは愛だけ」、「あなたは愛そのもの」というのは、この視点から来ています。)

無空さん「こういたら、何をそう力む必要があるのか」

今日初めに話した話も「どっちでもいい」 になるなぁそりゃ(笑)
いい感じで理解できました。

(無空:マインドを越えた愛の視点からみると、すべては同等に素晴らしいので。)

この体験は他に比べようがない
前回もものすごいと思ってたのに、それらがすっぽりでした(笑)
あとは、いかに そこに落ち着くか。

無空さん「1ミリの落ち着きの違いがどれだけの違いを生むか」
まさに。

【無空:マインドを超えた空・真我・愛・実在の領域には、計り知れないエネルギーが潜在しています。
(同時にとても自然で、普通でもありますが。)

それゆえ、そこへの落ち着きがわずかでも進むと、存在全体に大きな影響があります。】

~セッション後すぐに記録したこと(そのまま載せます)~

すべてビックバンとか
ひとつの宇宙が爆発して広がり続けているのは当然だなと。
無でゼロで
同時に極みまでの爆発というかぐわ~と取り出せる(現れる・生じる)。
無限とか限り無いもの
この世界も当然そこが生んでいるなぁ。

巷で言われている「多次元宇宙」とかもわかるなぁ、これを言いたいんだな。
次元とかで分ける必要もない広がり、すぺてがある
創造し続けてる
というか、すぺてがある‥はかりしれないレベルですが、
こういうことが、冷静にわかる感じ。

あとは日常でマインドが静かになってこれに成熟していくが一番ですね
というのも、これ以上のものはないので。
いかに地上でこうあるか
ゆっくり成熟させていきましょう
間違いない道です。

(無空:在るということ。存在の愛に間違いはありません。それは、無でもあり、空でもありますが、唯一のリアリティです。)


こちらの記事は、無空庵第二ブログへ移設いたしました。

(場合によっては、移設記事がネット上に反映されるのに少し時間がかかるかもしれません。その際は、ご不便をおかけし申し訳ございませんが、少しお待ちいただきますようよろしくお願いいたします。)

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今回は、無料体験セッションにお申し込み頂き、その後に、メールでつながった後、愛の意識の体験が起こったK.Mさんから頂いたメールと、無空の返信を、ご承諾を得て、ご紹介させて頂きます。

無空さん

こんばんは。

無空さんとつながったからでしょうか。
今日は、何かが違いました。

私なりの愛の意識の状態でいると、愛が集まってくるというか、周りに人が集まってくるというか・・・
職場でも、次から次にやたらと(笑)人が話しかけてきましたし、みんながいつも以上に優しい・・・
他にも、小さなことですが、いいことがいっぱい。

みんな愛に触れたいのでしょうか。

そして、そんな周りの人たち、一人一人をとても愛おしく感じました。
みんな一生懸命に生きてるんだなあ、一生懸命に自分を守ろうとしているんだなあと。
今までは、その人たちに接しても、そんな風には感じたことがなかったのに。

本当に何かが違いました。
外の世界が薄くなったような感じ、あまり重要ではなくなった感じ。

愛にいるだけでいいのですね。
と言っても、自分なりの理解なので、本当にできているのかわかりませんし、
愛はもっともっと深いのでしょうけど。

愛にいると、分離がないので、何もこわくありません。
ああ、「分離がない」なんて、こんな言葉の感覚まで、どうして理解できるようになったんでしょう。
無空さんのブログによって、理解が深まったこともありますし、無空さんにつながったことによって、
深い愛に触れ、私の中の愛が深まったのでしょうか。

本当に今日は不思議と自分なりの愛の意識の状態にいれる時間が長かったです。

今までの私の人生はすべて、私が「なりたい自分」になるためにあったんだなあとも感じました。

それから、今日、腕時計の針が止まったんです。
電池交換に持っていくと、「電池の残量はあるので、機械自体が止まっています。」と言われました。
ふと、この現象も、偶然ではないのかなと思いました。

>> 自他を赦すということは、とても幸せを感じられることなんですね。
>
> そのとき、全てを赦している存在とひとつになっています。
> その存在は至福意識であり、幸せそのものでもありますので、自然に幸せが感じられるんですね。

そうなんですね。
無空さんの言葉は私の中にす~っと入ってきます。
どんどんわかっていくことがとても嬉しいです。
導いてくださって、とても感謝します。

お忙しいのに、メールしてすみません。
無空さんに伝えたいという思いが溢れてきました。

無空さんにお会いできるのがとても楽しみです。

K.M

******************************************

K.M 様

こんにちは。

素晴らしい愛の体験のご報告ありがとうございました。
これまで、K.Mさんなりに真摯に取り組まれてきたことが花開き始めたという感じでしょうか。

愛を持って始めれば、大いなる愛は必ずそれに応えてくれるということですね。
今回の体験は、K.Mさんのこれまでの日常の中での取り組みが間違っていなかったということを教えてくれてもいますね。

愛が間違うということは絶対にありません。
間違いとか失敗というのは、マインドのレベルにあります。

自分自身が愛であれば、そこから起こることはすべて愛です。
愛は愛以外、何も知りません。

ただそれで在るだけで幸せです。

では、頂いたメールにコメントさせて頂きます。


> 無空さん
>
> こんばんは。
>
> 無空さんとつながったからでしょうか。
> 今日は、何かが違いました。

十分に準備ができた方であれば、メールでつながっただけでも、愛の体験が起こる可能性は十分にありますね。
でも、セッション前に浄化が起きた方はいらっしゃいましたが、つながることで愛の体験が起きたのはK.Mさんが初めてですね。

> 私なりの愛の意識の状態でいると、愛が集まってくるというか、周りに人が集まってくるというか・・・
> 職場でも、次から次にやたらと(笑)人が話しかけてきましたし、みんながいつも以上に優しい・・・
> 他にも、小さなことですが、いいことがいっぱい。
>
> みんな愛に触れたいのでしょうか。

何も話さずとも、ただ愛であるだけで、他の方も本能的に感じとっているのではないでしょうか。
心地よいところ、ハートの温かさがあるところ、くつろぎ、安らげるところに人は集まってきます。

愛は、全ての存在にとってのふるさと、マイホームでもあります。


> そして、そんな周りの人たち、一人一人をとても愛おしく感じました。

これは自分自身が愛である時に感じられる体験ですね。
自分と離れていない、とても近しい、ある種の一体感、ひとつであるところからくる感覚です。

> みんな一生懸命に生きてるんだなあ、一生懸命に自分を守ろうとしているんだなあと。
> 今までは、その人たちに接しても、そんな風には感じたことがなかったのに。

意識が変わると、世界が変わるということを体験されましたね。

> 本当に何かが違いました。
> 外の世界が薄くなったような感じ、あまり重要ではなくなった感じ。

マインドが落ちるとそういう感じになります。
マインドで識別、意味づけしていた感覚がおちて、愛であることのリアリティが優勢になります。

> 愛にいるだけでいいのですね。
> と言っても、自分なりの理解なので、本当にできているのかわかりませんし、
> 愛はもっともっと深いのでしょうけど。

愛の深さは無限ですが、どの深さも全て真実の愛です。
K.Mさんの体験、または意識は、間違いなく真実の愛であり、愛そのものですから、自信を持ってください。

マインドがさらに成熟してくると、これでいいのか、本当にできているのか、という疑問、思いも起こらなくなってきます。
本当にただ愛であるだけになります。

とてもシンプルです。
とても自然です。

> 愛にいると、分離がないので、何もこわくありません。

これも全くそのとおりですね。

「愛と怖れ」というタイトルの本もあったように記憶しています。
全てが愛であり、全てが自分であれば、何も恐れるものはありません。

私がブログでよく使う、「絶対安心、絶対安全」という意味が、愛の意識を体験されたことでお分かりになるのではないかと思います。

マインドが落ちているとき、そして、愛であるときに分離はありません。
愛は違いを知りません。
愛はすべてをひとつにします。
もともとひとつであったことを思い出させてくれます。


> ああ、「分離がない」なんて、こんな言葉の感覚まで、どうして理解できるようになったんでしょう。

それ(愛)であるとき、理解はただやってきます。
直接的に、腑に落ちるトータルな理解が起こります。

> 無空さんのブログによって、理解が深まったこともありますし、無空さんにつながったことによって、
> 深い愛に触れ、私の中の愛が深まったのでしょうか。

これが共鳴の効果と理解していただいてもいいですね。
そこに在るものとつながることにより、無理なく自然に同じところに導かれるということです。
(ブロックがある場合は、浄化も起こります。)
もともと皆さん、ただ一つの愛ですから、機が熟し、時が満ち、そのタイミングがやってくれば、それはただそうなります。

> 本当に今日は不思議と自分なりの愛の意識の状態にいれる時間が長かったです。

素晴らしい体験をされてよかったですね。

> 今までの私の人生はすべて、私が「なりたい自分」になるためにあったんだなあとも感じました。

すべてはひとつであるということは、今の空間の中だけに限られたことではありません。
時間もマインドがつくっており、過去から今、そして、未来にかけて、ただひとつの愛だけが存在します。

すべては今、この瞬間のためにあり、また、今、この瞬間にすべてがあります。(今、この瞬間がすべてです。)

時間は幻想ですが、そのように見るなら、時間の中のどの一点を取ってみても、その一点のためにすべてがあり、
その一点の中にすべてがあります。


> それから、今日、腕時計の針が止まったんです。
> 電池交換に持っていくと、「電池の残量はあるので、機械自体が止まっています。」と言われました。
> ふと、この現象も、偶然ではないのかなと思いました。


これも象徴的な出来事ですね。
上に書いたように、時間は幻想で、心、マインドの産物です。

マインドを超えたところに愛はあり、愛の中には時間は在りません。
愛は決して古くならず、いつも新鮮でリアルです。

(でも、懐かしさや、この感じは知っている、という感覚が起こることもありますね。
マインドを超えたところでは、矛盾するものが溶け合い同時に存在しています。)

>>> 自他を赦すということは、とても幸せを感じられることなんですね。
>>
>> そのとき、全てを赦している存在とひとつになっています。
>> その存在は至福意識であり、幸せそのものでもありますので、自然に幸せが感じられるんですね。
>
> そうなんですね。
> 無空さんの言葉は私の中にす~っと入ってきます。
> どんどんわかっていくことがとても嬉しいです。
> 導いてくださって、とても感謝します。

私はただの鏡、または触媒に過ぎず、本当はM.Kさんご自身が、自分自身を導かれています。
ご自分にも、「ありがとう」と言ってあげてください。

真実、愛がどんどんわかっていくのは本当に幸せなことですね。
空の中にすべてがあり、そこは未知なる無限の可能性に満ち溢れています。
そこから、愛の素晴らしさ、奥深さ、広大さは、無限に開かれていきます。

これが体験すること、知っていくことの喜びですね。

(絶対なるものが絶対のまま、相対となっているから可能なことであり、
一なるものが一なるまま、多となっているから可能なことです。)

> お忙しいのに、メールしてすみません。
> 無空さんに伝えたいという思いが溢れてきました。

愛が満ち、それが溢れ出すのを止める事は誰にも出来ません。
それはとても自然なことです。
それは絶対の法則で、それに反対する存在は在りません。

素晴らしい愛が伝わってくるメールをありがとうございました。

> 無空さんにお会いできるのがとても楽しみです。

はい、私も楽しみにしております。

無空



今回は、セッションを受けられているSさんから、感想を頂きましたので、ご承諾を得て、紹介させて頂きます。

こんばんは Sです。

遅くなりましたが、第2回目のセッションの感想です。

1回目のセッションの翌日に屋久島に旅行に行き、帰ってきたその翌日に2回目のセッションでした。

屋久島の感想の話から始まりましたが、屋久島の杉がどんなに大きくとも、自分の方が大きい」、屋久島にいかずともそれはいつでもあることを知ったせいか、屋久島は思っていたほど凄くはなかった(笑)

ただ、原生林は「飲み込まれる」ような感じを受けたし、海は「生きている」と感じました。

そのことを言うと、「自然が一番それが素直に現れているんでね、それを感じやすいし、(ゼロ)意識に入りやすいし」と無空さんに言われて、「ああ、なるほど」と納得しました。
セッションを重ねていくうちにどこでも入れるようにはなるということですので、屋久島にそれほど驚きがなかったのもセッションの翌日だったからかもしれませんね(笑)

また、感情も思考と同じでとらわれないでいればいいという話から、家族との関係の話になりましたが、家族とは一番衝突も大きいことが多いのも「純粋な状態に戻るため」にしてくれていることであり、そう考えると有り難いことだと言う話もしていただきましたが、ゼロ意識を経験したこともあってか素直に納得することが出来ました。

ゼロ意識の体験自体は無限に深くなっていくが、深さを追うとマインドを強めるが、変わらないものはあり、そこにいて、あとは深まっていくことを楽しんでいくというお話しも、さらりと話されましたが大変重要な点なんだろうなと思います。

ゼロ意識共鳴をしていることが宇宙にとってとても大きな影響があることのお話しも、さらりとこれを体験させてもらっているので、意識にとどめて大切にしていきたいと思います。

意識共鳴に意識を向け始めると、今回は宙に浮いているような・・上下とかがなくて、目の前のものも自分も全部 ただある という風に感じられました。

「それそのもの 存在そのものとしての自分を実感する」 「個人がいないとそれ自体が目覚めてくる」と言っていただき、
「ある」・・前回言った「生命」・・どちらでもあるそれを感じていました。

今回は、とても冷静に?「ただただ」「ある」という感じを感じました。

「ある」

「これがひとつなんですね」

「全部が宙に浮いてる 全部あるの中に含まれてる あるの視点からみれば違いがないわけです」
全部 ただある わけですね。へーーーーーー

「これが愛でもあり、存在の愛。ゆえにすべてが愛に満ちているといえるわけです」

「具体的なものはここにおいては何もないですが、無や空と言われているものがあるわけです。」
「実在・存在感覚・リアリティー・生命・・・」

「ここにおいては、何も起こってない 存在のレベルで静か ただこれが永遠にあり 平和 一切矛盾もなく 争いもなく 」

アイコンタクトをすると、今回は
まず胸から熱の感じ、そして「繊細さ」と呼べるものを感じました。

「クリアだからこの繊細で精妙なものも感じれる、
そしてこれが浄化・変容・目覚めを促している
ひとつだからパーフェクトにこれをしている 自分自身を回復させるためにやってる」
身体もこれを反映できるようにバージョンアップしていく」

へーーなるほどでした。説明も的確でまた理解が深まりました。本当に勉強になります。

次にハートの共鳴もしていただきました。
初めはわーーと強烈な広がりの愛だったんですが、その後は凄い静かで暖かいような感じがじーーーとある状態でした。
「その中にいる」ような感じ
溶けるような感じもありました。

「ここにいるとケンカは起きないですね」とおっしゃられましたが、
ケンカなんてまず起きないですね、「起こりようがない」という感じでした。 

その後の状況ですが

執着がだんだん弱くなり始めているようです。
何をしていてもあまりかわらないんだなぁと思うことが増えてきて、「これじゃなきゃだめ!」「こうでないとヤダっ」ということが、「まぁどっちでもいいや、どっちも変わんないや」になっていることが増えてきました。
これを感じていると、ただただ、問題は外にはなくマインドがつくりだしてるだけなんだと、実感されます。

これを「続けよう」としていると、「無気力」「空虚感」が出てきたりすることがありますが、これもマインドだと教えていただいたので、そのようにみると、
マインドは空虚感をつくり、それゆえ空虚ではないようにするために何か取り掛かれる問題を作ってはどうにかしようとするというプロセスのドラマをやはりマインドが作っている・・というようにも思えてきました。

また、仕事中にお客さんと話していて、自分を超えたところに意識を置くと、自ずと調和のとれた話し方になっていたことに気付いた時がありました。


「自分」でいると自分のペースに相手を合わせさせようとしている自分がいました。
逆に相手に合わせようとするのもまたうまくいかないことが多かったと思うのです。
そのどちらでもなく、自分も相手も「同じ私(真我)の現れ」のように感じながら話しているような感じでした。
些細な違いなのですが、それが生む結果は大きく違いが出てくるんだろうなと。

また、「ある」「存在」「生命」という感じは、比較的すぐに感じれるようになってきたように思います。

ありがとうございました。また、明日第3回目のセッションよろしくおねがいします。