●ゼロ意識共鳴で、真我・無限の愛である本当の自分に目覚める!
真我はただ在る。ただ愛で在る。シンプルな生き方。シンプルな在り方。
無空庵で「愛」(存在の愛)と「空」、そして「在る」ことの素晴らしさを知る。
悟り・覚醒・変わらない愛と幸せ・心の平安を実現!
※現在、定員オーバー状態が続いており、個人セッションの方は新規受付停止中です。
左下のリンクの所に共鳴セッションを行っている方が何名かいらっしゃいますので、ご検討下さい。
セッションに関するお問い合わせも、上記のような状況のため、返信には、数日~1週間くらいかかることがあります。また、多忙のため、読者の方からのご質問にはお答え致しかねます。ブログへのコメントにもお返しできないことが多いと思いますが、あわせてご了承願います。
★公開・日々の小さな合同共鳴
※どなたでも、森羅万象あらゆる存在の意識参加自由。
毎日6時、10時、11時、11時40分、13時15分、16時15分、17時、18時、21時 2011・11・3~
(6時以外は、無空庵の基本セッション時間です。)。
各30分(その内何分でも構いません。ただそっと意識を向けてみてください。そして、できる方はご自身の存在感覚、在るという感覚、又は、気づいている意識に気づいていてください。)
※参加された方々の記事。
蓮さん①,②、③ wingさん①、②、 ③、④、のびのびさん。satorinさん、②
★satorin版 公開・日々の小さな合同共鳴
毎日9時、10時、11時、14時、15時、16時、19時、20時 2011・12・29~
詳しくはこちらで。
★公開・週一合同ゼロ意識共鳴
※どなたでも、森羅万象あらゆる存在の意識参加自由。
夜の部、毎週木曜日21時と21時30分から各30分間。 2011・11・10~
昼の部、毎週金曜日11時から30分間。11月18日(金) 2011・11・18~
※こちらの記事もご覧ください。合同ゼロ意識共鳴は、集合意識の変容を促す。+感想③
第1回感想①、感想②
※参加された方々の記事 しみっちさん、Wingさん、蓮さん
★一般スカイプ参加合同共鳴(毎週木・金) しみっちさん、satorinさん
ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、フーマン、エックハルト・トール、ガンガジ等の言及する「悟り」「覚醒」「真我」「本当の自分」の実現をサポート!★メッセージ1 ★メッセージ2
個人セッションは、ゼロ(仏教では空)の意識の共鳴エネルギーワークであり、心の浄化法、本当の自分を知る方法、無限の愛と自由、心の平和、本当の幸せ、真我覚醒、真我実現を促す方法です。
holyさま
感想ありがとうございました。
> 無空 様
>
> こんばんは。
> 先日は8回目のセッションありがとうございました。
> 感想をお送りします。
>
> 始めのトークでは、思考はずっとあるが、前の週とは違ってそのことについて否定的な感情はなく、落ち着いていられることを話しました。
マインドが変容していますね。
>
> ◎共鳴
> 平和、平穏、静寂。
> 無空さんのサポートがあると在りやすいことを話すと、「これが共鳴です。」と。全くそうですよね(笑)。失礼しました。
>
> ◎アイコンタクト
> 自分の体が自分じゃないような感覚。
> 普段でも同様の感覚を感じることがあることを話すと、色んな感覚があることを教えて頂き、私には奥が深すぎて、分からないことだらけだな~、まだまだだな~と思いました。
在るには、無限の質、無限の側面、無限の広さ、無限の大きさ、無限の奥行き、無限の可能性があります。
在るは無限の可能性そのもの。
今そのもの、未知そのものとも言えます。
それは、知れば知るほど、その奥深さも感じられるようになっていきますし、未知なるものが未知なるまま実在していることの素晴らしさ、無限の可能性そのものとして無限の豊かさを持ったまま、現れず非顕現のまま、すべてを支え、すべてを育み、すべてを包みながら実在していることの素晴らしさも分かるようになっていきます。
知れば知るほど、知らない、分からない、未知なる領域の無限性もまたより感じられるようになってきます。
知らない、分からないことで、否定的に思ったりするのはマインド。
知らない、分からないこと、それ自体の素晴らしさを感じとることができるのが、在るです。
>
> ◎瞑想
> 透明。透明がダンスしてるのが現れ。
在る(愛)からの一元的な視点ですね。
>
> ◎ハートの共鳴
> 静か、静寂。
>
> 以上です。
共鳴全体もよい感じですね。
>
> いつも温かいセッションありがとうございます。
>
> holy
ありがとうございます。
無空
ぽこたんさま
感想ありがとうございました。
> 無空さま
>
>
> 先週も素晴らしいセッションをありがとうございました。5/9分の感想をお送りします。
>
> 今、録音を聴き返しておりますが、多分に個を感じました…マインドが主体か、それそのものが主体かの判別について今日は質問させていただこうと思っていたのですが、(先週のセッション時は無空さんのおっしゃることが、ぼやーとしか理解していなかったような感じです)、その必要はなくなったようです。フーマンの本を読んだ影響もあるかと思います。
在ると自ら解決していきますね。
また、判別しようとする、判別したいのもマインドですので、ただ在りましょう。
とにかく在りましょう。
いずれにせよ在りましょう。
それが主体を純化していきます。
フーマン「恩寵の扉が開くまでⅡ」より
【あれこれと考えを巡らす事で、あなたのマインドは分裂してしまう。
そしてマインドを実際には強化してしまう。
マインドとは、その本性からして「分裂」だ。
「あれかこれか」「正しいか間違っているか」、いつも正反対の分裂を創り出す。
あなたがそのモードに入ると、マインドを強化する事になる。
だから、あれこれと思いを巡らさない様に。】
ただ在ること、それ自体が正しさを示してくれます。
「これでいい」、という感覚は在るです。
「これでいいのか?」はマインドです。
(在り方に関して)「これでいいのか?」が起こってきたら、ただ気づいてそのままにしておきましょう。
そして、在るに戻りましょう。
感覚がはっきりしないときは、ただそうであると、それに気づいて在りましょう。
ただ(そうであると)気づいて在れば、大丈夫です。
また、(在る以外の)すべては起こっているという立ち位置に在れば、
または、何か起こった後にその立ち位置に戻れば、大丈夫です。
起こっている状況、あるいは、自分自身にただ気づいて在るとき、それは在るです。
(主体の純度は、それぞれですが。)
(在る以外の)すべては起こっているという立ち位置に在るとき、それは在るです。
その他には、自然であるかどうか、楽さがあるか、軽やかさがあるか、シンプルかどうかなども
ひとつの目安になりますね。
また、何かするということに関してでは、フーマンの「恩寵の扉を開くまでⅡ」に参考になる箇所がありますので、ご紹介しておきましょう。
【マインドが「これをする必要がある」という言葉に従うのではなく、あなたの中の一番深いレベルで「正しい」と感じるという事だ。
「これをする事が正しい、だからこれをする」という感覚だ。
あなたのハートがその深いレベルに整合するようになると、個人の意志とか無理強いとか集中とか、する事(Doing)のパワーは感じなくなる。
そこに意志はない。
ただの「穏やかさ」がある。
物事が流れに任せて起こる様になる。
しかしその穏やかさは、弱さではない。
それは神聖であり、究極の意識だ。
それが穏やかにあなたの人生で機能する。
だからもしそこに穏やかさがあるのなら、それに従いなさい。
しかし「これをする必要がある」「あれがしたい」というエネルギーだったら、それは良くない。
そこにはマインドが介入している。
それが基本的な判断基準だ。】
> セッション後、リーラスペースさんに問い合わせしましたところ、キヨタカさんご本人から連絡があり、即日送ってくださいました。
よかったですね。
>
> 早速読みました。日曜日には家族と自然の中へレジャーにでかけましたので自然の中で、ハートにくつろぐことだけに意識して過すことができ、マインドが起きてきてもほとんど気にならなかったです。
>
> 無空庵で何度も読んだ
>
> 「これでいい」
>
> という感覚もやってきました。
>
> その後、自然におまかせしよう。自然にはたらかせるままに。「自然=在る=愛」のはたらくままに。無努力、真の無為、真の何もしない、ハートを開いてくつろぐだけ、を意識して過しています。
>
> まぁ、ただ在るだけなんですけど^^;
そこが大事です。
自然にまかせようも。そのまかせよう。そうしよう。が強くなれば、マインド(必要以上の力み、不自然さ、重さ、複雑さ、純度の低下等)が入ってきます。
ハートを開いてくつろごうも、それが強くなれば、マインドが入ってきます。
注意を向けながら、リラックスできているといいですが、
はじめは難しいですから、実践の中で、力み等に気づきながら、それが自然に落ちていくという感じで進んでいっていただくのが通常です。
ぽこたんさんのように、すべてはただ在るの中に含まれているのがお分かりの方は、ただ在るだけでいいですね。
それがすべてを成します。
>
> その、ただ在るだけも、やっとなんだか、ほんとにらしくなってきたというか
それも地道で真剣な実践の積み重ねによるものですね。
>
> マインドに気づきやすくなってきていて、そのときは不自然さを感じ、「自然・在る」に戻るが起きてきているようです。
>
> これが意識しなくても自然と戻れるようになっていればいいのですね~より在るに落ち着いてきている、ということで。
>
> なんだかずいぶんと楽に、軽くなってきているように感じます。
>
> 純粋意識に意識をむけて瞑想していると、未知なる無限の可能性を感じ圧倒されます。
>
>
> 真実に開いて、ただ在る、だけですね。
はい。
>
> ・共鳴…意識・ゼロ・空の歓び・正されるが起こっていたような感じ
>
> ・アイコンタクト…ゆるぎない・ゼロ・LOVE
>
> ・瞑想…全てをつつみこむ意識・無限の深まり・枠はない
>
> ・ハートの共鳴…個人はそのままに、という感覚
>
> ・立場をかえて…あるがまま・等身大
>
> ・立場なし…余裕・ゆとり
全体的にとてもよい共鳴でしたね。
>
>
> また、ぎりぎになってしまいすいません
>
> のちほど、よろしくおねがいいたします。
>
>
>
> ぽこたん
ありがとうございました。
無空
A.Kさま
感想ありがとうございました。
> 無空さま
>
>
>
>
>
> セッションありがとうございました
> 感想をお送りします。
>
>
>
>
>
>
> 言葉に置き換えたくない感覚の強かった先週でしたが、
>
> この世界にある また まだ存在しない すべての表現 すべてがピッタリ なんですが
>
>
> だけど、、言葉にしたくない、できない。という感じはやはりあり、
>
>
> しかし、より自然で軽やかな1週間だったような気がします。
>
>
> と最初に1週間を振り返りお話させてもらいました。
今は、そうである ですね。
>
>
>
>
>
>
>
>
> 最初の共鳴
>
>
> 愛
>
>
>
>
>
> アイコンタクト
>
>
> 未知へ............
>
>
> 爆発的な勢い、ひかり、静寂
>
>
> 未知へ............
>
>
>
>
> その「未知へ」の未知へ...............
>
>
>
> また その次の 未知へ...................
>
>
>
>
> 未知
>
> 満(みち)
>
>
> 路
>
>
>
>
>
>
>
> 瞑想
>
>
> 新
>
> 深
>
>
> 芯
>
>
> 軸(しん)
>
>
>
>
> 放っておくとまだまだ 出てきそうなほどでした
>
>
> 在る が遊んでいました
>
>
> 真我のユーモア
>
>
>
>
> とても楽しい共鳴(瞑想)でした^^
在るは、それ自身の中で遊んでいます。
それが現れたのが、リーラ(神の遊び、神の戯れ)とも言われるものですね。
>
>
>
>
>
>
> ハートの共鳴
>
>
> 温かさ 暖かさ
>
> マイホーム
>
>
>
>
>
>
> 立場を変えて
>
>
> 祝福
>
>
>
>
>
>
> ニュートラル
>
>
> それ しかない
より本質的で、深遠な、未知なる領域に入ってこられていますね。
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
> 無空さま ありがとうございます
>
>
>
>
>
>
> A.K
ありがとうございます。
無空
リンさん
感想ありがとうございました。
> 無空さんへ
>
>
> 昨夜は セッションして頂き ありがとうございました。セッション(72回め)のご報告を致します。
>
>
> 「共鳴」
>
> ゆらぎ ~
>
> ゆらぎ に寛ぎ
>
>
> 安心 安全
>
> 安心 安全 そのもの
いいですね。
そのものであることは、自己理解を進め、深めてくれます。
(注)ここで、確認のために。(リンさんは大丈夫ですが、他の方々に自己理解についての認識を再確認していただくために。)
無空庵でいう自己理解のメイン(核)は、
在る(真我・愛)そのものの直知、
それ自身が“知る”、“知っている”というところにあります。
マインドでの理解は、補助的なもの、付随的なものと捉えてください。
(それにより、マインドが落ち着くという点では、一定の有効性をそこに見ることはできますが、
在るの直知、直接体験を通したものでなければ、落ち着くというのも一時的なものにとどまってしまいます。)
参考:フーマン「恩寵の扉が開くまでⅡ」
・解放への究極の道は、「自己理解」にある。
ノーマインドに到達して、本当にマインドが落ちる事でそれが起こる。
(無空:真の自己理解は、マインドの領域にあるものではないということが分かりますね。)
・「自己理解」あるいは「悟り」とは、境地ではない。
それは境地を超えている。
あなたは夢から抜け出す。
境地はまだマインドに属している。
吸収のレベルは瞑想に属している。
・それはマインドでは把握できない。
どうしてもマインド的なひっかかりがあるような場合は、
在るから自然にそちらに注意が向き、在る・真我の光(愛)がそこに当てられる
ということが起こる場合がありますが、
大基本は、マインドではなく、在るそのものに注意を向ける、
それそのもので在るということです。
それは、もっとも直接的で、トータルなものです。
それそのものでただ在れば、そのトータルなものであれば、
マインド的なひっかかりだけでなく、現れを含めた存在全体に、
その自己理解の力(愛)が行き渡り、変容するものは自然に変容し、
落ちるものは自然に落ちていきます。
参考:フーマン「恩寵の扉が開くまでⅡ」
・「これ」が、真実の自己のエネルギーが、仏陀の本性が、あなたのパターンを洗い流す。
「これ」は、あなたを存在の自然な状態へと引き戻す。
それはただ「自分自身で在る」という事だ。
(無空:シンプルにただ「自分自身で在る」ことが、もっとも多くのことを成し遂げます。)
気づいたら変わっていた。と、
多くの方が繰り返し何度も体験しているように、在るに意識を向けること、
在るそのものであること、ただ在ることの変化とは、トータルで自然な変化です。
それは、マインド的な努力で(一時的、部分的に)落としたものとは違い、
どこにも無理がなく、どこにもゆがみ、ひずみのない、もはや戻ることのない真の変容です。
ただ本当の自分自身、真の自己へと帰るという、とても自然な変容です。
そしてそれは、すでにそうであるところ、知っているところへの帰還でもあり、
また、未知なる帰還、はじめての帰還、未知への帰還、
新しい可能性、未知なる可能性への帰還、さらなる深みへの帰還でもあります。
>
>
>
> 「アイコンタクト」
>
> 真我 が 真我 に開かれてゆくよろこび
>
>
>
> 過去のセッションで見たビジョンが 見える
>
> それを見ている 私(個人) も見える
>
>
> そして それは 今(わたし) の中で起こっている
>
>
> 今(空) は 全てを含んでいる
>
>
> 壮大な ひとつ
>
>
> ひとつ---
>
>
>
>
>
>
>
> 無空さんは
> 在るは、空間もですが時間もひとつです。とおっしゃいました。
ひとつである全体(愛・空・今)の中に、まるごとすべてが在ります。
>
>
>
> 「瞑想」
>
>
> 私 は … わたしは … 満足している
>
>
>
> 満足している - ・・・・
>
> とまっている - ・・・
>
>
>
>
> ・・・・・
>
>
> ・・・・ とまっている先の この満足が
>
> ひしめいている
>
>
>
> 日常の触れ合いの出来事や
> 成功 失敗の出来事が思い浮かび
>
> 泡のごとく…
>
>
> わたしは 深い 深い 海の底に
>
> 満足が深まってゆく
>
>
>
>
>
>
> 至福 となる
>
>
>
>
> 無空さんに
>
> 満足している。 という言葉が起こりました。
> これは、私としてが含まれた ニュアンスでした。
> これまで、起こっている事を追い求め、満足を探していました。
>
> ここに 深い満足がありました。
> それを やっと 知りました。
>
> と、伝えました。
真にトータルな満足は、起こっている事、あるいは、「する事」の領域にはなく、
「在る」(本当の自分、真の自己で在る)というところに在ります。
真の自己である「わたし(在る・真我)」は、現われを超えていて、現れに影響を受けず、
常に満ちていて、満足そのものでもあると言えますが、
そこから現れている「私(自我・個人・マインド)」の真の満足、
マインドが真に静かになれるところ、真に落ち着けるところもまた、
マインドがマインドとして現れている領域にはなく、
それはマインドが生まれてきたところ、
マインドを超えたところ、
真の自己の領域にあります。
マインドがマインドのまま、直接、トータルにそれに触れることができませんが、
(マインドがそれに溶け去ることは可能。)
マインドを超えたところに在ることで、その影響(満足)は、マインドを含めた現れ全体に及びます。
そういう意味で、真にトータルな満足、そして、真の自由、真の平和、真の愛を求めるならば、
定型的な取り組みとして、「する事」の領域(現れの領域)で、
ひとつひとつひっかかるマインドに取り組んだりしていくのではなく、
(そのようにしていると、逆にマインドが強化されてしまう可能性もあります。
そのまま当てはまるわけではないですが、参考までに、フーマン「恩寵の扉を開くⅡ」より
・あれこれと考えを巡らす事で、あなたのマインドは分裂してしまう。
そして、実際にはマインドを強化してしまう。
マインドとは、その本性からして「分裂」だ。
「あれかこれか」「正しいか間違っているか」、いつも正反対の分裂を創り出す。
あなたがそのモードに入ると、マインドを強化する事になる。
だからあれこれと思いを巡らせないように。)
ただそれを超えて在ること、
真の自己
自分自身で在ること
在るで在ること
ただ在ること
それが、現れている私(個人・自我・マインド)の真の満足をも含めた真のトータルな満足、
真の自由、真の平和、真の愛をもたらす、もっとも自然でトータルな在り方です。
(現れている私(個人・自我・マインド)は、現れの領域で、それ自身が主体となり、
様々な「する」という経験、体験を通して成熟していくということも必要であり、
それも、真の自己に落ち着くための、あるいは、真の自己に落ち着く前の、
自然なプロセスでもあります。)
>
>
>
>
> 「ハートの共鳴」
>
>
> 世界 に 違いを もう 見つけられない
>
> ・・・・
>
> もう 見つけられない
>
>
> ・・・
>
>
> それが 悲しい ・・
>
>
> 無空さん に
> 世界に違いを見つけられない、その事実を
> 個人が歎いています。
> と、話しました。
存在全体が浄化、純化され、純粋な識別は帰ってきます。
すべては同等、すべてはひとつ、ひとつのものだけがある
という愛の視点の中でも、純粋な識別は必要に応じて働きます。
大丈夫です。
>
>
>
>
>
> 「立場を替えて」
>
> ---
>
> 悲しい は 悲しいままに
トータルに統合されていくプロセスの途中で起こるひとつの貴重な体験ですね。
>
>
> 「ニュートラル」
>
> 世界は ブラフマンである
>
>
> 世界は ブラフマンである
> の絶対性の光が
>
> あまりに あまりに 絶対で
>
>
> 泣けてくる
>
>
>
>
>
>
> 無空さんに、それを話し
>
> 世界はブラフマンである の、絶対性が、あまりに絶対で、、、
>
>
> でも、分からないんです。
>
> 分からなくて・・ 私には分からなくて・・泣けてきます。
>
>
> 分からないは、わからないままでいます・・
>
> と、話すと
>
> 無空さんは、
> 分からない。というのは、いいですね。と、言われました。
それはマインドで分かるものではありません。
分からないけれど、あまりに絶対であると感じている、
それは、マインドを超えたところで感じている
マインドを超えた絶対的な真実を
マインドを超えたところで感じているということでもありますね。
その絶対性は、分からないほど絶対、
絶対的に絶対、
絶対をも超えて絶対です。
>
>
>
>
> セッション後も、しばらく泣いていました。
あまりに大きく、絶対的な真実に直面したため、
そのような反応が起こったのかもしれませんね。
>
>
>
>
> 前回のセッションから今回のセッションの間
> 日常では、
>
> 姉が訪ねてきました。
> 亡くなった義兄の意見を聞きにきました。
>
> 昔、私は、イタコみたいな事をしていていました。
>
>
> ○○について、兄は どう思っているか 尋ねられ、
> 何も思っていない。ただただ 愛だ。と答えました。
>
>
> 姉は、寂しそうに、悲しそうに、
> そういう 空気のような愛は、役に立たない。と言いました。
> もっと具体的に 意見が聞きたい。なんとかしてほしい。 と、辛そうでした。
>
>
> ただ ただ
>
> 姉を見つめていました。
> なんとも 言えない気持ちと
> 深い 愛が
> そこには ありました。
>
>
> 愛が 包んでいました。
> 言葉は、起こりませんでした。
>
>
>
> 私は、兄を知りました。
>
> この愛は、まさに 兄から感じる 愛でした。
>
> そして それは 命(在る。愛。)でした。
>
>
>
>
> 命 を 知りました。
>
>
> ただ ただ 知りました。
>
>
>
> 深い 涙が 溢れ
>
>
> 御先祖 を 知りました。
>
>
>
>
> 命 とは 愛 でした。
素晴らしい真実を知りましたね。
>
>
>
>
>
>
> ありがとうございました。
>
> リン
ありがとうございました。
無空
Nさま
感想ありがとうございました。
> 無空様
>
> こんにちは。Nです。感想を送らせていただきます。
>
> 2013,5,6.(2010年11月8日より211回目)
>
> セッション:今日はこの数週間で最も良い感じで、始めから割と静かだったので
> すが、最後の方は心が溶けて空になり、寂静、沈黙、平静といった感じでした。
>
>
> よろしくお願い致します。
とてもよい感じでしたね。
日々の淡々とした実践が、実ってきているとも言えますね。
無空

















