SNaさん体験談・他

ここでは、「SNaさん体験談・他」 に関する記事を紹介しています。

●ゼロ意識共鳴で、真我・無限の愛である本当の自分に目覚め、本当の自分を実現する!

真我はただ在る。ただ自分自身(愛)である。シンプルな生き方。シンプルな在り方。
無空庵で「愛」(存在の愛)と「空」、そして「在る」こと(自分自身であること)の素晴らしさを知る。
悟り・覚醒・変わらない愛と幸せ・心の平安を実現!

無空庵では、スカイプで全国の方を対象に、ゼロ意識共鳴個人セッションを行っています。
個人セッションは、ゼロ(仏教では空)の意識の共鳴ワークであり、心の浄化法、本当の自分を知る方法、無限の愛と自由、心の平和、本当の幸せ、真我覚醒、真我実現を促す方法です。

ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、フーマン、エックハルト・トール、ガンガジ等の言及する「悟り」「覚醒」「真我」「本当の自分」の実現をサポート!メッセージ1 メッセージ2

※多忙のため、セッションに関するお問い合わせの返信には、数日~1週間くらいかかることがあります。また、同様の理由により、読者の方からのご質問にはお答え致しかねます。ブログへのコメントにもお返しできないことが多いと思いますが、あわせてご了承願います。

公開・日々の小さな合同共鳴
※どなたでも、森羅万象あらゆる存在の意識参加自由。
毎日6時、10時、11時、11時40分、13時10分、16時15分、17時、18時、21時 2011・11・3~
(6時以外は、無空庵の基本セッション時間です。)。
各30分(その内何分でも構いません。ただそっと意識を向けてみてください。そして、できる方はご自身の存在感覚、在るという感覚、又は、気づいている意識に気づいていてください。)
※参加された方々の記事。
蓮さん①, wingさん①のびのびさんsatorinさん

公開・週一合同ゼロ意識共鳴
※どなたでも、森羅万象あらゆる存在の意識参加自由。
毎週木曜日21時と21時30分から各30分間。 2011・11・10~
※こちらの記事もご覧ください。合同ゼロ意識共鳴は、集合意識の変容を促す。+感想③
第1回感想①感想②
※参加された方々の記事 しみっちさんWingさん蓮さん

今回は、セッションを受けられているSnaさんから頂いた感想と無空の返信を参考までにご紹介させて頂きます。

SNaさま

感想ありがとうございました。

> 無空様
>
> いつもありがとうございます。
> 前回の共鳴の感想です。
> 懐かしい野球の話などできて、楽しかったです。
> 共鳴自体は、最近は、マインドに巻き込まれながらも、
> 同時に深く入れているな、という感じがあります。

はい、とてもよい感じですね。
>
> 少し寝不足が続いていることもあり、仕事中も睡魔に襲われる
> ことが多いのですが、そうすると、まるで平行宇宙のように、
> 途中から夢が入り込んで、眠くなります。
> どんなにテーマに集中しようとしても、取り組んでいる世界から
> ふっと夢の世界にスイッチして、そのままコクッときてしまいます。
>
> そういう夢の世界が、共鳴中もふっと来たりするのですが、
> しかし寝るわけではなく(寝ることがあるのも承知していますが・汗)、
> マインド(夢状態)がやってきつつも、瞑想に入ったままのスペースや
> 充実感を保てていることもあって、なかなかおもしろいです。

はい、やってくるもの、起こってくるものと
変わらずに在るもの、変わらずにそれら(やってくるもの)に気づいているものが在ります。
その変わらないものがよりしっかりしてきている感じですね。
>
>
> それでは、本日もどうぞよろしくお願いします!
>
>SNa

ありがとうございました。

無空
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SNaさま

感想ありがとうございました。

> 無空様
>
> 今日のセッションの感想です。
>
>       *      *      *
>
> 今日は、目先の雑事でギリギリまでばたばたしておりまして、
> 非常に近視眼的な状態でした。
> セッション開始時にも、我ながらばたばたした空気が、
> シェアリングの中に出てしまっているなぁ・・・、と感じていたのですが、
> 共鳴自体は、もしかすると逆にそれがよかったのかもしれません。(笑)
> (ギャップが大きかったので・・・。)
>
> ぱっと雲がはれたような感じで、境界がふーっと消えて、
> 何もなくて全部が自分、という感覚に、すぽっと入れました。

はい、とてもよい感じでしたね。
>
> あとは、ときどき先ほど書いていた○○のことやら、ふーっとマインドが
> 流れることもありましたが、巻き込まれることもなく、
> 気持ちよく透明感をもって、共鳴を受けられました。

全体的にとてもクリアでしたね。
>
> 昔の、プーナ(○○のアシュラム)で瞑想していたころの、
> シンプルで、何も考える必要のない、何もないけれどもフレッシュな感覚が、
> そこはかとなく思い出されました。
> ああ、これだったなぁ・・・、と思いました。

再認識、再確認ですね。
そのことにより、それはより確かなものとなります。
>
> 今日は、以上です。
> どうもありがとうございました。
>
> SNa

ありがとうございました。

無空
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SNaさま

感想ありがとうございました。

> 無空様
>
>
> いつもありがとうございます。
> 12月27日の感想をお送りいたします。
>
>
>       *      *      *
>
>
> 自分は今まで瞑想をするとき、もっと繊細な領域まで感じ取ろう、
> もっと奥に入ろう・・・、といったベクトル(心のクセ)がありました。
>
>
> いつもではありませんが、共鳴である感じになったとき、
> つまり、何かがすーっとゆるんでいって、それが何かに突き当たったときなど、
> そこで、「じっとそのベクトルを保ったまま」心を澄ませていくような、
> 何かそういう心の姿勢のようなものがありました。
>
>
> 昔、集中的に瞑想をしていた頃、そういう姿勢を持つことで、
> 突き抜けてその奥にスッと入れたり、深まったりする体験を多くしていたことが
> 理由だろうと思います。
> でも、最近はその姿勢自体が、あまり機能しなくて、
> その「保とうとする姿勢」そのものが引っ掛かりになるのを感じていました。
> これも、何かを「やっている」ことだな、と。

よい気づきですね。
>
>
> で、それをやめて何もしないようにしました。
> すると、そういう局面がきたとき、ふっと柔らかくなりました。
> 突き抜けるのではなく、ただ丸く柔らかくなって突き当たりがなくなるような。

在り方の違いで、開かれ方が違ってきますね。
>
>
> う~ん、自分も年を食った、ということでしょうか。(笑)

成熟という表現もあります(笑)
>
>
> それと、今回の共鳴で印象に残ったことは、
> なんとなく、無空さんのエナジーの印象が変わったなぁ、ということです。
> ただ自分がそう思っただけのことなので、
> もちろん実際について自分が云々するのはおこがましいに
> 決まっていますが。(笑)

SNaさんが変わったことで、そのように感じられたということも
あるかもしれませんし、わたしの方の変化、それから、全体の変化等
様々な可能性がありますね。

そして、そのような変化、変容の流れの中で、
それらの土台としてあり、また、それらすべてに浸透し、それらすべてを包み込んでいる
常に変わらないもの(本質・真我・在る)を知っている、それそのものとして在る、
ということが大切ですね。
>
>
> 今年は、本当にいろいろありがとうございました。
> 来年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
> それでは、よいお年をお迎えください。
>
>
> SNa

こちらこそありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
よいお年をお迎えください。

無空


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SNaさま

感想ありがとうございました。

> 無空様
>
> いつもありがとうございます。
> 前回頂きましたお返事に、また補足させて頂きました。
> お忙しいとは存じますが、よろしければ、
> どうかお時間のございますときにでも、お読みになってみてください。
>
>> > 無空様
>> >
>> > いつもありがとうございます。
>> >
>> > 前回のやり取りで、「対称性の破れ」について書き、
>> > 無空さんがそれについて、
>> > 『それは「バランスの崩れなき崩れ」のことですね・・・』
>> > と書かれました。
>> > それについて、少し書かせて頂きたく思います。
>> >
>> >       *      *      *
>> >
>> > この「対称性の破れ」というのは、
>> > 正式には「自発的対称性の破れ」と言いまして、
>
>> 「自発的」というのは、いいですね。
>> まさに、それ自身から起こる本性という感じがします。
>
> はい、そうなんです。
> 発想・イメージがそのまま言葉になっている気がします。
>
>> > 「時間と空間と、三次元のモノの世界」が生まれる原因となった
>> > 物理現象についての理論です。
>> > その理論で「84歳の南部博士がノーベル賞を受賞」と書きましたが、
>> > 87歳の間違いでした。(スミマセン。。。今年95歳で、まだまだ健在です。)
>
> ちなみに、この南部博士の東大物理学科の卒論テーマは、
> ウィリアムブレイク(神秘家的な詩人)だったそうです。
> (なぜ、そんなことが可能なのかは詳しく分りませんが。(笑))

よくご存知ですね。
>
>> > 昨年、「ヒッグス粒子」が、スイスの国際的な実験施設で発見された、
>> > と話題になり、そして今月になって、その存在が正式に100%確定した、
>> > との報道がありましたが、
>> > じつはこのヒッグス粒子が見つかったことは、
>> > 「自発的対称性の破れ」によって時間と空間が生まれた、
>> > という理論が正式に立証されたことを意味します。
>> >
>> > 無空さんの書かれた「バランスの崩れなき崩れ」というのは、
>> > 本当に、「自発的対称性の破れ」と全く同じものだろう、と思います。
>> >
>> > ヒッグス粒子とは、
>> > 「この宇宙に時間と空間と質量をもたらした粒子」です。
>> > ヒッグス粒子の物語、とは、以下のようなものです。
>> > すなわち、
>> > 今回見つかったヒッグス粒子以外の「すべての素粒子」は、
>> > (つまり、私たちが現在目にしている全ての物質は)、
>> > もともとすべて光(質量がなく、光速度で動く存在)だった。
>> > ヒッグス粒子は、「その背景」として膨大な量で存在し、
>> > そして質量をもつ唯一の存在だった。
>> >
>> > ところが、ビッグバンが起こってしばらくしたときに、
>
>> このビッグバンが、
>> 意識が意識に気づいた、
>> 在るが在ることに気づいたそのとき、
>> ということがひとつの視点からは言えるかもしれませんね。
>
>> > この膨大な量のヒッグス粒子が、「相転移」を起こした。
>> > ―――「相転移」と言いますのは、気体として存在していた水蒸気が、
>> > だんだん温度が下がって100度を下回ると、そのすべてが突然
>> > 液体の水に変わる、
>> > あるいは、水だった存在が、温度が0度を下回ると、突然
>> > その全部が、固体の氷に変わる、
>> > という、ある臨界点をこえることで、突然、全体の性質が変わって
>> > 別モノになってしまう現象のことを言います。
>> > それが「相転移」です。
>> >
>> > で、宇宙の誕生後、このヒッグス粒子が「相転移」を起こし、
>> > 「ヒッグスの海」とも呼べるような状態を宇宙に引き起こした。
>> > ここで、ヒッグス粒子の在り方に「自発的対称性の破れ」が起こり、
>> > ヒッグス粒子に「ズレたまま」(バランスを崩したまま)の存在状態が生じ、
>
>> このズレが、やはり、
>> 意識が意識に気づいたとき、
>> その気づきそのもの、その動きそのもの
>> (意識から意識それ自身への距離ゼロの間の動きなき動き)が、
>> そのズレ、ゆらぎでもあり、
>> それを直線的な時間の流れで見るなら、
>> ビッグバンに当たる気づきに続く気づきとも
>> 言ってもいいかもしれませんね。
>
> ↑ここは、意味が少し読み取りにくかったのですが・・・、

ビッグバンがはじめの気づき、
そして、その後のヒッグス粒子の「相転移」、
「自発的対称性の破れ」が、
それに続く気づき、という意味で書きました。
>
> 意識が意識自身に気付いたときに発生する、
> 『「気付くことそのもの」の持つ「動き」』が、
> 「ズレ、ゆらぎ」である、ということ・・・・・ですね。

はい。
>
> そして、
> まず、「気付くもの、気付かれるもの」、としての(分離なき)分離が起こる、
> それが「ビッグバンに当たる気付き」で、
> そのつぎに生じる「気付くプロセス」としての動きが、
> 気付きに続く、気付き、
> という意味・・・・・でしょうか?

お話しながら確認していかないと、メール上のやりとりだけでは誤解等も
生じる可能性がありますね。
はじめの気づきで、気づくもの、気づかれるもの、気づくプロセスの3つが生じます。

(これもあくまで順を追った時間の流れという見方をした場合に、
ひとつの視点としてそのように見ることができる、ということで、
何度か書かせて頂いているように、より大きく、包括的な視点から言えば、
意識とも言っている気づきそのものの中に、
はじめの気づきから、無限に続く気づきのすべてが含まれています。
そこでは、はじめも終わりもなく、永遠に気づいている、気づき続けられている、
と言うことができます。)

これは、それに続く全ての気づきの中でも同じです。
ただ、気づきが起こるたびに、意識はそれ自身をより知っていく
ということが言えます。
(そういう意味では、ビッグバンに続く気づきの際に、気づくプロセスも、
ある意味、より具体的になった、具象性の方に近づいた
という言い方はできるかもしれませんね。)
それは、ビッグバンから、「自発的対称性の破れ」、
時間と空間と質量がある宇宙の誕生、
そして、今へと続く創造のプロセスと、対応して見ていくことも
可能であると思われます。
(そういう意味では、創造のプロセスを通し、それ自身をより表現していく
━表現しながら、知っていく。表現することで知っていく。
表現し、体験することでより知っていく。━
という言い方の方が合っているかもしれません。)

>
> 「気付くもの、気付かれるもの」の分離については、
> 「すべてが同時に存在するところ(時間を超えたところ)」において起こっている・・・、
> それが、相転移のズレによって、
> プロセスの次元へと展開し、動きの世界となる・・・。
> そう考えられますね・・・。

ひとつの見方として、そのように見ることが出来ますね。
そして、無限の視点、無限の可能性の中のひとつの現れとして、
SNaさんの表現でいうプロセスの次元であるこの世界、宇宙がある
と言うことができます
(同時に、それがすべて。その中にすべてが含まれている、とも言えますが。)。
無空庵のひとつの視点としては、時間を超えたところから、
相転移のズレによって始まったプロセスの次元、
時間と空間と質量がある宇宙の次元も、
本当は、時間を超えたところにあるままであり、
何も始まっていない、何も起こっていない、
というものがあります。
それが、崩れなき崩れ、動きなき動き、ゆらぎなきゆらぎ、
ということでもあります。

(そして、同時に、すでにすべてはそこにある。という視点があります。
このように、何かを表現し、あるいは、創造し、
または、すでに種・エッセンスとしてあるものを具体的な形として表出させ、
そしてまた、ゼロに帰る、何も起こっていないところ、すべてがそこにあるところ、
すでにそうであったところ、時間を超えたところに帰る。
それが、在る(真我・愛・全体・空)でもある意識のひとつの動き(動きなき動き)。

ただ在る、
ただ在りながらすべてを為す、
ただひとつであるもの、ただひとつであるすべてが、
ただそれ自身であることですべてを為すという、
在るでもある意識が意識それ自身に気づく一連の流れ、
1から3が生まれ、またそれが1に帰る。
━ 1が1のまま3になる。あるいは、ずっと1であり、3である。
という言い方もできます。━ 

毎瞬、毎瞬、それが起こっていると言えます。
毎瞬、毎瞬、それは、それ自身の中で完結しています。
無空庵から起こる言葉、表現も、そのときどきに合わせて様々ではありますが、
基本は、在るから起こってはまたそこに帰る。戻る。完結する。ゼロになる。
(意識を)ニュートラルに戻す。というように働きます。
それは、在るの在り方、在るの動き(動きなき動き)そのものとも言えます。
無空庵でいう基本の「気づいたら戻る」、もその動きに当てはまります。)

それは、時間を超えた領域での、意識の作用(気づきの動き、
気づくという動き)として展開されているという視点があります。
その視点からは、時間を超えたところに、
気づくもの、気づかれるもの、そして、気づくプロセスのすべてがある。
そこにすべてがすでにある。
そして、ひとつの視点からは、その3つ、
三位一体がそっくりそのまま現れているということが言えます。

━もしかしたら、3つの要素が、実はすべて同じものであり、
また、それぞれの要素の中に、他のふたつが常に含まれている、
あるいは、隠れている、重なっている、とも言える、そのような視点もある、
ということなどからもお話が分かりにくくなっているところもあるかもしれませんね。━

本当は何も起こっていない、という視点に戻れば、
実はその現れも、本当は時間を超えたところ(意識・真我・在る)から一歩も出ていない、
まったく現れていない、
その中で起こらないまま起こっている、
現れないところで現れないまま現れている。ということができます。

このように、SNaさんと無空庵とで、表現等に違いが起こってくるのは、
視点、捉え方、立ち位置、どこにより焦点を当てているか等が違うためとも
言えますね。
無空庵で大事にしているポイント、変わらない本質的真実の中には、
それ(在る・真我・愛)だけがある、
すべてはただ起こっていると同時に、本当は何も起こっていない、
というものがあります。
SNaさんの場合は、現れの次元、プロセスの次元をとても大切にし、
よりこの現れの世界から、ひとつである、それだけがあるというところへ、
科学的に確かな手順を丁寧に丁寧に踏みながら、進めていかれている
という感じがします。

(そういう意味で、無空庵で、本質の深みや厚み、その奥行きや深遠さ、
計り知れなさ、その香りや響きを表現するために、
表現の矛盾や、そのときどきでの表現の違い等をそれほど気にせず、
あるいは、恐れずに表すことができているところでも、
SNaさんの場合は、論理に一貫性を持たせたり、分かりやすくするため等
様々な理由から、本来は、本質の深みや厚み等を表せる部分等でも、
表現上、カットせざるを得ないような必要が出てくる場合などもあると思われます。

また、これは、どのような方々を主な対象として表されているかの違い
とも言えますね。
無空庵では、真我、変わらない幸せ、平和、本質的な生き方、在り方等に
興味が在る方、準備が出来ている方等が主な対象(ある意味、直接的な対象)
であるとも言えますが
(在る・ゼロ意識レベルでは、在るそのもの、そして、森羅万象現れのすべて、
存在するすべてがその対象となっていると言えます。
無空庵では、ゼロ意識共鳴を通し、そのようなアプローチをしています。)、
SNaさんの場合は、より多くの方を対象にされ、
知的、科学的にも理解できるよう配慮されているため、
表現の違いが出てくるとも言えますね。)

無空庵でも、現れ、プロセスの次元も、その源である在る(意識・真我・愛)
と同等に、この上なく大事であるという認識を持ちながらも、
それだけがある、本当は何も起こっていない等のポイント(本質的真実)、
その真の理解(マインドの一面的な理解ではなく)を大事にすることが、
現れも含めたトータルな在り方の確かな核、基盤となり、
すべての現れ、すべてのプロセスを真に生き生きとしたものにし、
栄光化することになる、ということを知っているという理解から、
変わらない本質的なところを大事にしています。

超えたとき、とらわれなくなったとき、
超えられたもの、とらわれなくなったものは、
はじめて、真に、トータルで、自然で、最も生き生きとした輝きを放つようになります。

>
>> (時間を超えたところから見るなら、
>> ひとつの気づきの中にすべての気づきが含まれている、とも言えますし、
>> すべての気づきが同時に起こっている、とも言えます。)
>
> これは、すごく深いですね。
> 意識の、ただ「自らに気付く」という一つの事が、
> 「同時に」、その一つのことの中に、無限の展開を秘めている、という・・・。
> 実は、これがマインドというものの本性ですね。
> つまり、「数」。
> 「1=対象=気付かれるもの」が立ち上がったときに、
> それに続く無限の数が、「すべて同時に立ち上がる」、という・・・。
> そこに、時間差はありません。
> つまり、最初から「時間の無い領域」で、
> 数という秩序、分割の構造が存在しているわけです。
> それは、自らが自らに気付く、
> という、意識の無限の鏡の構造を反映しているわけです。
> つまり、その領域では、無限に展開するすべてでありながら、
> その全体を一つのものとして見る完全性の視点が
> 存在していることになります。

はい。
前述させて頂いたことですが、それを
このように理解し、表現されるとは、本当に素晴らしいですね。
>
> そして、それをプロセスとして認識してゆく時、
> そこに時間が生まれ、「気付くプロセス」が生じる・・・。

そのとおりです。
(そのように見ることが出来ますね。)
>
> ですから、それを逆から見れば、
> 私たちは「気付くプロセス」としての時空の中にいるわけですが、
> そのプロセスは、実は最初からすべて、
> 時間の無い世界には存在している、ということになります・・・。

はい、そして、わたしたちは、
「気付くプロセス」としての時空の中にいながら、
本当は、時間の無い世界から一歩も出ていない。ということも言えます。
時間の無い世界の中で、時間を感じ、空間を感じている、
それがトータルな視点です。
>
> ちなみに自分は、この「全てが同時に存在する領域」が、
> 「在る」なのかな、と思っていたのです。

無空庵ブログのはじめの方の(カテゴリ「初めてのお越しの方へ」)、
「ブログを読んで頂く際の注意点」のところや
「マインドでは理解できないところもあります。
~ブログを読んで頂く際に気にとめておいて頂きたいこと」等のところに書いておりますが、
「在る」に関しても、ときに狭義に使ったり、広義に使ったりすることがあります。
狭義には、SNaさんのおっしゃるとおりとも言えますし、
その他には、これも見方、表現だけの問題とも言えますが、
個々具体的なものはまだ何も無く、全体そのものだけが在る、
存在性そのものだけが在る、具体的にはまだ何も現れていない
可能性そのものの領域とも言えます。
また、在るがすべてであるというときには、現れの世界、プロセスの次元も含めて、
そのように言っています。

> 以前、数学の世界がどうの、と申していたのは、そういう意味です。
>
> でも、そうだとすると、「在る」は
> 「すべてが同時に存在する世界」のことなので、
> 「プロセス(動き)」の世界ではない、となる、
> と考えられるのです。
>
> とすると、
> 「在る」とは、すべてが同時に存在する世界、
> それとは別に「プロセス」が存在する、
> そして、「見るもの」が存在する、
>
> ということは、
> よく言われる「見る、見られる、在る」というくくりで考えると、
> 「見られる」が「プロセス(動き)の世界」で、
> 「在る」が、「時間・動きがなく、すべてが同時に存在する領域」、
> と考えられる、と自分は解釈していたのです。

そうでしたか。
やはり、見方、捉え方はそれぞれですね。
源、そして、本質としての「在る」の中には時間はありませんが、
動き、無限の躍動はあります。
静止そのもの、動きなき中に、それは同時に存在しています。
そこに、マインドでは捉えることができない在るの玄妙、霊妙、神妙、
不思議な在り方があります。
SNaさんの場合は、より多くの方を対象に、知的、科学的にも分かりやすく
理解できるよう配慮され、表現をされているため、
奥深いところに気づかれてはいても、捉え方や表現に、より制限がある
ということも言えるかもしれせんね。
>
> 「見られる」世界を、現象界(現れの世界)、と置けば、
> それは、動き(プロセス)の世界のこととなります。
>
> そして「在る」世界とは、すべてが同時に存在する、
> 時間のない完全な世界、と捉えられます。
>
> 神との対話などで言われている西洋的な三位一体の概念は、
> そういう区分(対応)かな、と思っていたのです。

わたしは、その辺のところは詳しくありませんので、よく分かりませんが、
そのように捉えることも出来ますね。
そうすると、「見るもの」は、「在る」から起こってくる神・創造主、(あるいは、
すべての存在、ひとりひとりがそうである、ということも言えるかもしれません)
ということになるのでしょうか。
>
> この辺の言葉の解釈が、(自分にとりましては)難しいところ、
> ほんとうに頭を悩ませつづけたところでした。
> ややこしい問題がある、と以前書きました理由の一つはここです。

「見る、見られる、在る」
この流れは、とてもよい感じがします。
やはり、ここにすべてがある、と見ることができますね。
無空庵的にも、焦点を当てるところや角度の違いによって、
いくつかの見方ができるかもしれません。
(この見方も無限であるということもできますね。)

たとえば、

見るものは、見られるものであり、それは在るである。
在るだけがある。

等。
>
> 尤も、こういう言葉の定義というのは、
> 人間がつけたかりそめの呼び名に過ぎず、
> それ以前に、ただ自然の成り立ち、在りようがあり、
> そこに人智をこえた真理のすべてがあるのであり、
> その真理と言葉をこえて一つになり、感得、体現することが、
> 「生命そのもの」であること、見者であることなのですが。

はい、無空庵では、言葉の定義や表現上の問題よりも、
その実質的なところ、実際的なところにもっとも焦点を当てています。
そのため、言葉、表現等は、そのときどきで違っていたり、
かなりアバウトだったりすることもありますが、
何よりも、実質的な変容がなされ、真実(真・善・美)の実現、
真我・在る・変わらない幸せ・平和・無限の愛の実現が起こること、
そしてそれが、実際的に深まっていくこと等が最も大事であると考え、
そこに最も意識を注いでいます。

> 言葉の定義は、文化圏によっても違いますし、
> 二次的で、後から変えられるものでもあります。
> ただ、それをきちんと整理して、真理(自然のしくみ)と結びつけて
> 統一的な理解にしたい、と思い、取り組んでいます・・・。

それは、本当に素晴らしいことですね。
そして、それにかける時間と労力、エネルギーというのは、
大変なものだと思います。
誰にでもできることではありませんね。
本当に頭が下がります。
>
> ただ、それをやろうとすると、背後の自然の真理への理解と、
> それから、文化圏で使われている言葉の意味(定義)とを、
> 両方よく考えながら整理していく必要があります・・・。

それは、本当に大変な作業でもありますね。
自然の真理への理解だけでも、シンプルでありながら、無限の深みがありますし、
さらに、現れの知的レベルで表現されているものを文化圏ごとに調べ、
理解し、自然の真理と整合させていくというのは、そのような思いが強く起こってきた
SNaさんだからこそ、できることだと言えますね。
>
> そんな中で、無空さんの体験に基づいた視点をお伺いできたことが、
> ひとつの新しい理解につながりました。

何かお役に立てたのでしたら、幸いです。
>
>> そして、
>> 意識であり、それ自身に気づくことができるというその本性
>> により起こった初動、
>> そこから自然に続く、気づきの連鎖、繰り返し(未知なる気づきと再認識の繰り返し)、
>> 意識それ自身の中での循環、ループにより、
>> 順を追って、宇宙創造が展開されてきた(現在も展開中)、
>
> これは、「意識の分割」を時間の中でのプロセスとして見て、
> 「展開し続ける宇宙、という視点で捉える」、ということですね。

そうですね。

>> それ自身を見る様々な視点、
>> 見る角度の違い(これらもひとつのズレと言えるかもしれません。)等も生まれてきた、
>> それにより、様々な次元、宇宙、世界が生まれてきたと言えるかもしれません。
>
> つまり、すべての「動き」が「ズレ」のプロセスだ、ということですね。
> それが、角度の違い、視点の違いを生み、
> それが時空・世界を展開させており、
> 次元も生んでいる、と―――。

はい。
>
> そして、その中に分割と一体化(統合)のプロセスが起こっていくわけですよね。
> 個々のものは、分かれていて、なおかつ「ひとつ」である、と。

はい、そのとおりです。

> なんだか、ふと「鏡の道」を思い出しました。
> (二つの鏡を合わせたときに、鏡の中にできる道のことです。)
> 夜中の12時に、悪魔がその中を走ってくる、
> などというおとぎ話もある道です。
> (↑昔、星新一のショートショートで知りました。(笑))
>
> もしかしたらこれが、この世界、空間というものの正体かもしれませんね。
> ワォ。(笑) こりゃ確かに永遠ですね・・・。
> 世界は、見ること、知覚、意識・・・、なんと呼んでもいいですが、
> そういうものでできている。
> もとは一つだ、ということですよね。

そのとおりです。
>
> ということは、その道を「走っている悪魔」が、「プロセスを生きている意識」、
> つまり私たち一人一人なのでしょうか。(笑)
> 鏡の角度をちょっと変えれば、道の方角は変幻自在に方向が変わりますが、
> これが、視点の角度でしょうか。

そのように言うこともできますね。

> 合わせ鏡と悪魔の話は、今、書きながら思いついたのですが、
> おもしろい喩えだと思いました。

そうですね。
>
>> また、以上のことが、無空庵で言っている、
>>
>> 「意識、気づき、在るの中には、すべてが在る。」
>>
>> 「ただ在ることで、すべてが為されている。」
>>
>> 等のことを、直接体験と共に、
>>
>> 理解していく際の助けになるのではないかと思います。
>
> 概念的な理解と、直接体験は、全く別ものなので・・・、
> 自分も体験を通じてますます理解を深めたいです。

今でも素晴らしい理解をお持ちですが、さらに理解を深められれば、
本当に素晴らしいと思います。
>>
>> > その状態が「ヒッグス場」というこの「時空の背景」となった。
>> > (このヒッグス場が「ヒッグスの海」とも呼ばれます。)
>> >
>> > そして、このバランスを崩して存在している「ヒッグスの海」と、
>> > 反応する性質を持った「光」(質量がなく、光速度で動いていた粒子)が、
>> > 海に脚を取られるように強い抵抗を受け、
>> > その抵抗が「質量」となり、質量のある「物体」がこの世に出現した。
>> > それが、質量を持つモノ(物質)の始まりであり、
>> > それを素材として、今日のあらゆる物質が生まれてきた。
>> >
>> > そして、そのヒッグスの海に「反応しなかった光」は、光の性質のまま存在し、
>> > それが今日の光(質量がなく、光速度で動く粒子)となっている・・・。
>
>> すべては、同じもの(光)から出来ていると言うことができるわけですね。
>
> はい。
> ただし、ここで言う「光」とは、
> 「重力を持たず、光速度で動くことのできる粒子」の全部のことになり、
> 「光子(フォトン)」だけではなく、いくつか種類がありますが・・・。
> でも、それらは「モノと光」という区分で大別すれば、光となります。
>
> その意味で「光」と言うならば、
> 今まで見つかっていた物質の全ては、光から生じた、と言えます。
> (「質量をもつもの=モノ、質量を持たないもの=光」という区分です。)
>
> (ただし、そうすると、今回見つかったヒッグス粒子とは・・・?
> 最初から万物の背景にあり、質量を持っていたヒッグスとは何なのか・・・?
> という問題は、残るような気がしますが・・・。
> この辺は、ブラックマターとかブラックエネルギーとか、最近発見・確認された
> 全く未知の存在との関係なども含めて、自分も良く調べてみないと
> わからない面があります・・・。)
>
>> > こうして、質量のない光と、質量をもつモノが分離し、
>> > 「時間と空間とモノの存在する宇宙」が生まれた・・・・・、
>> >
>> > という物語です。
>
> ↑以上がヒッグス粒子の物語です。
>
> つまり、ヒッグス粒子の発見によって、
> 今あるモノがすべて光だった状態から、自発的対称性の破れによって、
> 「時間、空間、モノ」が生まれ、現在の宇宙が発生した、
> という発生のしくみが、明らかになった、ということです。
> つまり、「自発的対称性の破れ」が起きる前には、
> 「モノと光の区別」がなく、「時間と空間」さえも存在しなかった、
> ということでもあります。
>
>> > ヒッグスは、この宇宙の「背景」として存在してズレた場を作っている、
>> > 潜在的で特殊な粒子なので、発見がこれだけ難しかった・・・、というわけです。
>> >
>> > ヒッグス粒子を、理論的に考え出した人は、ヒッグス博士ですが、
>> > 彼は南部博士の「自発的対称性の破れ」の考え方にヒントを得て、
>> > その理論に素粒子データを当てはめて計算してゆき、ヒッグス理論に辿り着きました。
>> >
>> > しかも、その論文を提出したときの論文の選考者が南部博士で、
>> > 一回目では不合格となり、足りない部分に対するヒントをヒッグス博士に伝え、
>> > その部分を書き足して、論文が正式に通ったそうです。
>> > ですので、ヒッグス博士も「これは南部博士が考えたようなものだ」、
>> > と語っています。
>> >
>> > ヒッグス理論は、「自発的対称性の破れ」を「ヒッグス場の生成」に応用したものですが、
>> > 「自発的対称性の破れ」の理論自体は、それよりもっと普遍的です。
>> >
>> > ヒッグスにおける「自発的対称性の破れ」は、
>> > 「光の世界」から「物質と時間・空間」が生成する局面におけるものです。
>> > そして、自分は「物質と時間・空間」の領域が、物理的現実界であり、
>> > そして、それ以前の「光の世界」が、思考(マインド・概念・イデア)の世界に対応する、
>> > と考えています。
>
>> そのように見ることもできるかもしれませんね。
>
> すみません、この辺からは、自分のフライング気味の文章でして・・・。
> まだ定義として公開できるような段階ではありません。
> ただ、無空さんに思いを伝えたい、という気持ちから、
> 大まかな方向性として書きました。
>
>> > そして、無空さんの書かれた「1にして3つ」のものが分かれる瞬間、というのは、
>> > 「在る」から「マインドの世界」が生じる、その光の仕組みの根源にあるもの、
>> > と思います。
>> > つまり、「在る」から「光の世界」が生じるところにも、
>> > 「バランスの崩れなき崩れ」があり、「自発的対称性の破れ」の理論が働くはずだ、と・・・。
>
>> 前述のとおりであり、そうですね。
>
>> > つまり、それによって
>> > 「在る(五次元)」から「思考(マインド・秩序・概念)=光(四次元)」が生まれ、そして
>> > 「思考(マインド)=光(四次元)」から「物質界(時間・空間・三次元)」が生まれてくる、
>> > つまり「五次元、四次元、三次元」の三位一体の連結が完成する、というわけです。
>
>> そのように見るわけですね。
>
>> >       *      *      *
>> >
>> > それによって、物質科学と精神世界(意識の世界や、あらゆる精神文化)とが、
>> > 完全に連結し、社会として(地球文化として)一つの知性で語れるようになります。
>> >
>> > それが、まさに自分が生命哲学を通して目指すものでした・・・。
>> >
>> > ―――そんな風に、自分は思いました。
>
> この辺までは、自分の目指している方向と思い、というところです。
> つまり、まだ私見の要素があり、権威の確立されている部分ではありません。
> (それで、当初は非公開のつもりだったのですが・・・。
> 今回も、公開ということになってしまいました。(笑)
> 物理学や科学の世界と、意識の世界が、実際に権威ある知的なレベルでも
> つながってゆく時代になる・・・、そんな可能性を感じて頂けたら、と思います。)
>
> どうもありがとうございました。
>
> SNa

愛ですね。
知性を通した愛、大きな愛が働いているのを感じます。

ありがとうございました。

無空


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今回は、セッションを受けられているSNaさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

SNaさま

感想ありがとうございました。

> 無空様
>
> いつもありがとうございます。
> 前回は、本当にお忙しい中、充実した答えを頂き、
> その真心と誠意に感銘を受けました。
> どうもありがとうございました。
>
> 前回のやりとりで、「人間の尊厳」の本当の根拠がどこにあるのか、
> が自分のテーマでした、と書きました。
>
> それについて、いろいろな答えを頂いたと思います。
>
>>ただひとつのものだけがある、
>>ということが深くトータルに理解されてあれば、
>>すべては、視点による違いだけだということが分かり、
>>自ずと、現れた多様性(視点、考え方等も含め)に対し、
>>中立的な見方、すべてはその存在において
>>(それぞれが現れて存在しているということにおいて)同等である
>>という見方ができるようになって来ますね。
>
> とか。
>
>>同時に、すべては、
>>その存在において
>>(現れ、起こり、存在しているという点において)は
>>同等であり、
>>すべてはただ単に「状態の違いである」
>>という視点も持っていられるといいですね。
>
> とか。
>
>>完全なバランスそのものでもある究極の源(在る・実在)の
>>バランスの崩れなき崩れから、
>
>>その中で、全体でひとつであるものとして、
>>また、現れたそれぞれ個々のレベルでも、
>>そしてまた、現れたすべての単位、すべてのスケールでも、
>>常にバランスを保とうという働きが起こり続け、
>>すべてが展開されていっているとも言えますね。
>
>>それを進化と見ることも可能であれば、
>>すべてが同等の循環と見ることもできます。
>
>>例えば、すべてはリーラ(神のあそび)であるという視点などは、
>>現れのどの状態も、上や下と見ることなく、
>>とても中立的な立ち位置からの視点とも言えますね。
>
> とか・・・。
>
> 何度か読ませていただき、最初はあまりピンと来なかったのですが、
> やっと分りました。
>
> つまり、個々の存在における「三位一体」は、
> 確かに3つがバランスの取れたものではありますが、
> それは「個々の現れ」におけるバランスです。
>
> でも、自分自身の世界観においては、すべての個々の表れの背後には、
> 見えない無限の可能性があり、
> 背後にある巨大な潜在性の一部分、一局面、一展開が、
> プロセスとして顔を見せているに過ぎないのですよね。

そうですね。
>
> その「背後の見えない無限性」を背負い、それとともに在るのが、
> 真の「個々の存在の姿」であり、真の相手の姿、対象の姿なのですよね。

そのように言うこともできますね。
>
> 個々の存在は、その背後にある「見えない全体性」において同等・・・。
> その「見えない全体性」に支えられ、その可能性を含みもち、
> その一つのプロセスとして出現している、
> その完全な全体性を背負ってそこにある、ということにおいて、
> すべての存在は「同等」であり、存在の尊厳を持つのですね。

深い見方、洞察ですね。
そのように見ることで、すべての存在の同等性、尊厳というものがより理解されやすくなりますね。
>
> そんなことに気づきました。

素晴らしい気づきですね。
>
> どうもありがとうございました。
>
> SNa

ありがとうございました。

無空

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